放課後の調律師1 乙女は完璧な静寂の中で歌を放つ

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 師堂玲美はため息をつく。  深く、長いため息だ。体の底の底、横隔膜の彼方から、後悔と倦怠と諦観とはわき起こり、肺を圧迫して、このやるせなさから少しでも逃れようといっぱいに溜め込んだ空気を、じわじわと押し出していく。  なぜだ。どうしてこうなった。  目を上げればそこには教室の風景が広がる。低いノイズ。虫の羽音にも似た休み時間の喧噪。 「それでまどっちがさあ」 「ちょっとあれやばくない?」 「無理無理無理無理絶対無理!」 「ちょっとマジムカつくー」  時折届く断片は混じりあい絡み合い溶け合ってその意味が理解されることはない。というよりもそれらの言葉自体が彼女に理解されることを欲してはいない。  そうだ。  誰も師堂玲美には話しかけない。  なぜだ。  どうしてこうなった。  彼女はまた自問し、ため息をつく。  師堂玲美が庭根高校へ転校してきたのは、今年の六月のことだった。  最初のうちは珍しがられ構われて、それなりに皆の輪の中にいた。緊張がなかったとは言わないが、上手くやっていく自信もあった。  新しいクラスメートの質問攻めや好奇の視線をそつなくこなしながら、周囲を観察する日々。人間関係の綾。誰と誰が仲がいいか。どんなグループがあるのか。誰なら気が合いそうで、その子はどんなグループに所属しているのか。特に仲の悪いグループは。またどこにも入っていない子は。  転校慣れしていたわけではない。けれども進学のたびに再編される人間関係には、ちゃんと適応してきたつもりだったし、だから危機感は特に感じていなかった。  嫌われず、ウザがられず、極端にだれかを嫌ったりする必要もない、近すぎず遠すぎない、絶妙の距離と場所。それが理想。完璧は難しくても、十分な観察と洞察は極めてそれに近い位置とあり方を教えてくれるだろう。  今までだって上手くやってきた。何とかなるはず。  そう思っていた。
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