音をたてる岩戸

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「うーん……」  何の声?  あ、シカオオカミさん。  立ち上がった彼は、気まずそうにケイトから視線を外した。 「にゃははははっ! アッサリやられてるじゃねえか、オッサン! ざまぁみろにゃ!」  屋台をやっていたらしい、猫人のガーラが腹を抱えて大笑いする。  え、知り合い? 「と、とにかくだ。ガーラ、何故こんなところにいる。余のもとへ戻れ。貴様、獣戦士団の一員であることを……」 「失礼……こんなところ、と仰いましたか?」  シカオオカミさんへ笑顔のマキアが歩み寄る。  その美しさはまわりの女性たちが頬を朱に染めるほど。あいかわらず外見詐欺なのは結構なのだが、それどころではない。 「こんなところ……それは、ご主人様がお治めになっているこの町を軽視しているように、僕には聞こえたのですが」  笑顔で怒ってるイケメンほど怖いものはないとは誰の言葉だったか。  ティタニアさんは……見ないふりをしている。もしや普段から保護者枠なんじゃなかろうか。  つまり、私が止めるしかない……。  いやいやいや、無理だろう。 「む? それの何が悪い? 余の国に比べれば規模の民の数も」 「チッ」  ちょーっと待ったー!?  し、舌打ち!? あのマキアが!?  思わず二度見する。  変態だけど外面だけはいい、あのイケメン詐欺のマキアが!?  怖いって、横顔が既に怖い。笑顔が深まっている。  ていうか、余の国って言ったよね。この人、国王……? 「き、貴様……余に向かってそのような口を」 「黙りなさい。鹿にも狼にも人にもなり損ねた醜いあなたに、ご主人様と同じ空気を吸う権利などあるはずがないでしょう。狼ではなく鹿と混ざっていれば丁度よかったのに、可哀想ですね」  ひ、ひいいい!  サドのスイッチが入ったマキアは恐ろしいことをたった今学習した。  決して藪をつつかないようにしなければ。 「貴方がご主人様の清らかな吐息を吸い込むのも罪、ご主人様の空気を穢すのも罪です。しかしここはご主人様の御前ですので、そのお目を血で汚すなど耐えられません。今回だけは寛大に見て差し上げますので、即刻お引き取りください」 「余が、誰か分かっておるのか」  低い声でシカオオカミさんが眉間にしわを寄せる。 「おや、これは失礼。どうやら、獣のなり損ないに言語を理解しろというのは難しいようですね」 「やめんか」  いよいよ剣呑になってきたので、慌てて間に入った。  マキアの内で構築されていた術式が崩れる。  ふう。とりあえず一安心。  さて、シカオオカミさんに向き直って、と。 「大変失礼しました。不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。私はこの領を治めているソルレーナ・フォン・ナトゥアと申します」  シカオオカミさんはぴくりと片眉を上げ、私を頭のてっぺんからつま先までねめつけるように見てきた。 「さっきの小娘か。貴様の領では、礼儀というものを教えておらんようだな。まさかとは思うが貴様、余を知らぬわけではないだろうな?」  やべ、一切知らない。  怒りを買わないよう、笑顔をつくる。  くらえ、母上譲りの美少女顔面パワー! 「まだ未熟なもので……貴殿のことは存じ上げておりません。伺ってもよろしいですか?」  キッドといいシカオオカミさんといい、有名人だという自覚がある人は、みんな自分を知っているものだと思っているらしい。  私がお願いすると、シカオオカミさんはため息を吐き、口を開いた。 「全く……。良いか、よく聞け。余は、ハウロ・クレイ・バウロ・ベスベニア。獣人の国ベスベニアの国王だ」  やっぱ国王だったか。  獣人の国ベスベニアは、地位の低い獣人の唯一の国で、アートイス大陸の南西にあるジナミンナン大陸に位置している。  住民は、ジナミンナン大陸の言葉ジナミェ語を主に話す。が、一部の獣人はジェルガー語を話す。  獣人は基礎ステータスが人間より平均的に高いので、高い戦闘力を持つ兵士とその軍事力で国家として独立できているのだ。 「余がなぜこの地に来たかであるが……聞き分けの悪い部下が余のもとから逃げ出してな。そんな根性で余の軍士団、獣戦士団はつとまらぬから、説教をくれてやろうと思ったのよ」  うーんと、流れからしてその聞き分けの悪い部下ってのは、さっきまで言い合いをしていたガーラかな?  そんなに立派な役職についてたのか。 「聞き分けのねえのはどっちにゃ……さっきから言ってる通り、俺様はアンタの軍士団に戻る気はねえよ。だって強い奴はいるけど、戦えねえからつまんねえにゃ」  ガーラは、仮にも国王を前にしているにも関わらず、椅子に座って足をぶらぶらさせながら答える。 「確かに、強者との手合わせに心が躍るのはわかる。が、戦士たるもの、普段は牙を隠し爪を磨きだな……」 「ニャハハ、あんた牙も爪も碌に無いじゃねえか」  確かに。  前足は爪だが後ろ足は蹄だし、歯も門歯、臼歯、犬歯とがあり、どちらかというと鹿要素強めだし。 「余の場合は角だ!」 「アンタ、ここのボルディアたちの立派な角見たか? あっちのほうがずっと大きくて強そうにゃ」  いや、あっちはヘラジカみたいなもんだから。比べるのは可哀想では? 「あの角に比べりゃ、アンタのは小枝みたいでかわいらしいじゃにゃいか、ニャハハ!」 「ぐぬぬぬぅ」  自慢の角らしいが、小枝って……ガーラ、ちょっと煽ってない? 「しかしガーラ、お前は軍士団の一員だぞ」 「こっちの方がずっと面白いにゃ。あんたも住んでみりゃ分かる。食いもんも美味しいし、強い奴いっぱいいるにゃ」 「国を守るものが他国に心を奪われてどうする!」 「ベスベニアにいるのはつまんねえのにゃ」  うお、母国をつまらないと言いおった。 「この聞かん坊めが……! そんなことを言っていては、解雇するぞ」 「別にかまわねえさ、俺様こっちで職だって見つけてるんだぜ」  シカオオカミさんが青筋を浮かべる。あ、ハウロ王というべきか。 「ええい、もう知らぬ! 好きにしろ! また来る!」  あれ、なんか矛盾してない?  勝手にしとけって言ってるのか、また説得しに来るのか。  でも、分かっているのかどうなのか、ハウロ王は三人の従者を連れて、ずんずか人の波に消えてしまった。 「悪いな領主さん、厄介なオッサンと騒ぎを持ち込んで。俺様出ていけって言われるんなら出ていくしかねえが」  ガーラがすまなそうに耳を伏せる。  やっぱ何回見ても、猫耳カチューシャしてるようにしか見えない。 「もともとは獣戦士団にいたけど、戦えにゃくてつまんねえから、抜け出してきたのにゃ」 「帰れとは言わないけど、喧嘩になる前に誰か呼んでよ?」 「ニャハハ、了解にゃ!」  領内で王様の搬送とか嫌すぎる。  とにかくまあ、一件落着か。
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