HARIKOMI Bitter&Sweet

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   午後7時。結城さんと僕は、またしても無言のまま、事務所内の打ち合わせテーブルに向き合って座っていた。但し、今の無言状況は軽い放心状態とも言い換えられ、どこか心地良い疲労感を伴うものでもあった。  事務所に戻るなり、僕らは所長から報告を受けたのだ。  依頼人である奥様から連絡があり、今回の件、自分の全くの誤解であったということを。  愛人と思っていた女性は、夫の親友の妻だった。その親友は、昨年癌で亡くなったのだが、生前彼は、(業界では名の通った)映像作家である夫に頼み事をしていた。それは、中学生になる息子が彼の作品に憧れ、同じ世界を目指しており、自分が死んだ後、時々目をかけてやってほしいということだった。夫は親友の頼みを快く引き受けた。依頼人である妻が愛人と勘違いしたのは、夫の死後、挨拶に訪れた親友の妻を励ましていた際の状況であったのだ。  無論、マル対が親友の妻に、多少なりとも下心を抱いている可能性はゼロではない。けれども、夫から説明を受けた依頼人が夫を信じ、こうして依頼を取り下げたのなら、とりあえず良しとすべきだと僕は思った。  これまでに、何度も人間不信に陥りそうな浮気事例を見てきたけれど、たまにこういうケースもあるのだと、少し心が安らいだ。    先ほどから結城さんは、窓の外を見ながら考え事をしている。きっと彼女も、僕と同じふうに感じているに違いないと思った。 「あ、そうだ」  僕は急に思い出して、リュックの中からチョコを取り出した。 「ビターテイストとスイートテイストがありますけど、どっちがいいですか」  結城さんは、ぽかんとした表情でしばらく二つのハートを眺めていた。  やがて、おもむろにそれらをパッケージから取り出すと、真ん中でパキッと割った。 「半分こずつ食べよっ」  と言って、彼女は子供みたいな可愛らしい笑顔を初めて見せた。そして二種類のテイストで再びハート型を作った。  来年のバレンタイン。  その日がやって来るまでには、彼女がチョコレートをあげたくなるような存在になってみせるぞ。  苦くて甘いチョコを噛みしめながら、そう僕は誓った。 〈了〉
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