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「死んだ時の事ばかり考えるよりも、今生きてる人の事をもっと大事にしないとダメよ」
これはナナの母が、幼い頃のナナに言った言葉だ。祖父が亡くなった時に初めて葬式を経験した当時のナナは、人が死ぬという事が理解できず、無神経にも祖父の娘である母にその疑問を投げかけていた。悲しみの底にいたであろう母は、それでもナナの疑問に答えてくれた。この時ナナは、幼いなりに死者を弔うという事を覚た。そしてナナは母にこう言った。
「それじゃあ、私のお葬式は、沢山の人が来てほしいな。私が死んだら、お母さんも私のお葬式に来て、いっぱい泣いてね」
死ぬという意味をやはりよく理解していないナナのこの言葉に対して、母は言ったのだ。死んだ時の事よりも、生きてる人の事を大切にしろと。
母のこの言葉を、後にナナはもう一度聞く事になる。
ナナが社会人になって間もない頃、今度は祖母が亡くなった。体調が悪くなって入院していた祖母に、母は時間の許す限り側に寄り添った。ナナは就職時に地元を離れていたため毎日病院へ通う事はできなかったが、休みの日はできるだけ帰省した。一、ニ週間毎に見る母の顔は、明らかに疲弊していた。
このままでは母が倒れてしまうと感じたナナは、母にもう少し休むように言った。母は充血した目をナナに向けて、少しだけ笑った。
「人はね、死んでから弔ったりしたって、本当は意味なんてないの。お母さんは、おばあちゃんに恩返ししてないから。今しかできない。生きてるうちに、大事にしないといけないの」
祖母が亡くなってから十年ほど経つ。今日、母は独り暮らしをしているナナの家に居た。ナナは母と一晩中話し続けていた。祖父や祖母が亡くなった時の事をよく話していた。
母が死んでからでは遅いのだ。生きている内に大事にしなければ。だから今日は眠らずに、ナナは母と話している。
──夜が明けはじめた。
だめ。まだ明けないで。夜が明けてしまったら、この部屋をはっきりと見渡せてしまう。
お母さん、夜が明けてしまうよ。何とかしてよ、お母さん。
滲んだ視界は、母とナナを無情に突き放していく。
「いつまでも子供みたいな事を言わないの。ナナはもう大人なんだから、一人でも大丈夫だよ。お母さんは、ナナをずっと見守っているからね」
だめ。お母さん。だめ。
部屋に太陽の光が射し込む。俯いて瞬きをして、顔を上げると母はもう見えなかった。そして、一晩中話したはずなのにナナはもう母と何を話したのかを覚えていなかった。残ったのは、喪失感と後悔だけだった。
いつだって、失ってから気付く。いや、失うまで見てみぬふりをする。そして当たり前のように後悔する──。
「お母さん」
この部屋に自分以外の誰かが入ってくるのは珍しい。
「あら、お父さん、どうしたの。ナナが恋しくなった?」
「俺はいつでもナナが恋しいよ」
ナナの父は力なく笑い、母の正面に腰を下ろした。
「いるんだろう?ナナはここに」
「さぁ。いるかもしれないし、いないかもしれない」
そこにナナがいてもいなくても、二人がナナとここで向き合うことの意味は変わらない。
いつまでも、変わらない。
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