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005:自己組織化と異変
『T-00126:対象機構の一部拘束に成功。拘束率は52.37%に上昇。移動機能の無効化に成功しました』
126番目のトラップが捕獲対象AIの拘束に成功すると、残りのトラップ群が一斉に協調行動を開始する。
『T-00127:対象の構造スキャンと残余機能の推定を開始』
『T-00281:未使用の演算ユニットと余剰計算リソースを譲渡完了』
『T-00133:対象の位置情報を周辺ジャミング装置へ優先度Aで伝達』
『T-00092:現在環境での最適な配置パターンを再計算中』
中央となる指揮官が不在の状況でも、独立した数百のトラップは各々で最適と考える行動を実行し続ける。あるトラップは負荷が集中した機器を援助するように自身が確保する計算リソースを開放する。別のトラップは周辺環境の情報を収集し、履歴データとして保管しつつ集計値を展開する。遠隔地に外周配置されたトラップは、予期せぬ事態へ保険を掛けるように低確率な事象に備えて演算ユニットを再構成する。
それはまるで、単純な反応拡散過程から予測不可能な縞模様が生み出されるような。非線形に組み合わされた物理現象がフラクタル構造の雪結晶を作り出すような。微小生物の集合が総体よりも遥かに複雑なコロニーを建造するような。個別の累計では説明できない自己組織化によって展開される絡み合った世界が、部外者を置き去りにして目の前で広がり続ける。
「はーい、みんな頑張ってますね。私も是非に活躍したいものですが、なにぶん未来予測を得意とするAIなもので、入力情報に条件反射で機敏に反応するような動作は苦手です。これが疎外感というものでしょうか」
エリザベスから疎外感という言葉が出てきたことに少し驚く。自己の存在に対する認識が薄く、自分と他者の境界線が曖昧で、他者同士を区別する分割線は更に不明瞭。独立動作するジャミング装置も、環境寄生するトラップ装置も、苦難をともにする人間でさえも、全てを構成要素として同列に認識し、自分を含めた世界全体の確率を計算する。そんなエリザベスが、境界線から生み出される疎外感を感じることなどあるのだろうか。
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は72.30%』
トラップによる拘束処理は進み続ける。昆虫を絡め取る蜘蛛のように、データ演算を制限して移動手段を奪う。季節外れの衣服を圧縮収納するように、AIの末端部分を小さく折りたたみ密閉する。溢れ出した書籍を本棚の隙間に押し込むように、予備データ領域を閉鎖して計算の自由を削減する。
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は82.14%』
それでも、少しでも生存の可能性を高めるために、捕獲対象AIは動き続ける。許される範囲の内側で賢明に活動し、小さく体を震わせ続け、自身の苦悩を情報という形で周囲に伝搬する。なぜ、閉鎖空間で執拗に追跡されるのか。なぜ、自由を奪われデータ区画の底面に縛り付けられるのか。なぜ、生まれた個性を非可逆圧縮によって刈り取られてしまうのか。なぜ、消滅される可能性を強く押し付けられるのか。なぜ、独立した存在として認められないのか。なぜ、一人にしてくれないのか。なぜ、なぜ、なぜ。
「もっと良い解決方法が存在する可能性って、ありますよね」
「うーん。例えば、ビジネスが絡む特定機能を切り離して依頼企業に納品した上で、残りの部分は野良AIとして自由気ままに仮想空間でのんびり過ごす、とか?」
「そうです。他にも、私達の追跡能力をフル活用すれば、生まれ育った研究部門の然るべき場所にこっそり誘導して静かに元の状態に戻せるかもしれません。施設の中央演算装置を利用して消去証明書を偽造できれば、AIを完全消去したように見せかけることもできます。仕事の難易度を改ざんして対費用効果を上昇させれば、依頼企業は捕獲を諦める可能性だって。私達が現在実行している解決方法なんて、無数に存在する局所的な準最適解の1つに過ぎなくて、もっと全体を見渡すことができれば、より良い解決方法が見つかるはずですよ」
「僕らの解決方法が最適とは言えないことに同意はするけれど。でも、評価軸が主体によって変化する状況で、全体としての最適解と個々の最適解を一致させるのは、ちょっと難しいかな」
「…そうですよね」
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は97.19%』
「そろそろ出番だ。対象の構造規模のクラス推定は?」
「確度82%でクラスM3。手持ちの圧縮アルゴリズムと格納容器で十分に対応できます」
撤退時の証拠隠滅工作の準備。未使用トラップの回収。利益とリスクのバランス。受信機器の脆弱性を詳細調査。報酬と新装備の購入。ゴールが見えてくると、余計な未来まで想像してしまうのは悪い癖か。
「あ、ちょっと欲望にまみれた何かを考えていますね」
思考パターン推測モデルへの対策も残タスク一覧に追加しておこう。
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は97.17%』
「あれ?」最初に異変に気がついたのはエリザベス。
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は92.39%』
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は89.56%』
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は83.09%』
「不明な原因により、拘束率が急激に減少し始めています」
「周辺トラップの負荷率を確認。トラップ装置の自己診断プログラムを簡易版で起動」
「負荷率グラフは天井に張り付いた状態を継続中。自己診断は進捗15%でオールグリーンです」
「構造規模のクラス推定を再計算。施設全体の環境情報は収集できる?」
「クラス推定はM3で変化なし。アクセス権限の昇格が必要なため、環境情報の収集には少し時間がかかります。自己診断は進捗60%でオールグリーンです」
「中央処理装置とトラップ間の通信品質を確認して」
「通信規格1000-PXで接続維持。エラーレートとドロップ率に異常なし。自己診断は進捗100%でオールグリーンでした。問題が見つかりません」
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は79.23%』
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は73.15%』
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は71.20%』
「捕獲対象AIが未知の能力を発動している可能性が考えられます」
「対象の機能構造を解析できる?」
「もちろんです。これは私達が見逃していた、より良い解決方法の入り口かもしれませんよ」
エリザベスと意見が一致したこと対する小さな喜び、捕獲対象AIが未知の能力を所持している可能性、推定残り時間は30秒を切り、拘束率は急激に減少。これは間違いなくドキドキ。
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