音をたてる岩戸

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「おい、海鮮」  就寝時間の九時を過ぎて、静かな神院。  ベッドからもそりとナーティが起きた。 「ウチは今忙しいんじゃ」 「くふ……また立ち入り禁止の書庫から、魔法書を盗んできたのか……」  ツァナに顔を寄せ、魔法書を覗き込む。 「くふ、くふぅ……ふん、なるほどな。大天使ガブリエルの顕現魔法か……」  顕現魔法は召喚魔法の一種で、天使にのみ適用される魔法だ。  通常の召喚魔法は魔力、つまりMPを対価として差し出すのに対し、権限魔法は生命力、魂のエネルギーが代償だ。 「この詠唱覚えりゃ、ウチも使えるんじゃろか」 「くふ……無理であろうな。あの書庫には、聖女ほどの霊格と生命力がなければ魂が崩壊を起こすような魔法について記した魔法書ばかりが集められておる……。海鮮、貴様ほどの生命力では、到底無理よな……」 「ラテでも無理じゃろ?」 「……む……」  そこは素直に認めるらしい。 「この魔法文字は、太陽の下で……って読んだらええんだらか」 「くふ、どこだ……?」  ここ、とツァナが指し示す。  暗くて良く見えないので、ナーティは目を細めてジッと見た。 「くふぅ……日光の……いや、違うな。この文法はシスターの言っていたモーレイ古典文法の散文型ではないのか……?」 「おおっ、本当やの! とすると……」 「くふ、やっとわかったか……解釈するとすれば、光差し伸べ、その下なれば……であろうよ」  ナーティが得意げに鼻を鳴らす。  ツァナは興奮気味に、月の明かりでかすかに照らされた文字を指でなぞって読み上げた。 「救いの手は光差し伸べ、その下なれば必ず希望は満ち……」 「ニマルヒェの加護あらんことを……」 「いや、ニメルヒュの加護あらんことを、じゃろ」 「くふう……ニマルヒェに決まっておる」 「絶対この場合はニメルヒュじゃって!」 「ニマルヒェである……」 「ニメルヒュだっち言いよるにからに、」  ガチャ 「まだ起きていたのですか!」  突然扉が開き、ナーティやラテ、ライヒムと同じ服を着た五十代くらいの女性が腕を組んで二人を見下ろした。  二人はびくっと肩を震わせる。 「くふ……お、驚かすでないぞ、クソババ……シスター・メィホ」 「ツァルアナ! それは書庫の魔法書でしょう! 一体何度言えばわかるんですか」  そう言って、シスターはツァナの持っていた魔法書を没収した。  ぐっと本を掴んで抵抗を見せたものの、睨まれると諦めて手を離すツァナ。  とられても、まだ恨めしそうに本を見ていた。 「もうちょっこしで読み終わぁとこじゃったに」  けち、と心の中であっかんべーをした。 「くふ……シスター・メィホ……我と海鮮に外出する許可を与えるがよい……」 「目的は?」 「友達が領主をやっちょる町に、ヤクル領に遊びに来んかち誘われとるんじゃ」 「なりません」  シスター・メィホは取り付く島もなく却下する。  思っていた通りとはいえ、実際そうなってみると残念。  二人は肩を落とした。 「くふ……どうしてそう我らを頑なに閉じ込め、管理しようとするのだ。気に食わぬ」 「貴方たちは未来の聖女、そして勇者パーティ候補。だからこそ、神に選ばれたあなたたちメシアは、未来の希望という責任を背負って様々なことを学び、そうして大人になれば大人へと導いてくれた神や神父さま、民への感謝を胸に……」  子供に言い聞かせる母親のような口調で話すシスター・メィホの言葉を、ナ二人が遮った。 「ウチら、ひとっことも聖女になりたいなんて言っちょらんが」 「フン……我らを散々この神院に拘束し、日々勉強という労働を強制した者どもに……なぜ偉大な我が感謝せねばならぬ……」 「な、なんということを言うのですか! あなたたちが今何不自由なく生活できているのは、そのような人々のおかげ……」 「なぁにが何不自由ない生活じゃ。自分が将来のうのうと生きるために一分一秒ウチらを管理して、さらに頭を下げろ? 納得できるわけがねえだらが……社会のクソどもが!」 「ツァルアナ!」  頭にきて口の悪くなったツァナをシスターが𠮟りつける。  ツァナはまだ怒りが収まらないようだが、シスター・メィホは深いため息を吐いた。 「前はキッド王子の招待だったので許可を出しました。ですが、あの魔物の町へ行くなど言語道断です。今勇者様一行が掃討に向かわれているのですから」 「くふぅ!? ゆ、勇者だと!?」 