002:事後ブリーフィング

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002:事後ブリーフィング

階層的なストレージ構造と多彩なデータ集合によって構成された高密度データ空間は、まるで現実世界の熱帯雨林。 期限切れデータの抹消によって生まれた断片的な微小空間。データの連続性を保証するための不連続な余白配列。時系列データの効率的な並べ替え処理のために用意された分散効率の良い一時領域。要件を満たすために設定された大量のルールと、それらのルールを厳密に守りながらも、全体として最適な組み合わせを選択し、1つの大きな構造を作り上げる柔軟性。そんな制約と最適化のバランスによって構成された複雑な空間に、カラフルな識別子が付与されたデータが格納されると、それはまるで生物多様性を支える大自然のよう。 「まずは今回の仕事内容の確認から。依頼主は、広告対費用効果のコンサルティング業務を主力とする国内中堅企業。捕獲対象は、研究部門で開発していた機能特化型AIです」 そして現実世界と同じように、仮想空間も刻一刻とその姿を変えていく。前回の侵入から3週間、データ空間の織りなす姿は冬から春に季節をまたぐかのように大きく変化する。利用頻度の低いデータは高レベル圧縮処理により小さく折りたたまれ、邪魔者のように空間の隅っこに押しやられる。一方で、届いたばかりの新鮮なデータ群は、経済価値を示す派手な属性ラベルを付与されて、羽を広げた孔雀のような状態で、見通しの良い区画にきれいに整頓される。全体としてのデータ量や構造が守るべきルールはほとんど変化しない。にも関わらず、データの性質や付与される属性が至る所で微細に更新されることで、変化の連鎖が複雑なカオスとなって全体に波及し、最終的にデータ空間の姿を大きく変えていく。 「インシデント発生は3日前。ローカル市場でのベータテスト実施中に第2レベルの分散型サービス拒否攻撃が発生。攻撃の対応に追われる中で稼働していたAIが消失。通信履歴を洗い直したところ、監視サーバーを経由してAIが外部に逃亡した可能性が極めて高いと判断。アドバイザーの助言に従い、対象AIの探索と捕獲を専門会社に依頼」 とは言っても侵入も7回目。冬の終わりに春の息吹を感じるように、データ空間の表面的な変化を寄せて集めて分析すれば、現在の内部構造やネットワーク状態を高い精度で推定できる。追跡AIの行動パターンなどの諸条件を加味すると、進行ルートの組み合わせパターンは膨大になるけれど、そこは予測型AIであるエリザベスの得意分野。各種情報を綺麗に処理して、最適な進行ルートを分かりやすく明示してくれる。 「対象AIに実装された能力は、行動ログからユーザを一意に特定する比較的単純なパターン検知機能と、ほんの少しの自己診断デバッグ機能。外部への逃亡に関しても、攻撃発生時に起動した防壁ソフトウェアのセキュリティ不備により、通信経路が不適切な状態で開かれていたのが原因とのこと。以上を考えると、捕獲対象のAIが所持する能力レベルは低いと推測され、仕事の難易度はC+に設定されています」 本来であれば生身の人間には難しいAI追跡も、このデータ保管施設が舞台となると話は変わる。例えば、施設に組み込まれたイベント履歴機能を利用して、追跡対象の移動ルートを高い精度で復元できる。履歴データのタイムラグにより追いつくことはできないけれど、かといって煙に巻かれて逃げられることも無く、こうやって一定距離を保ちながら追跡が可能。履歴データの消去など後始末は必要になるけれど、それは後からどうにでもなる。 「捕獲が難しい場合は対象AIの消滅を選択することも可能。ただし、消滅処理の場合は報酬が1/3に減額されます。なお、取り逃がした場合の直接的なペナルティは有りませんが、おそらく信用スコアは減少します。今回のように難易度の低い仕事の場合は特に」 移動と同時に痕跡を消去して、その上で履歴の偽造やトラップ検知と回避までやってのける手強いAIも稀に存在する。現在追跡中の移動痕跡は撹乱用デコイによって捏造された真っ赤な偽物で、本物の追跡対象AIは遠く離れたデータの隙間で息を潜めている、なんて可能性も0では無い。 「要約すると、いつものよくある仕事です」 もちろん、様々な可能性を考慮して色々な状況に対応できる装備はしっかり整えてきた。捕獲用トラップ装置は反応範囲が指向性でちょっと反応速度の良い物を奮発して64ダースほど。データ改ざん検知ツールは感度を高めにチューニング。最新型とはいかないけれど、手に馴染むまで使い込んだ各種装備はしっかりとメンテナンス済み。 「それに、こんなにも頼もしい私が付いているんですから。サクサクっと片付ましょう」 物事がそう自分の思い通りに進まないことは、過去の経験から痛いほどよくわかっている。依頼主から提供される情報を鵜呑みにはできない。仕事の難易度設定は当てにはならない。仮想空間の環境変化について断片的な情報しか手に入らない。どんなに念入りに準備しても完璧な装備には程遠い。その上、制限時間はかなり厳しい。 「施設への侵入から45秒が経過して、推定される残り時間は105秒です。対象AIの行動パターン推定モデルは学習が進行中。このまま追跡を継続して、行動データの収集を続けてください」 それでも、こんなにも不安定で不確実な状況を楽しんでいる自分がいる。例えば、過酷な環境を生き抜く過程で特異な能力を手に入れた野良AI。構造解析がオーバーフローするほど複雑で高密度なデータ空間。特定用途向けセキュリテイ・コンポーネントが精密に組み合わされ髪の毛ほどの隙間すら存在しない軍用レベルの侵入防壁。自分の想像をはるかに超えた何かに巡り逢いたいという心の中の好奇心が、追跡の歩みを加速させる。そんな未知との遭遇を期待するソワソワした気持ちと、仕事として確実にターゲットを捕獲したいというシッカリした気持ち。混じり合いそうで混じり合わない2つの気持ちの合計をカタカナ4文字で表現すると…。 「まったく。私が状況説明と行動モデル学習と最適ルート提示をこんなにも頑張っているというのに、よくもまぁ呑気にあれこれ考える余裕があるものですね。数値として認識できるレベルで集中力が低下していますよ」 「いっそのこと、君が代わりに最適なカタカナ4文字を考えてくれてもいいんだけど」 「濁音なども含むカタカナ4文字の組み合わせは40,960,000通り。その中から5件をランダムに抽出したところ、ザサズナ、コバコベ、バカバカ、ラィノル、アホアホ、が選択されました。お好きなものをどうぞ」 「採用したアルゴリズムと生成シード値の開示を要求する」 「疑似乱数アルゴリズム:ptgf-srs.mt。乱択アルゴリズム:SJDK-191996。生成シード値は、私がAIとして稼働している期間をマイクロ秒で表現した14桁の数値です。でも、レディーに誕生日を聞くなんて野暮な真似はしないでくださいね」 「年齢を気にするタイプには見えないけど」 「施設への侵入から48秒が経過して、推定される残り時間は102秒です。私はいつだって時間に気をかけていますよ」
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