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「ホールの方か」
「ホール? クラブ?」
混乱が生じて顔を顰める。貫志は意味不明なことを前にすると怒りが湧くタイプだ。青はそれきり無視を決めるので、ひとまず諦める。
話からするとケーキには種類があるようだ。確かに、チョコや……チョコや何かしらのケーキがある気もする。青が買ってきたのはショートケーキじゃないかもしれない。考えてみるとコンビニにも、ショートケーキは売っていない。そもそもが珍しいものなのかも。
貫志は大人しく諦めて、ケーキの箱を大事に抱えた。簡単に食べられるものではない。そういうものだ、仕方ない。ショートケーキではなかったとしても、ケーキ自体初めてだ。ワクワクしてきて、自然とニヤけた。青には半殺しにされたし、犯されかけたが、ケーキを買ってくれるので今日はよしとする。
すると、なぜか車はあのケーキ屋に戻ってきた。
何で。何。どうして。貫志は窓の外に目をやったまま固まった。青が突然車外に出た。まさか返品されるのではと怯え、箱を守るが、青はこちらに目も向けずケーキ屋へ向かった。
一体何事か。青はわりかし早く帰ってきた。次は立方体の箱をぶら下げている。
買い忘れだろうか。車に入ってきた青に、貫志は首を傾げた。グレーの前髪が揺れる。
「何それ。プリン?」
「おそらくお前の言う『ショートケーキ』」
「ふぅん」
箱を渡されたので素直に受け取る。直方体と立方体。普通の四角と長い四角。それぞれの形の二つの箱を脇に置いて、大事に保護した。
車が走り出す。青は貫志など居ないように無言で運転した。貫志はケーキの箱を眺めながら、ふと、そう言えばショートとはどういう意味だろうと疑問に思う。
部屋に帰ったら大川に聞いてみよう。
青の運転は、貫志がわざわざケーキの転倒に気を使うまでもなくスムーズだった。
部屋に帰ってきて、箱を二つ並べた。立方体の箱には、想像通り苺の乗っているケーキがおさめられていた。その何と丸くて白いこと。慎重に取り出し、感嘆する。「へぇ」「まじか」「これ作ったのかぁ」と、勝手に口から感想が漏れ出た。色んな角度から熱心に眺める貫志に、青は「んな珍しいなら写真でも撮れば」と関心のない声で言う。
写真の撮り方はよく分からない。写真なんて、一枚も持ってない。そう呟くと、また青は恐ろしい顔をした。醜いバケモノを前にしたような色が瞳に潜んでいる。何度も見た目だ。未知なモノを前にした人々の表情を、貫志はよく知っている。
貫志は内心で若干のショックを抱きつつ、恐る恐る携帯を取り出して、写真を撮るポーズを取って、しまう。世間とズレているのはこれまでの経験から気付いているし、そういう時いつも貫志は、こうしてフリでやり過ごす。少し髪を整えた。癖だった。これまでは汚さに侮蔑を向けられることが多かった。今は平気なはず、だ。
青は残りを処理するといった。お前が食べ切れるなら食べろ。余ったものを大川に食わせて、それでも残ったら俺が食う。
貫志は了解し、早速、フォークを突き刺す。
「うまい!」
生クリームが舌の上であっという間に蕩ける。魔法みたいだった。甘いだけでない。スポンジも、見た目はふんわりしているのに、口に入れるとしっとりして、頬が落ちるほど美味しい。
「うまい! 甘い!」
貫志はあまりの美味しさに相好を崩した。斜め横で寛ぐ青は我関せず焉と書類を眺めている。たまに誰かと連絡を取っていた。
興奮した貫志は身を乗り出して、
「苺もすげぇたくさんある。いくつ食べていい!?」
青は一顧だにしない。
「苺だけで元取れんじゃね? これ、いくらすんの!」
「……」
「やべぇ。このケーキ、全部食っちまいそう。半分にしておこう。ここが境界だ。今日はここまで、ここまでな。断面すげぇ。プロだなぁ」
青はノートパソコンを開いた。貫志は苺を口に放り込む。
「え、苺って何か……あんま味ねぇんだな」
「……」
「もっと強烈な味してるのかと……見た目によらねぇもんだ。人は見かけが八割って言うけどな。あれ、九割だっけ。そう言えば俺、大学でも話しかけられないや。馬鹿が透けてんのかな」
「……」
「宮本さん、苺いくついる?」
「いらねぇ」
青は眉間に皺を寄せた。何かの連絡を受けたらしい。
「でも苺も美味しいな。ずっと食べてると美味しい。思ったより苺、みずみずしいわけね。酸っぱいし。皆んなはこれがいいんだ、はぁん」
綺麗に磨かれていた灰皿に、みるみる灰が積もっていく。大川が居る時はこまめに取り替えられるが、まだ彼はやってこない。
一息ついたのか、ようやく青がこちらに目を向けた。煙草を吸いながらぼんやりと貫志を眺めている。
貫志は忙しなくスポンジを口に運んで、「うめぇ」「すげー」「やべー」と微笑んだ。
「ケーキってどうやって作るんだろ。牛乳は甘くねえのにケーキは甘いよな。しかも形が綺麗だよな。苺もたくさん乗ってるし。でもケーキってほとんどパンなんだな。クリームだけでできてるのかと……あ、ケーキは食べたことあるぜ。ショートケーキが無いだけで。ショートケーキって殆どパンなんだな。パンもうまいけど」
「お前、よく口が回るな」
青は頬を引き攣らせた。いつものように聞き取れないほど小さな声で、「それはパンじゃなくて、スポンジ」と言った。
「何が?」
「お前がパンっつってる部分はスポンジだ」
「スポンジ……」
食器を洗うスポンジが頭に浮かぶ。同じ名称を使って混乱しないのか。不思議に思ってフォークの上のスポンジを見つめる。
そう言えば、
「スポンジボフっているだろ。アメリカのキャラクター」
「……」
「あれのお母さんがジャガイモだって知ってた?」
青は深いため息をついた。肘掛けにもたれ、煙草を挟んでいる方の腕で頬肘をつき、呆れた目を向けてくる。
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