呪いの絵

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「私は死ぬことができないの」  テーブルの上に置かれたリンゴみたいな蝋燭の灯りに照らされて、青(あおい)みゆき の影は、笑うように揺らめいた。  僕は恐怖と性的興奮が入り混じったような訳の分からない感情に襲われていた。 「死ぬことができない?」  ああ、そうですか。なんて言えるわけがない。僕は馬鹿みたいに鸚鵡返しに聞き返した。 「そう、そういう呪いにかかっているの」  やばい奴だ。通常ならそういう判断を下し、もう二度と近づかなかっただろう。  いくら見た目が美人だからって、僕にだってそれくらいの分別はあった。  しかし、今は逃げるわけにはいかない。 「その代わりに、この力を授かったのよ」  青みゆきは切れ長の目を伏せてペインティングナイフをとると、イーゼルに掛けられたキャンバスに大胆にこすりつけた。  そこに描かれているのは若い男の人物画だ。まるで過去からそのまま切り取ってきたかのようにリアルだった。蝋燭の灯りだけの薄暗い部屋で、その黒目勝ちな瞳は絵の中で濡れたように煌めいていた。 「それでは今から、この人を殺します」  青みゆきはそう言うと、ナイフで赤の絵の具を掬った。 ―――― 2 ―――― 「呪いの儀式は人類の歴史が始まった時から存在したと思うぜ。丑の刻参りだったり、不幸の手紙だったり、恋を成就させるおまじないだって呪いの一種だ。時代によって形を変えながら脈々と続いている。人間の歴史は恨みの歴史だよ」  成瀬はAランチの唐揚げをバクバク食べながら言った。  僕らは大学の学食のいつものたまり場で昼食を食べていた。窓から見える中庭には、しとしとと雨が降っている。梅雨の雨は夏の暑さと交じり合って不快な色をしていた。 「彼女は呪われているのは自分だと言っていたよ、死ねない呪いらしい」 「そりゃあいい、不老不死の呪いか、俺もそっちがよかったなあ」  僕の報告に成瀬は全く動揺していない。世の中、こんな人間は少数派のはずなのに僕の周りには多すぎる気がする。それとも僕の感覚がおかしいのだろうか。 「んで、俺はどんな風に殺されるんだ? それと油絵はちゃんと実物通りのイケメンに描いてあったか?」  成瀬はあっけらかんとしている。 「時間をかけて写真のような精密な絵を描いて、また同じくらいの時間をかけてゆっくり殺していくらしい。だから直接の死因は分からないよ」 「九相図みたいなもんか、洒落てるな」  九相図とは、打ち捨てられた人の死体が朽ちていく様子を描いた仏教絵画の事だ。鳥や獣に食われ、腐り、微生物に分解されて、最後は骨になる。もしそこまで丁寧に描いていくのだとしたら、まさに呪いの儀式だ。効果がありそうな気がしてくる。 「体の調子は何ともないのか?」 「当たり前だろ。まさか本当に信じてるのか、呪いを」  成瀬は飲もうとしたお茶を吹き出しそうになりながら、僕の心配を一蹴した。少しでも心配した自分を呪ってやりたい気持ちになる。  事の発端はこうだ。  ある時、僕は成瀬から、「俺の活動の邪魔をしている奴がいる、調査したいから手伝ってくれ」と頼まれたのだ。  その調査の内容は、ある”噂”の検証だった。  いま占い好きの女子の間で、よく当たる占い師がいると話題になっているという。そんな話は珍しくないが、その占い師には裏の顔があり、呪いの代行まで請け負っているのだという。その呪いで人が死んだらしいのだという。  馬鹿馬鹿しかったし、協力する気も全く湧かなかったが、僕は過去のある事件で成瀬に借りがあり、半ば強制的に調査するハメになったのだ。  成瀬は用意周到だった。既に件の占い師の連絡先を突き止めていて、裏の仕事を依頼する条件も調べ上げていた。  その条件とは、『呪いたい人物の鮮明な写真』と、『その人物の体組織』を用意し、『たとえどんな結果になっても絶対に口外しないこと』と、『二度と占い師の前に現れないこと』後はお礼のお布施だった。  『絶対に口外しないこと』が条件なのになぜ噂が広がるのかと成瀬にツッコミを入れたが、「その条件は逆に噂を広めるために付与するんだよ」と当然のように返された。  「でも、まあまあ大変だったよ、手当たり次第に女子高生に話しかけてたから、職質されまくった」  と成瀬は笑っていて、僕は呆れた。  