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太郎が気まぐれに釣った魚のせいで、花子はかえって面倒なことになった。
ともあれ何とか一匹の塩焼きが完成し、キッチンに戻る。
「まったく、こんなちっこいの一匹なんて、どーやって分ければいーんだか……」
花子は顔をしかめるが、太郎は胸を張った。
「分けるこたねーよ、俺が全部食う」
太郎は、魚が盛られた皿を奪い、テーブルについた。
が、ひみこが噛みつく。
「父ちゃん、ずるい! ふつー、そーいうのは、子供にゆずるのが親なんだよ!!」
病に苦しむ子供を助けるため、母親が長い美しい髪の毛を切ってお金を 工面する、というドラマにひみこは感動した。
だから父親が釣った魚は、当然子供に権利があるのだ。
「俺が獲った魚、俺が食って何が悪い? が、そこまで言うなら、勝負だ!」
父がグフフと笑い出した。
ひみこも、にやり、と笑う。父が「勝負」と言えば、もうこっちのもの。
「最初はグー! ジャンケンポーン!」
太郎は勢いよくパーを出した。ひみこはチョキを出す。
「きゃはははは、あたしの勝ち! 父ちゃん、ジャンケンであたしに勝ったことないのに、なーんで、勝負するのぉ?」
娘は父からティラピアの塩焼きが盛られた皿を奪い取り、高く掲げた。ひみこは知っていた。父は必ず「パー」を出すことを。
「お前なあ! 娘なんだから、少しはおとーさんを尊敬しろ!」
父と娘のバトルに、母が割り込む。
「待ちなよ、あんたたち! 食べれるようにしてやったのは、あたしだよ!」
「え~、母ちゃん、いっつも塩焼きばっかり! テレビみたいに、フライとかムニエルとかやって~」
「だったら、あんたが作るんだね……ま、料理を覚えても無駄か……あんたを嫁にもらう男はいないからね」
──嫁にもらう男はいない──花子は禁句を告げる。
ひみこの怒りの導火線に点火した。すぐさま爆発だ。
「あたし、父ちゃんや母ちゃんみたいになりたくない! 独身のバリキャリになってやる!」
「日本語しかできないあんたがバリキャリ? どんな仕事できるのさ?」
今度は母と娘のバトルに、父が割り込む。
「その辺にしときな。ひみこ、心配すんな。俺たち日本語族には、ちゃんと手当て入るんだ。働くこたーない」
が、仲裁は失敗だった。今度は花子の顔が赤くなる。
「情けないよ。怠け者のあんたが旦那ってーのがね。あたしが日本語族じゃなけりゃ、海の男を捕まえて、マグロ食えたのにぃ」
「お前、そんなに漁船ほしーなら、共通語覚えて外で働け」
鈴木家で、日々繰り返される口論。十三歳の少女は、決意する。
――こんなバカすぎな親、いつか絶対、捨ててやる!!
いつまでも止まない諍いの果て、太郎が苦労して得た釣果は、冷めてしまう。
ひみこはまだ知らない。
この喧嘩が、最後の親子三人の魚バトルになったことを。
間もなく彼女が、この家、そして灼熱の古都東京を出て、二十二世紀の日本へ旅立つことを。
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