音をたてる岩戸

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 まだソルナが起きていない、東の空がほんのり白んだ夜明け前。  ヤクルの森の、首都エルサルから少し離れたところで、わらべ歌が聞こえていた。 「おっ母、おっ母、何ゆえに  お山の木の実拾うてはならぬ  木の実を、木の実を おっ父が  まるきり食うてしまうゆえ」  その声の主である若い女の下半身は鱗に覆われた大蛇のそれで、ず、ずず、と地を這う音がする。  ここは以前、少女が命を落とした場所だった。 「天使の話だと、このあたりのはず……」  女は少し開けたところについた。  口ずさんでいた歌はいつのまにか聞こえなくなっている。無意識に歌っていたのかもしれない。  あたりの木の幹や葉には、比較的最近にできたと思われる火の跡がある。  ず、と地を這う音が止まった。 「ここで……このあたりのどこかに、きっと……」  女が上半身をぐっと前に倒し、手を地面へのばす。  彼女は焦げた土の上に、彼女のを探した。  数十分後、彼女は茂みをかき分けた中に青い輝きを見つけた。  慌てて手を伸ばし、拾い上げる。 「これは……」  海のように青い宝石がはめ込まれた腕輪。  色も大きさも同じくらいの宝石は、彼女の腰のベルトに嵌っていた。 『見てみて、お兄ちゃんのネックレスと同じ色の宝石貰ったの!』 『二つあるから、三人でお揃いにしようよ』 『お兄ちゃんがネックレスで、私が腕輪で、ミンジャがベルトでどうかな?』 『えへへ、お揃いだね!」  ふっと蘇る声。  彼女……ミンジャは、腕輪に顔を寄せるようにして俯く。   「クライル……っ」  ぽたり、と涙が腕輪を伝って地面にしみ込んだ。 ‐‐‐‐‐ 「ミンジャ!」  拾っていた木の実をかごに入れて、ミンジャは後ろを振り向いた。 「ミンジャー!」 「クライル?」  丘を駆けあがってくる淡い桃色の髪の幼馴染。背には白い翼がある。  息を切らして膝をついた彼女に、ミンジャはしゃがんで目線を合わせた。 「ミンジャ、お兄ちゃんを見てない?」 「ああ、マイルを探してたのね」  七歳になる二人の声は、まだ少し幼さが残っている。  ミンジャは立ち上がって、一本の木を指さした。 「マイルなら、あの木の下で昼寝してるわ」  すると、少女は大きな目をさらに大きくする。 「ええっ、また昼寝? 全くお兄ちゃんってば、全然仕事しようとしないから……あんなんじゃ、神様になれないよ」  ミンジャがくすりと笑うと、少女は笑いごとじゃないのに、と眉をハの字にした。  立ち上がり、また少女が走り出す。 「マイル」  誰かに名前を呼ばれる。 「マグリエイル!いつまで寝てるの?」  僕が目を開けると、6才くらいに見える少女が僕をのぞき込んでいた。 「もう、お兄ちゃん!起きるの遅いよ」 「あはは、ごめんごめん」  少女はむぅ、と頬を膨らませた。 「私たちは、ニマヒュ様とアイク様の子供にして天使!今日もお二人のために働かなきゃ!」 「分かってるよ~」  そう、わかってる。  分かってるけど、気が進まないんだ。  僕は心地いい木陰に寝転んだまま閉じていた目を開けた。 「あのねお兄ちゃん、ただの天使でも、頑張ってお仕事すれば、下位神とかになれるかもしれないんだからね!」 「はいはい」  もう何度も聞いたことがある。  僕は笑って流した。 「本当に本当なんだよ! 前にアイク様が言ってたもん!」 「分かってるって」 「じゃあ行くよ! お仕事!」  目的地の方を指さして焦るように僕の腕を引く少女。 「待ってよ~、あと5分! ね?」 「だーめ! お昼寝ばっかじゃダメだよ、お兄ちゃん!」  相変わらず、真面目で責任感が強いなぁ。  面倒くさいことなんて、僕に任せてくれれば代わりにやるのにさ。 「じゃあ行こっか」 「うん!」  僕は、少女と一緒に目的地に向かった。  別の日、ミンジャとマイル、クライルは、草原へ来ていた。マイルとミンジャにもやはり翼がある。 「ねえ、何して遊ぼっか」 「そうね」  ミンジャが考え込む。  そんな彼女を見て、そういえば、とマイルが口を開いた。 「ミンジャって、本来蛇なのを今は人化で誤魔化してるんだよね? 本当の姿は見せてくれないの?」 「嫌よ」  えー、とマイルが口をとがらせる。 「……そもそも、本来は蛇ってわけじゃないのよ。お母さんが偽龍……まがいものの龍だから、私の遺伝子に呪いが残ってるの。本来の姿は、大人になるにつれ呪いが強くなって蛇に近づいてくる。いずれきっと、人化でも呪いを隠しきれなくなるわ」 「そっかぁ……大変だね」  ミンジャの言葉に、クライルが悲し気にそう呟いた。 「今はその……皮膚に鱗が浮き出てるから、恰好が悪いのよ」  偽龍は、龍を騙ったことで竜神の怒りを買い、蛇化の呪いをかけられた――人間の間でも、御伽噺として広まっている。 「今日も『木の実とり』する?」 「いいわよ」 「じゃあ、私の髪飾り使おう」  クライルの花の髪飾りを三人の中心に「おき、それを囲んで三人が等間隔に座る。  そして、三人は同時に歌いだした。 『おっ母、おっ母、何ゆえに  お山の木の実拾うてはならぬ  木の実を、木の実を おっ父が  まるきり食うてしまうゆえ』 『とった!』  歌い終えると、すかさず三人が髪飾りに手を伸ばす。  