その後、僕は成瀬に、三万円と、小さなビニールパックに入れらた髪の毛、成瀬のキメ顔の写真が入った封筒を渡され、占い師「青みゆき」に会うことになってしまったのだ。この写真の男を呪い殺してくれと依頼するために。  当日、待ち合わせ場所の喫茶店に現れた青みゆきは美大生だと自己紹介をした。僕や成瀬よりいくつか年上に見えた。思っていたよりも若くて僕は驚いた。切れ長の瞳と漆黒のロングヘア、古風な花柄のワンピースを着た、どこか悲し気な美女だった。僕は何故か、白い蛇をイメージした。  絵が完成するまで二週間かかった。普段は「殺す」段階を依頼者に見せることはしないらしいが、成瀬にダメ元でいいから頼んでみてほしいと懇願され、打診してみたらあっさり了承されたのだ。  僕が儀式を見学し、情けないことに吐きそうになってしまい、しどろもどろな理由を述べて早々に青みゆきのアトリエから逃げ帰ったのが、数日前のことだった……。 「でも、成瀬、自分自身を呪わせて、一体何の検証なんだよ」  僕はランチを食べ終えて、プラスチックの湯飲みに入れたお茶をすすった。 「まあそれはこれから分かるよ。じゃあ行くか」 「行くかって、どこへ?」 「決まってるだろ。青みゆきに会いに行くんだよ」 ―――― 3 ――――  条件、『二度と占い師の前には現れないこと』を破るハメになった。僕は訳もわからず成瀬に連れられて、青みゆきに仕事を依頼した喫茶店に向かった。僕らは窓際のテーブル席に座ると成瀬はアイスコーヒーを三つ注文した。 「青さんには、君の名前でもう連絡してあるよ」  成瀬は平常運転だ。 「どういうことだよ、説明してくれ」 「まあまあ、いいからいいから。呪いが効かないから金返せって送っただけだから」 「はあ? そんな理由でわざわざ来るかよ。ブロックして終わりだろ」 「大丈夫、きっと来るよ」  成瀬は自信あり気に笑っている。こういう時の成瀬には不思議な強者感がある。まるで未来を既に知っているような確信めいた安心感を察知してしまう。きっとそれは僕の誤解なのだろうけれど……。  暫くすると、驚いたことに青みゆきが現れた。鍔の広い帽子を被り、小さな顔に不釣り合いな大型のサングラスをかけていたが、あの日と同じ花柄のワンピースですぐに分かった。彼女は、店員に一言二言話すと、すぐに僕らを見つけてこちらへズンズンと歩いてきた。そして成瀬の顔を確認すると、一瞬、表情をひきつらせたが、すぐに隠した。 「どうぞ、座ってください」  成瀬はそう言うと、席を立ち、僕の隣へ移動してきた。青みゆきは僕ら二人と向かい合わせに座った。 「初めまして、成瀬と言います。俺の顔は知ってますよね」  青みゆきは小さく「成瀬……」と呟いたがそのままじっとしている。  成瀬は少し待ってから続ける。 「率直に訊きます。どうして、こんなこと、人を呪うなんてことをしているんですか」 「これは一体どういうことなんですか、説明してください」  青みゆきは成瀬を無視して、ゆっくりと僕に向かって言った。  「いや、その、すみません。僕もよくわかってないっていうか……」    僕はそうするしかないので、正直に答えようとした。 「呪いなんてないんですよ」  しかし、成瀬が僕の言葉を遮った。 「ありますよ」堪り兼ねたのか、青みゆきは漸く成瀬を見て、答えた。 「いや、ないです。現に俺はこんなにぴんぴんしてます。あなたの呪いが本物なら俺は死んでるはずでしょ」 「私は絵の中で”あなた”を確実に殺しました。効果が表れるのはこれからですよ」 「あなたにはそんな力はありませんよ、だから自分の呪いも解けないんだ」  その言葉を聞くと、青みゆきはキッと成瀬を睨んだ。その瞳は揺らいで見えた。    僕は依然として状況が理解しきれていない。青みゆきは目の前にいる成瀬が僕が殺害を依頼した人物だと分かっている事は分かった。 「俺が解いてあげますよ。あなたの『死ねない呪い』を」  成瀬は全く怯まない。そして突拍子もない事を言った。成瀬が青みゆきの呪いを解く? 「ちょ、ちょっと待てよ成瀬。いい加減に何をしたいのか説明してくれ」  僕はとうとう割って入った。涙目の女性の怖い顔に完全に動揺もしていたし、空気は悪くなる一方なので、二人の仲裁役を買って出た。成瀬は頷いた。 「青さん、”あなたが描かれている絵” はまだ持っていますか?」 「え……、な、なんで知ってるのよ」 「やっぱりあるんですね。”青さんの絵” が。じゃあ、俺の顔を見て何か気が付きませんか」 「あなた、成瀬……、なるほどね、道理で似ていると思ったわ」  僕は会話に全くついていけずに、アホな犬のように二人の顔を交互に見た。 