ショートケーキ

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「だから何なんだよ」 「だから何だよって何? ジャガイモからスポンジが生まれるなんて凄くねぇか?」 「そうだね」 「だから俺はさ、すごく良いなーって思ったんだ。ジャガイモなんだぁ……ってときめいた。ジャガイモからスポンジが生まれるなんて最高じゃん。ジャガイモから生まれてもスポンジになっていいんだぜ。ジャガイモから産まれて、スポンジになったのに、超明るく生きてんの。俺はその秘話に、涙が出るほど感動したわけ。先輩から聞いてからさ、ずっと爆笑して……考えるだけで嬉しくなるじゃん。ジャガイモだぜ? おもろいだろ」  青はまたメールを打つ作業に移った。貫志は構わず喋り続けた。 「でもさ、一年くらいしてその話をお客さんに話したら、『そんなわけあるか』って反論されたんだ。その場でお客さんが調べたら、確かにスポンジボフのお母さんはただのスポンジだった。ジャガイモ型のスポンジってだけだったんだよ」  思い出すと悲しくなる。自然と声のトーンが落ちると、何事かと青が目を向けてくる。 「お客さんは『やっぱりハヤトくんは……』あ、ハヤトは俺の源氏名なんだけど、『ハヤトくんは馬鹿なんだね』って笑ってた。それも悔しかったけど、確かに俺はボフのお母さんが本当にジャガイモなのか、調べる手段は無かったからその通りだし……それに、先輩もきっと本気でそう勘違いしてただけだから、仕方ないし……だからいいんだけど、それよりも、スポンジボフのお母さんはジャガイモじゃなかったんだよ。信じられるか? スポンジだったんだ。なんてことはない、スポンジからスポンジが産まれただけの話。俺、すげぇ悲しくてさ。ジャガイモからスポンジは産まれないんだって……」 「お前、まさか泣いてるのか?」  「えっ」貫志は顔を上げた。確かに瞳が湿ってる。だがひとまず「泣いてねぇし」と意地を張った。さすがにスポンジの話で泣くのは恥ずかしい。「どう考えても泣くわけねぇだろ」と低く強調した。  青は、でも、貫志の思い込みを笑わなかった。この話を別の人間に話したことがあるが、まず一番に、貫志が先輩の話を信じたことを笑われた。傷付けるつもりではないのだろうけど、貫志はショックを受けた。なぜなら貫志には、何が本当か嘘なのか分からないからだ。  社会的人間に扮して真っ当に生きているつもりだけど、義務教育も高等教育も受けていないから、ベースに確信がない。冗談だと言われても本気にしてしまうことが多い。その度笑われる。そうなると、笑いとは一体、何が楽しいのか。  だからつまり、これはあまり口にしない過去の出来事だったのだけど、青はおそらく根本で貫志に興味がないのか、『ジャガイモからスポンジが生まれる説』も茶にせずすんなり受け入れてくれた。  『だから何だよ』と返されたのは初めてだ。貫志は不思議と心が解けた。吐息とともに、ゆったり告げる。 「とにかく、スポンジからはスポンジしか生まれないんだよ。宮本さん、スポンジからはスポンジしか生まれないし、犬からは犬しか生まれない。駄目な人間からは駄目な人間しか生まれないんだなぁ。『蛙の子は蛙』なんだろ……途中で変えられない……でも、ダメになってもケーキは旨そう」  貫志はハァと、ケーキのあまりの美味しさに息を吐いた。  クラブでパーティをしていた男女たちを思い出す。ホールから突き抜けになっている二階や三階には、部屋が点在していて、そこでよくグループが騒いでいた。誕生日パーティーをして、大きなケーキを注文している輩もいた。 「アイツら、こんなうめぇモン食べてたから騒いでたのか……」 「アイツら?」  ちょうどスポンジを口に運んだところだったので返答できない。無機質では無いからすぐ溶けるけど、貫志は昔からできる限り食べ物を口に詰める癖があるので、焦った。 「まず飲み込めよ」  青は察して、雑に気遣った。青はいつでも冷めている。 「えっと、よくクラブにいた人たち。誕生日パーティーとかしてた。楽しそうだったなぁ。いいよなぁ。ケーキ囲んでさ……待てよ。そうしたら、あの四角い方もケーキか」 「お前、酒屋っつってたな」 「そうそう。シャンパンとか酒を、クラブにしょっちゅう運んでた」  今更ではあるが、はじめて会った日、青は『免許証を出せ』と凄んだが、貫志は免許証を持っていない。だから頑なに『アンタらに取られた』と繰り返したのだ。実際財布は没収されていたので嘘ではないだろう。ただ、元から貫志には公に身分を証明する物などない。  青もわざわざ確認してこないが知ってはいるらしく、「自転車で酒っつうのは、重労働だな」と言った。 「高い酒が多いから、一日数往復で何とかなる。店員さんとも仲良くなった」 「へぇ」  短くなった煙草を灰皿に擦り付ける。火が没して、白い煙が悲しそうに靡いた。 「お客さんとかにも結構絡まれるんだよなぁ……顔も覚えられたし。たまに、俺にも飲ませようとする人がいるし」 「飲むのか」 「飲まねぇよ。仕事中だから」  一度だけ、強引に個室へ連れ込まれてテキーラを十杯近く飲まされたことがあった。黒服か何かだと勘違いされたのだ。記憶をなくし、気がつくと、ベッドで裸にされていて、男二人に囲まれていた。 「何じゃ、そりゃ……」  さすがの青も引いている。  だが引く程度で分かる。青は引きながらも、事もなげに緑茶を飲んでいる。この男はやはり裏社会の住人だ。引くというより呆れているようだった。  貫志はホッとした。貫志の話は普通の人間にしても大抵理解されない。仕事以外に関しても、穢れ者扱いされてしまうのが落ちだ。 「意識がはっきりしてからは、ちゃんと半殺しにしてやった。アレが、キメセク……」  ぶつぶつ過去を反芻する貫志を放って、青は、テーブルに置かれた新聞へ手を伸ばす。無造作に広げた。切れ長の目の奥、青い瞳がゆっくりと文字を追う。
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