2.ジョン・ニッケルの親切

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「軍曹殿! こちらに抜け道があります!」  離れた場所から上がった声に、軍曹はさっと振り返ると鋤を放り出した。兵士も後に続く。ニッケルはコンポストにちらりと目をやり、躊躇(ちゅうちょ)したものの二人を追った。  兵士たちは、先ほどニッケルが使った抜け道の前に集まっていた。 「ここの板が外れるよう、細工していたようです」  自分が板を戻していなかったのが誤解されたようだとニッケルは気づいた。彼は動揺を仏頂面の下に押し隠して言った。 「細工だと? 随分前から準備していたということか。ここの警備はどうなってる?」 「奴は外に出たな。検問で抑えろ!」  軍曹が吠えた。兵士たちが一斉に駆けていく。怒りで顔を真っ赤にしている軍曹にニッケルは声をかけた。 「現場はこのままにしておけよ。情報局で調査する」 「……将軍に報告します」  軍曹は落ち葉を蹴散らして去っていった。その姿が見えなくなると、ニッケルは大きく息を吐いた。落ち葉が板壁の内側に向かって押し出されていることは、誰にも気づかれていないようだった。 「アースキン、四番の『兎穴』が軍人に見つかった」  ニッケルはあごを引いて言った。 「情報局で捜査するようにしたから、人員を手配しろ」 『了解』 『ジョン、大丈夫か?』トマスが通話に割り込む。 「お前は三番ゲートに車を回せ。誰かに止められたらおれを迎えに来たと言え。詳しくはあとで話す」  通話を終えたニッケルは、人気のなくなった納屋に戻った。女は逃げているだろうと思ったが、コンポストは離れたときと同じ状態だった。  人はこんなにも長く息を止めていられるものだろうか? 不穏な考えが頭をかすめ、ニッケルはコンポストの枯れ葉をかき出し始めた。発酵中の熱が白い湯気を立ち上らせ、どろどろの液体が袖口にしみ込む。浅い部分に手がかりがないことを知ると、ニッケルはジャケットを脱いでヘドロに肩まで突っ込んだ。液面にキスするくらい顔を近づけて探っていると、手の甲が実体のあるものに触れる。ニッケルは自分も半分コンポストに入り込むような体勢で、女を引きずりだした。  てっきり溺れたものと思ったが、外に引き出したとたん女はえずき出した。地面に腕を突き、立ち上がろうとしてそのままくずおれる。 「おれにつかまれ」  ニッケルは女のかたわらにしゃがみこんだ。 「迎えの車が来る。それに乗るぞ」  雲が流れ、隠れていた月明かりが二人の足もとにさし込んだ。うつむいてあえいでいた女が、顔を上げてニッケルを見る。  その顔は、腐りかけた落ち葉とヘドロで汚れているにもかかわらず美しく見えた。ニッケルは、月からやってくるという精霊の話を思い出した。あれは東洋の神話ではなかったか?
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