朧げな記憶

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朧げな記憶

時間とは残酷なものだ。どんなに光り輝いたものでさえ[風化]という形、呼び方で過去のものになってしまう。 それは記憶や感情でさえも同じだ。どんなに心地よいと感じた場所も時間によって風化してしまうと思い知った。いつしか心の歯車がまた錆びついていくような感覚を覚えた。その時、どこからか声が響いた。 (~~~は大~夫~よ。) よく聞き取れない。 誰が何を言っているのかわからない。それどころか目の前の景色も白黒になりだした。その時不意にこうやって時間を飛ばすのだろうかという馬鹿な考えが頭に沸いた。なぜこの考えが浮かんだのかわからない。だが、なぜかこの考えを否定できずにいた。  次に見えた景色の中で自分は制服を着ていた。3年間ほど時間を飛ばした事になる。今の状況を思い出してみる。記憶なら必ず何か覚えているはずだ。 おかしい。 何一つ思い出せない。これが記憶でないなら一体なんなのか。諦めてこの時間軸に従うことにした。 似たような朝が訪れたようだ。変わらずに「おはよう」と言われてしまう。反応も変わらずに「うん」と言うだけだ。いや、むしろそれだけしか言えないといった方が適切だろう。そうして死んだような日々を過ごす。時間軸が変わってもやる事は同じだ。今、自分は青春を無駄遣いしているらしい。今の年代は青春という鎖で縛られている。そしてこの鎖の解き方を知らない。だから無駄遣いをするしかない。そもそも興味がないのだ。そんな状態が続いた。いつしか家に帰る時間が楽しみになっていた。自分は孤独に愛されているなどという馬鹿げた考えさえ持ってしまった。そんな日は決まって月夜に出向く。夜は良い。夜の暗闇が時間の馬鹿げた孤独感を持ち去ってくれるかのようだ。そんな月光は風化してしまった自分の歯車を優しく見守ってくれているかのようだ。誰もいない道を選んで歩く。どうやら自分は人混みが苦手らしい。記憶が思い出せないためにこうして少しずつ自分を知らなくてはならない。この作業が実に物悲しい。自分の無力感と向き合うかのようだ。 ふと思った。 今の自分は本当に自分なのだろうか?周りから見れば何を言っているのかと笑われてしまうかもしれない。だが妙にこの考えが現実味を帯びるきっかけになることに気づいてしまった。 自分の名前が思い出せないのだ。 思えば今の今までずっと名前を呼ばれていた気がした。しかしその声は霞んでしまい、僕の耳に届くことはなかった。なぜ今まで気がつかなかったのか。その答えは分かりきっていた。自分に興味がないからだ。自分だけじゃない。この世界の森羅万象全てに興味がないのだ。そのせいで歪んだ心はついに記憶まで捻じ曲げたのだ。だが、自分でも驚くほど前向きになり、思い出せないなら諦めようと思い出した。そうして家に帰る。家に帰ってからも何度か名前を呼ばれた感覚があった。それは感覚に過ぎなかった。そんな青春の無駄遣いの日々を過ごす中でも時間は待ってくれない。夏が終わる。これからは夏の向こう側へと歩いていかなければならない。 なぜか夏が終わるのを頑なに拒む感覚に襲われた。自分は夏がそこまで好きではないはずだ。夏の向こう側の方が好きなはずだ。なぜここまで拒むのか。 (考えてもしょうがない) 考えることを諦めた。また頭の中で声が聞こえる。(~~~で~~~~~。) 前より聞こえなくなっている気がする。そもそもこの声はなんだ?何が言いたい?謎が増えるだけだった。わからない事をいつまでも考えるのは無駄だ。そこで別の違和感を中心に考えることにした。過去にこの声を聞いたことがある気がする。遠い日の声だ。全く思い出せなかった。思い出せる日は来るのだろうか。自分で呼び寄せるしかないのだろう。 日が進むにつれて呼ぶ声は霞みをまし、視界から色が消えていくのを実感している。これは現実に戻ろうとしているのだろうか?そんな訳ないと思いつつも否定できない。前にもこんなことがあった。否定できないからといって真実とは限らない。あくまで1つの可能性としてみることにした。何しろ何もわからないのである。どんなにか細い可能性でも縋りたい気持ちだ。最近は夢を見ることが多くなってきた。しかもその夢は決まって荒れ果てた荒野をただ歩いてる夢だ。もしこの夢が現実だとしたら?今がただの夢だとしたら?正直夢は覚めないでほしいと思う。何もないことは幸せだから。しかし、この幸せも長くは続かないような気がしてならない。悪い予感はだいたい当たる。"昔からそうだ。"昔とはいつなのかなんて知らない。だが遠い記憶の断片が絡みあうようにそう思えた。次に目が覚めるのはいつだろう。何年先か何十年先かあるいは何百年か。あまり飛ばないと良いななどと思いながらまた眠りにつく。目が覚めると飛んでいないと良いななどと思いながら。  目が覚めるといつも通りの風景だった。いや、微妙に違うような気がする。結局何が違うのかはわからなかった。背が伸びたのだろうか?なんだか以前よりも目の前の情景の霧が濃くなったような...?まもなく飛ぶのかもしれない。しかもこの霞具合は相当な時間を飛ぶだろう。あるいは目覚めが近づいているのかもしれない。今までの記憶は全部夢で本当の現実は別にあるのかもしれない。それならそれでいいと思った。視界が良くなるなら良い。別にこの世界に未練などないのだから。その状態から1週間が過ぎた。なかなか飛ばないな...。もしかしたら自分でも気づかない未練があるのかもしれない。それともただ心の準備が出来てないだけか。今から自分はタイムトラベラーになる。今か明日か明後日か...。未練...。未練か。そういえばあったな。未だに人間らしい感情を抱いたことがなかった。しかしこの感情は人間らしいかもな。いつしかこの世界を離れるのを寂しいと感じるようになった。自分の未練は人間らしい感情を知ることだったらしい。正解とでも言うように霧が濃くなっていく。タイムトラベラーになるのは今日だったみたいだ。どこからか声が聞こえた。この声ははっきりと聞こえた。たしかに言っていた。 「いってらっしゃい」と。すぐに帰るよと言いたかったがそうもいかないだろう。さよなら記憶の断片。 もうすぐ夏になるらしい。夏の匂いとともに旅できるのは少し贅沢すぎるかもな。夏の空気が記憶を運んでくれるようだ。これから春の向こう側へ行くんだ。夏に空気を胸いっぱいに吸った。 続く
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