「あそこにゃウチの友達がいるんじゃ……ケイトくんも、リヒトくんも! そんな……」  二人は実のところ、勇者一行の安否を案じていた。 しかし、シスター・メィホは違うように受け取ったらしい。 「魔物が友人などと……ふざけた真似はよしなさい。魔は討伐されるべきです。  ツァルアナは昔から神父さまにくっついて他地域をまわったり書庫から本を盗んで読んだりと手が付けられませんでしたが……ラテラト、あなたは以前、メシアであることに誇りを持っていたのに。あなたまで染められてしまったのですか」  唇を噛む二人。  シスター・メィホはナーティの自意識過剰な態度は好ましく思っていなかった。が、今よりメシアという称号に誇りを持っていたのは確か。 「フン……メシアの称号が何だ。そんなに偉いのであれば、我とて……虫に勝利できるはずであろうが。シスターどもが把握している『神童』など、塵芥にすぎぬ。  ……くふ……こんなことなら、メシアの称号など要らぬわ……」  ナーティのつぶやきには気づかず、シスター・メィホは部屋を出ていった。 「くふ……クソババアめ、好き勝手言いおって」 「ラテ、抜け出そう」  ばっふとベッドに潜ったナーティに、ツァナが小声で言った。  小さいが、意思が窺える。  ナーティはツァナの方に視線を向けた。 「この監獄から抜け出すんじゃ。学園区まで行って、学園から転移符で小領地に移動して、転移門からヤクルに行く……ってのはどげね?」  ツァナの話にふ、と目を細めて口角をにいとあげた。 「くふ……海鮮にしてはいいことを言うではないか……」 「おちおち優等生もしちょれんからのぉ……」 「くふ、くふぅ……良いな海鮮、決戦は明日ぞ……」 「了解じゃ」  二人はさながら悪戯を思いついた子供のようにぐふふ、と笑い声をもらした。 ‐‐‐‐‐ 「ラテラト、ツァルアナ。起きなさい、勇者様一行がいらっしゃいましたよ」  ……うん?  なんじゃ?  うっすら開いた瞼から扉の前で仁王立ちするシスター・メィホの姿が見えた。  勇者たちはいまヤクルにいるんじゃなかったかの? 「勇者様が!? お話きかんといけんね!」  あれ?  ウチの意思に関係なく体が動く!  ……ああ、夢か。昔の夢じゃ。 「ラテ、勇者様たちが帰っとらいだと! はよ起きない」 「くふ……勇者など、くだらん……我はまだ寝る……」  どおりで、やりとりにひどく既視感をおぼえるんさな。  ラテを揺り起こして食堂へ走っていく。  そこには、メシアの子供たちに囲まれた勇者パーティの五人がおった。 「あっ、ツァルアナちゃん! 久しぶり、元気だった?」  ウェズモルさんがウチを見っけて手をふってくれちょる。 「僕もう疲れたぁ。早く寝たい~」 「ジュゼー! 子供たちの前ですよ」 「しゃんとしろよ、しゃんと!」  ウェズモルさんは、相変わらず聖女様……レーベロイスさんと、リーさんに叱られてばぁじゃなぁ。  勇者様に話を聞こうとするが、周りを囲んでいる子どもたちで前に進めない。 「シスター!」  勇者様がシスター・メィホを見て嬉しそうに笑う。  むう、あのクソババアのどこにそんなに喜べる要素が……。 「お久しぶりです。シスター・メィホ」 「ええ。今回も活躍したそうですね。あなたの活躍は、今や大陸中に知れ渡っています。胸を張っていいことですよ、クリフィーゼ。  もちろん、ライヒム、ジュゼー、ロロア、バルド。あなたたちもよ」 柔らかく笑ったシスター・メィホに、勇者様はさっきとは違いどこかほっとしたように表情を緩めた。 「シスター! 怖かったよぉおお! でも僕頑張ったんだよ、すごいでしょ?」  ウェズモルさんがシスター・メィホにとびつく。  あ、ライヒムさんが引き戻した。 「ジュゼー! いい加減にしてください、子供たちの前で情けない姿を見せるのは」 「恥晒して恥ずかしいのは、こっちなんだからよ」  ほんに相変わらずじゃのぉ。  本来遠い存在の勇者様たちじゃが、ウェズモルさんのおかげで二歩ほどウチらに近づいてくれてる気がする。 「ねえ勇者様、かくれんぼしよーよぉ」 「ああ、もちろんいいよグスター。じゃあ、僕が見つけに行こう。みんな隠れておいで!」  勇者様の言葉に、メシアの子供たちと勇者パーティの四人がわあっとばらけた。  ウチも隠れんと!  えっと……じゃあ、ベッドの中!  ウチは、ラテのベッドにもぐりこんだ。
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