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安息の日々
こうして僕は、予期せぬ形で長期休暇を与えられることになったのだった。
最初のうちは習慣的に早く目が覚めたが、すぐに会社に行く必要はないという事実を思い出し、奇妙な気分で二度寝することを繰り返した。昼頃までたっぷり睡眠を取り、ゆっくり食事を味わい、ぼんやりとテレビを観るという貴族のような悠々自適な生活を送った。
だが、心の内ではいつもさざ波が立っていた。自分が世間から乖離しているように思えて、最初の頃は早く復職することばかり考えた。
でも、ひとたび仕事のことを考えると身体中が鉛のように重くなって、その日はまたベッドから起き上がれなくなってしまった。上手く眠れたとしても今度は上司が夢に出てきて、大勢の前で口角泡を飛ばす場面が何度も再生された。そのたびに僕は布団から飛び起き、冬にもかかわらずしとどに濡れたパジャマを着替えることになるのだった。
心療内科の医師からは、今は仕事のことは考えずに治療に専念するよう助言された。だが僕は、その助言を素直に聞き入れることが出来なかった。僕がこうして休んでいる間にも、同僚達はどんどん仕事を覚えて先に進んでいく。僕はただでさえも愚鈍なのに、これ以上差を広げられては帰る場所がなくなると思ったのだ。
だが、僕が早く病気を治そうとすればするほど、回復は遠ざかっていくように思えた。医師の言うとおり、今は病気を治すことに専念しなけばならないのだろう。
僕はひとまず今の生活パターンを定着させることにした。余りある時間を使って家事に精を出し、空いた時間には読書をしたりクラシック音楽を聴いたりした。外出するのはスーパーへの買い物の時と心療内科への通院時のみで、それ以外はずっと家で過ごした。
その静謐な時間と空間は、砂漠のように荒涼としていた僕の心に潤いをもたらしてくれた。身体中に蓄積されていた疲労が徐々に解放されていく感覚があって、仕事の夢を見ることもなくなった。
そんな生活を続けて早4か月が経った。決まったパターンを繰り返す新たな日常は、僕の心に平和と安寧を取り戻してくれた。僕は自分がつい半年ほど前まで、怒号と喧騒にまみれた社会にいたことを半ば忘れかけていた。
だから通院時、すっかり顔馴染みになった医師にかけられた言葉は、まさに青天の霹靂だった。
『かなり調子が戻ってきたようですね。もうそろそろ、復帰に向けた準備を始められてはいかがですか?』
それが職場への復帰を意味する言葉だと理解するのに少し時間がかかった。次第にその意味が飲み込めてくると。身体が重くなるあの感覚が久しぶりに蘇ってきた。キーボードを叩く硬質な音、鳴り止まない電話、上司の罵声などが鮮烈に蘇り、晴れやかだった心にすうっと黒雲が差してきたような感覚があった。
『もちろん、無理に始めなければいけないわけではありません。あくまで心身の状態を見ながらということです。休職終了期間までは、まだ2か月ほど猶予がありますからね』
僕が黙り込んでいるのを見て、医師は慰めるように言った。だが、その言葉はかえって僕を追い詰めただけだった。
あと2か月で、僕は再びあの嵐の中に身を晒さなくてはいけない。誰もが他人を顧みる余裕などなく、ただ勝ち続けることを求められる冷雨の中に。
その診察を受けたのが昨日の午後のこと。医師の言葉は呪いのように頭を離れず、僕は何もする気が起きずに窓の外を眺めているのだった。
窓の外では、今もまだ雨が降り続けている。鈍色の空は一向に晴れる気配を見せず、陰鬱な影を世界に落としている。
ほんの数日前まで、その灰色の世界は僕の理解者であった。静かに降りしきる雨音は僕の心をそっと慰めてくれているようで、僕は雨が降るたびに窓を開けては、霧雨の音に耳を傾けたものだ。
だが今は、篠突く雨の音が僕を追い立てているように思えた。いつまで家の中に閉じこもっているつもりだ。早く外の世界に戻って来なければ、お前は永遠に行き場を失ってしまうんだぞ。僕には雨がそう忠告しているように思えた。
僕だって復職のことを考えなかったわけじゃない。それこそ休職開始当初は、早期に復職することばかりを考えていたのだ。だが、自分を脅かすものが何もない空間に身を置く中で、僕は次第に社会復帰への意欲が削がれていることに気づいていた。
ひとたび社会に戻れば、僕は再び絶え間ない不安と懊悩に身悶えることになるだろう。せっかく取り戻した心の安寧が、風に吹かれて消え去ることを僕は怖れたのだ。
出来ることなら、僕は今の生活を続けていたかった。でも、10か月しか働いていない僕に多額の貯金があるはずもなく、生活費はすでに底を尽きかけている。いつまでも窓の外を眺めて生活しているわけにはいかない。
だけど、どうしても不安になる。僕のような弱い人間が生きていくには社会はあまりにも苛烈だ。誰もが自分のことで精一杯で、迷いや悩みは心の弱い人間の戯れ言として切り捨てられる。自己責任という名の鞭を振り翳し、他人の痛みに寄り添うことなく、傷ついてボロボロになっている人に対してすら「頑張れ」と言葉をかけることしかできない。そんな凍てついた世界の中で、僕は僕なりに必死に生きてきたのだ。
僕が働いてきた10か月間は、傘も差さずに雷雨の中を走り続けていたようなものだった。ようやく雨宿り出来る場所を見つけたのに、どうしてまたその中に戻らなければならないのだろう? 降り止まぬ隠霖は、僕の中に茫漠と漂う不安そのものだった。
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