2.ジョン・ニッケルの親切

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 足を止めたニッケルにトマスも気がついた。ニッケルは相手の女性に遠慮して軽くうなずくと、そのままメイン会場の広間に入った。ちょうど大統領のスピーチが始まるところだった。  拍手で迎えられたハリー・グレグソン大統領が演壇に立つ。その後ろにはヴォーン将軍も控えていた。 「皆さん、ありがとう。お酒は足りているかな?」  来賓が肯定の声をあげ、会場は再び拍手に包まれる。来賓へ感謝と歓待の言葉を述べる大統領は、早朝のくたびれた寝間着姿からは及びもつかない威厳と自信にあふれて見えた。  スピーチを聞いていると、隣にトマスが立った。 「これまでのところ、問題は起きてないよ」 「さっきの美女は誰だ?」ニッケルは小声で聞いた。 「我らが国家芸術協会の新人歌手だってさ。このあと一曲歌うらしい。もしかして気に入った?」 「はあ? お前の恋人じゃないのか」 「まさか。あそこに立っていたら声をかけられただけだよ」  あっさり言い放つトマスに呆れ、ニッケルは長年の疑問を口にした。 「お前、誰か特定の恋人はいないのか?」 「急にじじくさいこと言うんだな。しかし、その言葉すっかりお返しするよ」 「……おれのことは知ってるだろう。女に逃げられるたちなんだ」 「逃げているのは兄貴のほうだと思うんだけどなあ。寄ってくる(ひと)はそれなりにいたのに、恥ずかしがって手も握らないから」 「そんなことはない」  顔をしかめたニッケルに、トマスは会場内を見回した。 「今晩は美女が選び放題だぞ。僕がちょうど良い人を見つけてやるから、条件を挙げてみろ」 「条件ねえ……」  スピーチはまだ続いている。ニッケルは、大統領のジョークにヒイヒイ笑い声を上げるどこかの大使婦人を一瞥した。 「とりあえず、騒がしい女性は無理だ。あとは……まあ、そんなもんだな」 「嘘つけ! 聖人みたいなこと言っても騙されないぞ。見てわかる特徴をくれよ。髪の色は? 目の色は? スレンダーかグラマラスか?」  トマスがニヤニヤしている。不利な局面で戦わないことを信条にしているニッケルは、この話題に乗ったことを後悔し始めた。逃げ口上を探していると、広間の隅に立っている女に目が留まった。給仕の一人か、うなじの後ろでシニヨンに結われている黒髪が絹の袋のようにつややかだ。 「……これまでに交際した女性は、ブロンドが多かったな」  ニッケルはつぶやいた。 「それじゃ候補を絞りきれないな、もう少しないのかい」 「歳は、近い方がいいな。若すぎると疲れる」  あの女はまだ二十代だろうか。すらっとしていて、ぱっと見は少年のようだ。 「太りすぎは嫌だが、痩せ過ぎもそそられないな」
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