鈍色の情景

1/1
前へ
/6ページ
次へ

鈍色の情景

 こんこん、と誰かが窓を叩く音が聞こえた気がして、僕は窓の外に視線をやった。  だがそこには誰もいない。窓には無数の水滴が散らばり、格子模様を形成している。僕はそこで、今の音の正体が雨粒だったことに気づいた。  僕は自宅のリビングからその光景を見ていた。テーブルには食べかけのトーストと、冷めたコーヒーが並んでいる。平日の午後のこの時間は車の騒音もなく、僕は雨の音に耳を澄ませながら、その灰色の世界に身を委ねることが出来た。  この鈍色(にびいろ)の空の下で、人々はどんな風に過ごしているのだろう。駅の入口では、傘を忘れたサラリーマンが立ち尽くし、鞄を頭に乗せて家まで全力疾走するか、それともコンビニに立ち寄ってビニール傘のコレクションを増やすかで頭を悩ませているのだろう。向かいのマンションでは、主婦が天に向かって悪態をつきながら、干したばかりの洗濯物をせっせと取り入れているのだろう。でも近所の通学路では、ぴかぴかの長靴に小さな足をしまい込んだ小学生が、わざと水たまりにはまってはきゃっきゃっと声を上げているかもしれない。そんな情景が、まるで目の前で見ているかのように僕の眼前に浮かび上がってくる。  でも実際に僕の目に映っていたのは、窓ガラスを滴り落ちる雨粒と、その向こうで蜃気楼のように浮かび上がるコンクリートの塀だけだ。  6月の下旬。止むことのない霖雨(りんう)を見て人々は嘆息するのだろうが、僕にはどうでもいいことだ。僕はただ、自分とは無縁の世界の出来事としてその光景を眺めているだけだ。頬を伝う雨粒の冷たさを感じることも、降りしきる雨足の音を聞くこともなく。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加