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宮本青
賑やかにさんざめく夜へ、カン――ッと甲高い音が突き抜ける。押し開かれた非常扉から貫志は飛び出した。階段を駆け降りる。男たちが続いていく。室内では気がつかなかったが、夏の終わり、最後の蝉の鳴き声が騒々しかった。貫志は踊り場の柵に足を掛けて身を乗り出しかけた。追ってきた男が怒鳴り声を浴びせ、首根っこを掴んでくる。一瞬、地上四階から見下ろした夜の新宿。誰もが皆明るい表情で、別世界の人間のように見えた。
身体を引き戻してきた刺青の男は、その勢いで階段に投げ落とさんと振るう。だが貫志が飛び降りようとしたのは相手の虚を衝くためだ。腰を低くして身体を旋回させ、男と立ち位置を入れ替える。奴が振り向く前に渾身で蹴り落とした。男は悲鳴を上げながら階段を転げ落ちていく。素早く姿勢を構えて、次にやってきた極道へフックをかます。拳を握った指に男の歯が当たる感触がして、思わず吐息に熱がこもる。
貫志は歯の隙間から「シッ」と息を吐いて、顎にアッパーを決めた。サッと横に避ければ、気を失った男が重心を崩して、非常階段の下へ吸い込まれていく。息を吐く間もなく階段を駆け上り、また現れた男の鳩尾を勢いのまま拳で突き上げた。
踊り場に転々とする男たち。見下げて、血の混じった唾を吐く。重くなった足を無理やり引き上げて階段を上がる。非常扉のドアノブに手をかけて、一気に引いた。
身体中の骨が悲鳴をあげて、だんだん視界も朧になっている。だが、心臓は場違いみたいに昂っていた。現れた男は、貫志を前にすると幽霊でも見たかのように表情を歪めた。貫志は間髪なく男のこめかみをストレートでぶち破る。脳に衝撃を喰らった彼は、白眼を剥き、横倒しになった。
あと何人だ。これ以上はもう、どうにもならない――……
「待て」
低い声が貫志の足に絡みついた。
同時に、重い殺気を背後に感じる。貫志はゼエゼエ息を荒くしながら、ゆったり振り向いた。
男が四人立っていた。一人は煙草を吸っていて、他の三人はバッドや警棒など得物を振り上げている。彼らは、たった今時が止まってしまったように微動だにせず、目線だけ煙草の男に向けていた。
「そいつに手出すな」
貫志と目が合ったのは煙草の男だった。彼だけが時間を手に入れたように自在で、煙草をふかしている。揺蕩う煙は空間を遊んだ。他三人はタバコの男に追従して、貫志に攻撃もできないでいる。
『待て』は煙草の男の命令だった。対象は三人の白シャツ男たちだ。貫志はバネのように左足を蹴って、白シャツの一人に掴みかかった。男が反撃してくるのを避けて、そのまま顎を突き上げる。
「おい」
黒髪の男はやはり貫志ではなく身内の行動を制限した。伸びた男の隣、ヤクザ風の男が金属バッドを振り下ろそうとしたが、黒髪は面倒そうに低く牽制してバッドを抑え込む。
これではまるで、貫志を守ろうとしたみたいだ。
理解が追いつかなくて追撃を躊躇った。
戦いの場だ。こいつ、何してんだ? 混乱した矢先、黒髪が振り向いた。
深い青の瞳が貫志を射抜いた。静かな水面が瞳に広がっているようだった。
「クソッタレ!」
瞬間、黒髪男の回し蹴りが腹に決まった。重い一撃に貫志は叫びながら膝をついた。血の混じった唾液が飛び散る。くそ、油断した。かろうじて二本足を踏ん張るが、後悔する間もなく髪を掴まれて、大外刈りで地面に打ち倒される。受け身を取るのが遅れた。強く頭を打ち、痛みに悶絶する。
黒髪の鋭い靴先が貫志の口を突き上げた。容赦なく体重をかけられて今にも顎が砕けそうだ。黒髪は余裕そうに煙草を咥えた。白シャツがすかさず火をつける。貫志を瞬く間に制圧した黒髪男は、軽く非常扉の方に視線をやった。
「お前がやったのか」
首に刺青が見えた。こいつもヤクザか。
他と違う洒落た風貌をしていたが、この強さは極道者でないと信じられない。
男の容姿は奇妙だった。黒スーツに黒シャツ。派手な服装は奴らの常だ。特段目をつけるまでもないが、おかしなのは異様なまでに整った容貌だった。
