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「さて……と」
ミンジャは、川の水をすくって飲むとやわらかく笑みを浮かべた。
「今日は土の人形でも作ってあげようかしら」
ここ毎日、ミンジャは前にあった少女二人、マリィとネリィと森で遊んでいた。
確か、土を蛇の形にしたときに喜んでいたわよね。
川とは反対を向き、いつもの場所に行くべく蛇の下半身を動かす。
「久しぶりだね、ミンジャ」
蛇によく似た細い瞳孔を引き絞って目を見開き、振り向く。
川の向こうでは、昔から知る男が私を見ていた。
なぜここに……!?
「どうして貴様がここに来た。ミシュル!」
怒りがふつふつとわいてくる。
何故この男はこうも平然としている。
親友を、クライルを、マイルを軽んじているようで癪に障る。
「さぞ満悦だろうなミシュル……自らを慕っていたひとを手にかけて、あの男に褒めてもらったのでしょう」
「あぁ。彼女にもそのくらいの利用価値があってよかった」
体の芯がかっと熱くなった。
「私の友を返せ!!」
『王化スキル「白蛇」を発動しました 』
泥から二体の蛇を作り出す。
蛇は水と土に縁の深い動物だ。
「やれやれ、君はもう少し冷静だと思ったが」
「その態度が気に食わぬ!」
「言っておくが、僕の方が年は上だ。あまり逆らわない方がいいと思うが」
ミシュルは木の上へ飛び上がり、弓を構えた。
木ごと潰してやる。
「偽竜の双舞!」
私に流れる血の半分は、母である偽竜のものだ。
ゆえに私は、偽竜の種族固有の魔法も扱うことができる。
二体の蛇が絡み合って天へ昇っていく。
それを横目に、ミシュルは懐から笛を取り出した。
笛を見て鳥肌が立つ。
あれは……!
「今この森では、かの神の舞台の大事な下ごしらえが行われている。だから、君に邪魔されては困るので……こんな骨董品まで持ち出してしまったよ。
『祖竜の咆哮笛』……五百年に一度だけ奏でることのできる、おいたをした偽竜制裁用の笛だよ」
祖竜とは竜種の神、竜神のことだ。
見るだけで吐き気がする。偽竜の細胞がざわめく。
攻撃が間に合わない。
綺麗な旋律が耳をつんざいた。
「ぅあぁああぁっ!?」
細胞が悲鳴をあげて、潰れるような痛み。
二体の蛇が崩れて濁った水たまりになった。
「これは魂にはたらきかける音色だから、神霊体の君にも効率よくダメージが入るだろ? それから仕上げだ」
「き、貴様、ぁあぁ!」
視界に入った下半身が恨めしくてしょうがない。
身が千切れそうだ。
「爆風魔法、風封じ」
風の球形の檻に閉じ込められる。
しまった……!
ただでさえばらばらになりそうな全身を風の刃が切り刻む。
ぼやけた視界が赤く染まって、風がやむ。
全身から力が抜けて倒れると、地面の冷たい土が頬に当たった。
そのまま、意識は引き摺りこまれるようにして呑まれた。
‐‐‐‐‐
「……っかりして! ミンジャさん!」
耳に入ってきた少女の声に、ゆっくりと瞼を開ける。
マリィとネリィが可愛らしい目に涙をためて私を見ていた。
「ミンジャさん起きた! 良かったぁ……すぐマリィたちが、町の病院につれていってあげるからね!」
「がんばってミンジャさん」
それより、ここにいると危ない。
下ごしらえ……そうミシュルは言っていた。なんのことだかわからないが、少なくともニマヒュが糸を引いている最悪のショーの準備であるのは確実だ。
彼女たちの主人である少女もその舞台に組み込まれているはずだ。したがって、危害が及ぶおそれがある。そう伝えてもらわなければ。
そう思うのに、口は動かない。
「魔物さんと戦ったのかな……」
「ど、どうしようマリィ……血がいっぱい出てるよ、ゆっくりゆっくり行かなきゃ」
「マリィたちじゃ上手に抱っこできないよ……! どうしよう! どうしようネリィ……!」
「ネリィも分かんない……」
早く逃げなさい、ミシュルに見つかる前に。まだ近くにいるかのしれないの。
あの男の……ニマヒュの一言で、奴はなんだってする。
「そうだネリィ!少し向こうにぬらりひょんさんがいるよね!」
「ほんとだねマリィ、ウサちゃんに伝えに言ってもらおう」
マリィとネリィは手を繋ぐと、何か魔法を発動した。
いけない……また意識が遠ざかってきている。
兎が現れる。
「ウサちゃん、ぬらりひょんさんを連れてきて!」
「急いで、おねがい」
兎は頷くと、茂みの奥に消えていった。
「がんばれミンジャさん、今ぬらりひょんさんを呼んだから!」
「きっとすぐ来てくれるから、大丈夫だよ」
