7

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

7

 そんなある日、ヨンチョルの在住する地区の商工会議所にて…。 「アバン(済州島語で「お父さん」という意味)、あたしにはあんまり用のない商工会議所に呼んでくれてありがとう。ここ数カ月続く配給暮らしには、あたしだってウンザリしている。もう日本全国で、まともな交通も運輸も流通もほとんど麻痺している状態だからね。ここ1年の騒動で、倭奴(ウェノム=日本人の蔑称)が良く言えば『自他ともに理不尽な目に遭うことを拒絶している』・悪く言えば『他者のための労苦なんて意地でも背負いたくない』っていう国民性だったことが浮き彫りにされて、ホント、見ていて滑稽で飽きが来ないよ。...でも在日コリアンのあたしたちだって、韓国や北韓本土の国民なら誰でも味わう理不尽な国防の義務を、免除されているからね。ネット右翼の主張するものとは全く違う意味での『在日特権』を、あたしたちは享受しているのよ」  ヨンチョルの一人娘・ヒスンの通う大学院も、今やカネのある若い研究者たちはすぐさま海外に「留学」という体裁で亡命し、国内に残った者たちも院生・指導教官を問わず研究をボイコットして、最早まともに機能していない。 そこでヨンチョルは、することのなくなった彼女を普段から縁のない商工会議所に連れ出して、自分たち在日コリアンの店舗経営者の日常を垣間見せる所存だったのである。  ヨンチョルは宣う。 「ヒスン、お父さんは数理経済の研究者として大学の教壇に立つのがお前の択んだ将来だと思って、ずっとこの在日コリアン商工会議所には招くこともなかった。しかし、日本のありとあらゆる生活インフラが『国民皆兵制』導入に猛烈に反対する日本人の所為で壊滅状態になり、文明が崩壊しているとしか思えない状況では、学問だけで食って行くことも難しい。そこで、だ。お前にも自分たち在日コリアンの今後の商売のあり方について話し合うところを見せようと思って、ここに呼んだのだよ」  ヨンチョルは、今まで「数理経済学」という学問の研究以外のことなんて何もしてこなかった自分の娘が、この文明の崩壊した状態の日本ではサヴァイヴすることも儘ならなくなると予想していた。そこで、商売(=生き残り)のノウハウを彼女に教えるつもりだったのである。 「はいよ!みんな、今週の分の配給お待ちどうさま!入手ルートについては、訊くんじゃねーぞ!」  在日コリアン商工会議所にて、僑胞へ配給する物資を手配している個人輸入代行会社の社長がビニール袋に包んだ食糧をそれぞれ手際よく分けて行く。ここ最近、コンビニやスーパーすらシャッターを降ろしているので、人々は物々交換で食品・衣類等の生活必需品を入手している。そしてこの在日コリアンのコミュニティのみならず、誰もが入手ルートについては「訊くんじゃねーぞ!」という案件に関わっているのであった。  ヨンチョルの経営する韓菓専門店も、今や冷蔵庫すら停電でまともに使用ができず、菓子の原料であるモチ米もハチミツも手に入らない状態が何カ月も続いているので、妻と娘を餓死させないためには配給に頼るしかない。店舗のシャッターに「本日臨時休業」の貼り紙をして久しい彼は、タシク(茶食=練り菓子)もヤックァ(薬菓=揚げ菓子)も作れない状態が続いているので、騒動が落ち着く頃には自分の製菓職人としての腕がガタ落ちしていないか否か心配だったのである。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!