捨て去りたい過去

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捨て去りたい過去

 僕は朝が嫌いだ。 目覚まし時計の音、朝食の匂い、準備をする空気感その全てが嫌いだ。さらに遡れば寝る前も嫌いだ。「寝る」ということは今日に別れを告げるということだ。今日あったことも全て今日に別れを告げることでリセットされてしまう。そしてまた同じような朝が訪れるだけだ。ピピピピと目覚まし時計が鳴る。僕はそっと体を起こす。  「ハァ...」 僕の朝はため息から始まる。ついでに言えば「おはよう」という言葉も嫌いだ。昨日の夜に別れを告げるようなそんな気がしてならないからだ。 扉を開けると当然朝食の匂いがする。その匂いに包まれながら「おはよう」と言われる。僕は消えいるような声で  「...うん」と言う。 朝の準備をする時間は空白だ。何を考えるでもなくただただ空白の時間が流れるだけだ。そんな時間を過ごしてるうちに家を出なければいけない時間になる。家という空間からでる事でいよいよ朝を認めざるを得ないような気がしてしまう。そして学校に着くと皆口々に「おはよう」と言い合っている。 (皆は朝が嫌いではないのだろうか) (そんな簡単に朝を認められるものなのだろうか) 夜行性の人間にしかわからない考え方だ。そうして朝をやり過ごす。そうして夜を告げる。夜は好きだ。今日の事実を振り返ると共に達成感が襲ってくる。しかしこの達成感も寝るまでの短い期間だけだ。そうしてまた変わらない景色の朝が訪れてしまう。夜に別れを告げたくなくても朝が襲ってきてしまう。  なぜここまで朝が嫌いになってしまったのか。それは人生に満足していないからだろう。楽しいような事や人生にとっての光があれば少しは早々に朝を認められるのだろう。あいにくそんなものは持ち合わせていない。この場所にはそのようなものは存在しないのかもしれない。錆びついた歯車を無理矢理動かしているような限界が近いような生活を送っていた。そんな生活にも終わりが来た。この地を離れる事ができるのだ。 (この場所にいても人生の光はささない) そんなことを思いながらこの地を離れる。自分がこの地を離れる事で悲しむ人などいるのだろうか。錆びついた歯車の地にそのような綺麗な心は存在しない。そんな事は分かりきっていた。自分が離れる事で悲しむ人がいるような人生を送ってみたい。そんな淡い期待を持ちながら次の地へと向かった。その道中はいわば歯車の錆落としだ。そのおかげか新しい地には綺麗な心を持つ聖人達がいた。その聖人達と暮らす中で自然と自分の錆びついた歯車の錆が落ち、綺麗な音を鳴らしながら回り始めた。そんな気がした。 そして朝が訪れた。またピピピピと目覚まし時計が鳴る。そっと体を起こす。不思議だ。ため息が出ない。それは自分にとってなんとも言えない喜びだった。今まで空白だったノートに新たな言葉や感情が描かれていった。思わず笑顔になってなってしまう。僕の人生の道しるべをくれたのは新しい地の住民達だった。夏の優しい風が頬を撫でる。 続く
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