スッと通った鼻筋と慎重に線を引いたような二重瞼。半端なレベルではなく美しい顔面が、この血の生臭さに似合わない。やけに無気力で、気怠げな雰囲気をしている。冷たい目をしていた。表情はない。感情がないみたいだ。
貫志は喉元を奴に晒しながら、身動き一つできなかった。反応をしろと意味で、上顎を強めに蹴られる。煙草をふかしながら、黒髪は繰り返した。
「お前がやったんだな」
男の声は囁くように小さい。
貫志はわずかに頷いた。
黒髪は煙草を一気に吸い込んで、あっという間に灰にした。靴先が離れた。傍にいた白シャツ二人が貫志の両腕を拘束し、一つに縛り上げる。黒髪は貫志から目を離さない。次の煙草を味わいながら、ジッと見つめてくる。貫志は痛みも呼吸も忘れるほど、奴の視線に支配されている。
「坊主、どこの組」
「……俺はカタギだ」
「カタギがカタギなんて言葉使うなよ」
黒髪は面白くもなさそうに形だけ笑みを描いた。声はやけに優しかった。
両腕を拘束された貫志は膝をつく形に押さえ込まれている。手を出せない貫志の頬に、黒髪の指が触れた。鷲掴みされて、強引に顔を精査される。
「名前は」
答えずにいると、後ろから「答えろ」と野太い声が怒鳴り上げた。黒髪の男は静かに煙を吐いて、ゆったり瞬きをした。
次に予備動作なく貫志の鳩尾へ拳を入れる。
重い一撃。溜まった血が唇から溢れた。貫志は肩を揺らして必死に呼吸を続けた。黒髪は貫志の髪を掴んで勢いよく地面に打ちつけた。強烈な痛みに意識を失いかける。骨張った手で頬を掴まれ、手前に寄せられた。
「名前」
「……聞くならそっちが先に名乗るべきじゃねぇの」
貫志は荒い呼吸の隙間に吐き捨てる。顔をずらして、黒髪の指をガチンと噛んだ。
怒号なのか悲鳴なのか二人の部下が声を上げた。黒髪は何も言わず、そっと身体を離した。直後、貫志の頭を踏みつける。
鼻骨から嫌な音がした。血が吹き出て目の前が黒く染まる。凄まじい衝撃に今度こそ星が散った。血が絡んで粘力の増した唾液がぼたぼた垂れる。黒髪は全く変わらない声色で、「なぁ、答えろって。面倒なんだよ」と血の絡んだ頭髪に煙草の火を押し付けた。
「……カンジ」
息が続かなくなってきた。
「フルネームだろ? カンジさん」
黒髪が目を細めて、殴りつけてくる。
「は、はるさき。春崎貫志」
男は「良い名前だな」と口元を吊り上げた。笑ったのか、歪めただけなのか。眼は異様に暗かった。こいつは何も『良い』だなんて思っていない。
……殺される。
貫志の身体がガタガタ震え始めた。
殺される。このままだと、躊躇いなく殺される。コイツは笑みを張り付けながら人を殺す類の男だ。今までに相手した男どもとは格が違った。
この風俗店に運び込まれてから、貫志は現れる男たちをひたすら殴り飛ばしてきた。それらとは一線を画している。敵わない、と本能で悟る圧倒的な強者を前に、貫志の身体は鉄線が張り巡らされたかのように動かなかった。
歯が小刻みに震えて、カチカチと音を立てた。火打ち石なら炎が生まれている。粘土の高い血が唇からダラリと垂れ下がる。身体は動かない。
しかし、負けるわけにいかない。
貫志の目に潜む闘争心を拾った黒髪は、「ダメだなこりゃあ……」とボヤいたが、ふと全身を眺めて、
「ああ」
と吐息をこぼした。
「なるほどね……」
貫志の服ははだけていた。運び込まれた時は気を失っていて、勝手に性交させられそうになっていたが、途中で目を覚まし喧嘩が始まった。
半端になったシャツは知らぬ間に破かれていたものだ。黒髪は、貫志が此処で何をされようとしていたのか理解したようで、解決の糸口を見つけたとばかりに目を細める。
黒髪は手近な部屋へ向かう。二人の部下が貫志を抱え上げて追き従う。貫志はハッとして「離せ!」と大声を上げたが、難なく運び込まれた。
黒髪の男が無気力に「縄」とつぶやいた。二人の男は縄を使って慣れた手つきで貫志の上半身を拘束する。肩に容赦ない蹴りが入った。床に転がされた貫志は決死の抵抗を試みて暴れる。