優しい子たちね。
思わず笑みがこぼれた。
気が抜けて痛みが主張を増し、顔を顰める。
とにかく、危険であることを知らせないと。
口を動かして肺から空気を押し出そうとするも、かなわない。
今のところ周囲に気配はないが、いつやってくるかわからない。
上半身をなんとか起こし、骨が軋むのも構わず下半身で丸く囲む。
とりあえず、二人を間合いに入れることはできた。
「だ、だめだよミンジャさん! 怪我してるから、休んでないと」
「大丈夫よ。それより、ソルレーナという少女に伝えてほしいことがあるの」
私がそう言うと、二人は目を見開いた。
「ミンジャさん、主さまを知ってるの?」
「ええ」
最初に話をきいたのはマイルからだったか。
こっそり見に行ったとき、可愛らしい少女だと思ったのを覚えている。
「今、その少女はおそらく、狙われているわ」
「主さまが!? ど、どうしようマリィ」
「落ち着いて」
慌てるマリィを落ち着かせる。
「監視用のスキル『楽の人神の縁』が消えたと天使から聞いたの。自分の管理の外で認識外の強者が活動することをニマヒュは嫌うだろうから、おそらくゲームとして何かしかけてくる。
そうして、世界を巻き込んであいつはずっと数百万年ものあいだ、何人もの『選ばれし子』たちを排除しているのよ。だから開かれた文明も、圧倒的な力で世界を平定する国も、この世界にはあらわれない。
それで、今回の筋書きの中にきっと、あの少女の始末が組み込まれているはずなの」
「そんな……」
天使の話だと、ニマヒュが仕向けた邪神レルイモルバやウェズグブラウも倒したというから、間違いなく目はつけられている。
であれば、町の中にあの男の手の者がいるはず。少なくとも一人は。
状況の把握と情報の収集のための『根』を潜り込ませているはずだ。
「それと……このところニマヒュは、何かを始める準備をしているらしいと天使から……」
「何をこそこそ話しているのかな、ミンジャ」
風を切る音が聞こえて、背に鋭い痛みが走った。
「ぐぅ……き、さま……!」
「ミンジャさんっ!」
「誰? なんでミンジャさんを攻撃するの?」
「それはね、お嬢さん」
ミシュルは次なる二本の矢を弓につがえた。
「それを僕の主人が望んでいるからだよ」
口調とは違い獣のような視線を二人に向ける。
「お嬢さんたちは銀細工の使い魔かな。今のうちに削いでおけば、かの方も喜ばれるかもしれないな」
弓を引くミシュル。
この二人を攻撃する気か!
「そうはさせるか……偽竜の雨乞い!」
土から二体の蛇が現れ、弧を描くようにミシュルへ迫る。
その牙が届こうとしたところで、ミシュルが矢を放った。
蛇の体を貫き、そのままの勢いで二人へと飛んでいく。
くそっ、まだ体が動かない……!
「大地魔法、土……がはっ」
気道に血液が逆流してきて、術式が霧散する。
間に合わない!
すると、矢が何かに引かれるように横へ軌道を変え、木の幹に刺さった。
同時に、ミシュルが木から落ちる。
ど、どういうこと……?
「何をする……! 腹立たしい。僕を邪魔するのは許されない」
ミシュルがきっと睨みつけた先には、二人の男が立っていた。
「この領の仲間であるお嬢さん二人に手を出すようでしたのでな、ぬはははは!」
「ヨォヨォ、オレサマが来てやったぜィ、カワイ子ちゃんたちィ!」
右手が竜のそれへと変化している、ミシュルを殴り飛ばした男。
ピンクの中の赤色が鮮烈な髪色の、派手な男。
ミシュルを殴った男の右手が人間の手に戻った。
一部だけを変化させていた……?
「おっと、申し遅れていました。俺はぬらりひょんと言います。何やら貴殿は気配が重いですね、これは手強そうだ! ぬははは!」
「オレサマは上位精霊のジャシパーノ様だぜィ! 今のはちょいと空間を縮めてズラしてやったんだぜィ。オレサマの使う魔法は人間の時空魔法とは違うからなァ、ビビんなよォ」
この者たちは誰?
ミシュルを攻撃したのなら、敵ではないのかもしれないけれど。
がくり、と視界が揺らいだ。
……もう限界か。
「ミ、ミンジャさん! しっかりして!」
「どうしよう、どうしようマリィ……」
視界が暗くなっていく。
出血量が多すぎる。意識が保てない。
「く、くれぐれも……少女に、注意を……伝えて……」
「しゃべらなくていいよ、ぬらりひょんさんとパニーさんが来てくれたからね」
ネリィの声が遠くなる。
ミシュル……貴様は、許さんぞ……!
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