参るとクライルの声が合わさり、一瞬はやくマイルが髪飾りをとった。 「はい、僕の勝ち~」 「負けたぁ」  マイルはもう一度髪飾りをもとの位置に戻す。 「もう一回ね」 『おっ母、おっ母、何ゆえに  お山の木の実拾うてはならぬ  木の実を、木の実を おっ父が  まるきり食うてしまうゆえ』 「とっ……」  手を伸ばしたマイルの腹を思い切り殴り、ミンジャが髪飾りをかすめ取った。 「痛いって、ちょ、それ狡いよ!」 「あら、何かしたかしら」  とぼけるミンジャを、マイルはえぇ……と納得いかなさそうに見た。 「もう一回だよもう一回!」 『おっ母、おっ母、何ゆえに  お山の木の実拾うてはならぬ  木の実を、木の実を おっ父が  まるきり……』   ガサッ  近くの茂みから何かが飛びだした。  ぎょろりとむいた四つの目、六つの足、ずらりと牙の並んだおそろしく大きな口。 「ベスルルガ!?」  ベスルルガ。別名、天界の野犬。  天界にのみ自然に発生する魔物で、神や大人の天使であれば倒すことは容易だが、子供では荷が重い。 「ゲガァァアア!」 「クライル!」  マイルがクライルを抱えて転がり、とびかかってきたベスルルガを回避した。  そこまで知能が高いわけではなく、軽く頭をふって再び狙いを定める。  だらりと舌を出したベスルルガが、またクライルに突進する。  が、その前にマイルとミンジャが立ち塞がった。 「パワーボール!」 「骨砕き!」  大蛇が絡みついてベスルルガを拘束し、魔力の球体が片目を潰す。 「ゲゲガァアァ!」  ベスルルガが怒りの混じった声を上げた。 「走るよクライル、ミンジャ!」  マイルが二人の手を引いて走り出す。  しかし、ベスルルガが拘束をとき三人へだんだんと迫って来た。 「ゲゲガァガゲェエエ!」  低く気持ち悪い声を発するベスルルガ。  ついに三人に追いつき、一番後ろにいたミンジャの翼にその牙を突き立てんとした。 「ミンジャ!」  マイルが間に滑り込み、ベスルルガの開いた口に腕を突っ込む。  牙が肉を裂いた。 「パワーボール!」 「ガッ!? ガゲゲゲガァアア!」  魔力がベスルルガの口から喉を抉り、痛みに悲鳴をあげる。  その口から、マイルは右腕を引き抜いた。 「ほらっ、走るよ二人とも! もうちょっと行けば、誰かが倒してくれるから!」 「がぁあガゲェエガァアアァア!」  怒りによって一瞬にして冷静さを手放したベスルルガが、図体の大きさに似合わぬ速度で三人を追いかける。 「ガガゲェエアァ!」  目を剝いて大きな口を開けて走る姿は子供の恐怖を煽るのに十分だった。 「ひゃあっ」  クライルが石に躓く。  すかさずbネスるるがは狙いを定めてとびかかった。  が、ひう、と何かがクライルとベスルルガの間に割り込む。  その何か……火矢は、寸分の狂いなくベスルルガのもう片方の目に突き刺さった。 「ゲァアアァアガァア!」  もだえ苦しむベスルルガの心臓に、二本目の矢が突き立つ。 「ガ……ガァゲ……」  がくんとベスルルガの四肢が力なく曲がり、折れた。  その様子を目にしたあと、三人は矢の飛んできた方向である彼らの後方……村の見張り台に視線を移す。  ちょうど一人の若者が、弓を下ろしたところだった。  若者は三人にきづくと、見張り台から跳び下りて三人のところへやってくる。 「ミシュルさん!」  クライルが笑顔になり、手を振った。 「おかえりなさい。里帰り、してたのね」 「ああ、ミンジャ」 「ミシュルさん、また翼が小さくなってる。ねえねえ、下位神になってお父さんに仕えてるんでしょ? どんな仕事してるの?」  神に仕え仕事をすることに憧れているらしいクライルは、前のめりで詰め寄る。 「ん-、下界に下りて、人間と化の様子を見て報告したりかな」  ミシュルは弟のテレスと一緒に、二年ほど前から楽の人神、ニマヒュに仕えている。  四柱の人神の中で最も強い、楽の人神二マルリリヒュ、ニマヒュであり太陽の神ナーサ。  また、哀の人神アイヒラソク、アイクであり慈愛の神リラであり雨の女神ライラの片割れ。  この二人の子供が、二つは慣れた兄妹のマイルとクライルのほかならなかった。  もっとも、この二人だけではなかったが。 「全然老けてないよね。老けてたら笑おうと思ってたのに」 「はは、当たり前だろマイル。神になったら年をとらなくなるんだから」 「過労だよ、過労。……あの人のことだから、どうせ碌に情もないような使われ方してるんでしょ?」  マイルが半分ずつ冗談と本気の混ざったような発言をする。  すると、ミシュルは目つきを鋭くした。 「マグリエイル。あまり僕の主人を悪く言うなよ」 「でも悪いけど、人を人として見てないようなあの人は、たとえ父親でも一生尊敬できないね」  張り詰めた空気に、まあまあ、とミンジャが割って入った。  クライルはおろおろと二人に視線を向けている。 「……マグリエイル。言葉は考えてから口に出せよ」  ミシュルはそう言うと、村へと入っていった。 「ミンジャ……どう思う?」 「分からないわ。ただ、あまり張り合うのは賢くないと思うわよ」  マイルとミンジャも少し言葉を交わし、ミシュルとクライルを追った。
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