が、黒髪が傍にやってくると、震えが身体を支配した。男は貫志の顔を覗き込み、やはり何か審査するような目つきをする。
部下の一人が貫志のボトムを下着ごとずり下げた。
「やめろ!」
貫志は怒号した。
「暴れるな」
黒髪が頭を殴りつけてくる。
「……っ」
「暴れたらテメェのちんこ両足ごとぶった斬るぞ」
興味なさそうに言って、棚の方に目を向けた。
部下の一人が棚を漁り、何やら道具を取り出していた。「滑るヤツ何か……クスリ。どうせなら」と黒髪が指示を出す。最低最悪の奴らに捕まってしまった。血の気が引いた。ドッと背中に汗が浮く。
「さっさとしろ」
男は部下に命令した。部下は貫志など物扱いで、乱暴にうつ伏せに押さえつける。肩を固定されながらも「やめろ! 触るな!」と叫ぶが、声など何も届いていない。貫志が叫べば叫ぶほど事が進んでいく。うまく、運ばれていく。
「やめ……やめろ! ひっ……!」
黒髪の男は貫志の足に体重をかけて固定して、躊躇いなくアナルに触れた。孔を慣らしもしないで二本指を突き刺す。「もう一錠寄越せ」の声で貫志は発狂した。何か薬を入れられたのだ。貫志は「死ねクソ野郎!」と歯を剥き出しにして吠えた。
「テメェ何入れた!」
「ぶっ飛ぶお薬」
「な……ふざけんな……離せっ!」
ローションの冷たさが現実感を助長した。殴られるよりも、蹴られるよりも、ソレが一番恐ろしい。薬を入れられた場所に発熱を感じる。あからさまな身体の異変に震える貫志は、「やめろっ」と叫び続けた。
「やめろ! 離せ! ……ぁぐっ」
腹に一撃を喰らう。直後、長い指がナカに侵入する。三本指は内壁をこねくり回すように動きはじめた。黒髪の表情も、男たちの顔も見えない。奴らは何も語らなかった。貫志の悲鳴だけが響く。
「やめ……ぅあっ、あ!」
薬は脅威の即効力だった。貫志のナカは平気で快感を拾い始める。強引に進められているのに順応する自分の体が恐ろしい。抵抗する力をみるみる失って、体内を犯す刺激を拾う力だけが強くなっていく。
「死ねっ、あっ、死ね、あっうぅっ」
鼻水と涎と血が混じって床にこぼれ落ちた。男の指は前立腺を弄るのにシフトしていた。敏感なしこりを二本指で擦られると、ピリッと刺激が走って、みるみる腹に熱が溜まっていく。最初はゆっくりと撫でるように、次第に押し上げるように抜き差しされ、ぐぽと激しい水音が立った。
「あっあっ、ふざけ……てめ、殺すっ」
「うるせぇなぁ……お前。勃ってきたぞ」
無反応だったペニスも徐々に芯をもっていく。貫志が何か言おうとするたび前立腺をぎゅーっと挟まれた。そのままグジュと腹側の壁を擦り上げられるとナカが男の指を締め付ける。
「いっ、やだ……うーっ、あっ、あっあっ」
薬のせいで頭が働かない。腹がアツい。全身の痛みが快感を助長する刺激になっている。腰が重くなって、言葉も重くなった。荒い呼吸と嬌声を繰り返すばかりでろくに叫ぶこともできない。
「やめ……うっ、んっ……っ」
もう限界だ。アツくて気持ち良くてイキそう。貫志の両目から涙が溢れる。力を振り絞って「やだ、やだやだやだやだ……」と首を振るが黒髪の男は聞いていない。「お前ら、外の伸びてる奴らをどうにかしてこい」部下たちに命令する。白シャツの部下二人が貫志の肩を解放した。快楽を受けるばかりで脱力した身体は抵抗できない。黒髪は指を抜き、貫志を仰向けに横たえた。両足を抱えられるとぐずついた箇所が男の前に晒された。蕩けたアナルからローションがコポ、と溢れる。
「――ああ、そういや」
黒髪の男は、前髪の隙間から青い瞳を覗かせた。それは鬼のように美しい微笑みだった。
「俺の名前だったか」
くたりとした貫志の首を持ち上げる。貫志の両目から溢れた涙が、顔を寄せられた拍子に耳の方へ伝う。
黒髪の男の親指……貫志に噛みつかれた親指は血に濡れていた。男はその指で、貫志の頬を器用に撫でた。
赤い血で頬に書いたのは、『アオ』。
男は今度こそ愉しそうに目を細めた。
「宮本青だ。覚えておけ」
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