「ごめんごめん。説明するよ」  成瀬はコーヒーを一口飲んでから、話し始めた。 「憎い相手を絵に描いて、そして、殺していく。それがこの呪いの儀式だったよな。じゃあさ、もし『途中で殺すのをやめてしまったら』どうなると思う?」 説明すると言ったが成瀬は僕に質問で答えた。悪い癖だ。 「え、そしたら呪いは完成しないわけだから、相手には何の影響もないんじゃないのか」 「本当にそうか? 呪うために時間をかけて丁寧に描かれた絵にはさ、確かに『命』が宿るんだよ。だからこそ、『殺す』ことができるんだ。つまり、ちゃんと『殺し』てやらないと、いつまでもその絵の中に『囚われる』ことになるんだ。命は絵の中から出る事ができなくなる」  僕はゾッとした。あの日、青のアトリエで見た油絵の中の男の生々しい瞳の輝きを思い出した。 「だから『死ねない呪い』なのか。ちょっとまってくれ、ってことは、青さんも呪いの絵を描かれた被害者ってことなのか? 誰がそんなことを」 「兄貴だよ、俺の」  成瀬の言葉を聞くと、青みゆきは嗚咽して、テーブルに突っ伏してしまった。 「えぇ! 成瀬に兄貴がいたなんて知らなかった」 「もう居ないけどな。行方不明なんだ。生きているのか死んでいるのかもわからない」  成瀬に行方不明の兄貴がいたこと、目の前で泣き崩れる青みゆき。僕の頭は情報を処理しきれずにフリーズ寸前だった。 「呪いの絵の話を聞いたときに、もしかしたらと思ったんだよ。俺の兄貴が昔、呪いを証明するために考えた手法だったからな。噂の占い師が女性だって分かってガッカリしたけど、君に調査を頼んで良かったよ。『死ねない呪い』の話を聞いて確信した。やっぱり兄貴のだってね」  青みゆきは顔をあげて、ハンカチを取り出して顔を押さえた。大きく一つ深呼吸をして、ぽつりぽつりと話しだした。 「あの人の絵が、人を呪うための絵だなんて信じたくなかった。でも、死んじゃったのよ、描かれた人が、二人もよ、そしてあの人も姿を消したの」  青みゆきは成瀬の兄と恋人同士だと思っていた。好意から自分の絵を描いてくれていたのだと思っていた。  でも、赤い油絵具でまるで血まみれのように塗り重ねられた自分の絵を見つけてそれが幻想だと知ったのだ。 「兄貴はそういう奴だよ、悪魔とか悪霊とか、とにかく何か得体の知れない禍々しいもの、そのものだった」  成瀬は何の感情も乗せずにサラサラと言った。 「青さん、でもなんで、呪いの儀式を受け継ぐようなことをしたんですか。自身の呪いを解くためですか?」  僕の質問に青みゆきは、 「帰ってきてほしかったの」と小さく答えた。 ―――― 4 ――――  僕と成瀬は、学食のいつもの溜まり場で、だらけた時間を過ごしていた。久しぶりに空は晴れて、窓から見える中庭には学生たちが寝ころんでいる。  あれから青みゆきは、占いも、もちろん、裏の稼業からもすっぱりと足を洗ったようだ。結局、成瀬の兄貴からは何の連絡もなかったようだった。 「なあ、成瀬、お前さ、青さんの呪いを解いてあげるって言ってたよな」 「ああ、解いたよ」 「どうやって解いたんだよ。命の囚われた例の絵をもし最後まで描いたら青さんは呪われて死んでしまうし、そのままなら、それはそれで死ねないままだ。お寺かどっかに頼んで、お焚き上げでもしたのか?」 「いやいや、だからさ、呪いなんてないって言ってんだろ。気持ちの持ちようだよ。そもそも『死ねない』なんて死んでみなきゃわからないだろ」  言われてみれば、確かにそうだ。青さんは改心した時点でもう呪縛から解き放たれていたのかもしれない。 「そりゃそっか。何より青さんに殺されたはずの成瀬が、こんだけ元気なのが証拠だよな」 「あーあれは、俺じゃないよ」 「ん? どういうことだ?」 「青みゆきが俺だと思って呪い殺した絵は、俺じゃないって言ったの」 「え、だって、成瀬の写真と、髪の毛も僕は確かに青さんに渡したぞ」  僕はとてつもなく嫌な予感がした。 「あの写真は兄貴の若い頃のだし、髪の毛も兄貴のだよ。だからもし、呪いが本物なら、今頃、兄貴はあの世に旅立ってるよ」  僕は成瀬の底の見えなさに恐怖すら感じた。  固まっている僕を気にもせずに、 「もし生きてても、いつか俺が殺すけどね」と、成瀬は笑った。
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