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「飲まされた女の子が死んじまう時とかあるよなー。喉に吐瀉物詰まって窒息死とかさ。えぐい痙攣してる奴何人も見たことある。噂によると俺の親父も酒詰まらせて死んだらしいし」
「……」
「借金取りの連中の一人も途中で来なくなってさ、なんか餅詰まらせて死んだらしい。人って何かに詰まって死ぬのかな?」
「……」
「人生詰んで、死ぬ」
「かもな」
「だから俺、運良いんだよな。詰まった! て思っても、小さい穴をいつのまにか潜り抜けてる。ギリギリで何とかなってんの」
神が味方してくれているのか、死神に嫌われているのかは判断しようもないが、結局何とかなってしまう。
正直なところ、これがどのように『運が良い』状態なのかは説明できない。
青がつまらなそうな声で聞いた。
「常に喋ってやがるな」
「何だろうな……それは俺も不思議なんだよ。宮本さん相手だと常に喋ってられる。こんなの初だ」
言いながらも理由は分かる。青とは初めからロクな出会い方をしていない。これ以上幻滅される恐れもないし、されたところで貫志にも打撃はない。だから話していられる。貫志は、他人に幻滅されると人並みに……否、人以上に傷付く繊細な男なのだ。
青が突然、低く問うた。
「身体使って金稼いでんのはいつからだ」
「えっ」
貫志はフォークの手を止めた。
脳裏に、古びた民家を振り返った夜が過ぎる。真っ暗な家。搔き消すように、「……お、ぼえてない」と言葉を濁した。
その時、ちょうど大川が帰ってきた。玄関から「宮本さん! 失礼します!」と大声が響く。元々入室の許可は出ているが、大川は必ず玄関から挨拶する。
しばらくして部屋にやってきた。ケーキの数々を目に入れると「何すかコレ」と眉を顰める。
「お前も食え」
青は飽きたのか、貫志への言及はもう止めた。そしてそれから先も、仕事については何も問わなくなった。
「食いますけど、この量は何」
青は無言で大川に煙草を勧めた。大川は「失礼します」と一本受け取る。深く煙を吸って、長く吐く。それからようやく、ケーキを一つ一つ眺めはじめた。
「何すかこの量は……祝い事? 誰か邪魔なやつ死にました?」
「お前も食え。甘党だろ」
「甘党ではありますね」
「ショートケーキ俺も好き」と箱を覗き込む大川を前に、貫志も首を傾げた。
大川が物色しているのは長方形の箱だ。中には六つのショートケーキと、他にはタルトやプリンまで。
青はどうでもよさそうに新聞を読み始めた。貫志は三角の形をしたケーキを見下ろして、
「これ、ショートケーキ?」
大川を見上げた。
大川ははじめ、何を聞かれたのか分からずに首を捻った。が、直ぐに「ああ」と頷く。長ソファに座る貫志の隣に腰掛けて、「アンタ、ケーキまで初めて食べたんすか?」と覗き込むように訊いてきた。
まで、とは馬鹿にされた気がする。大川はいつも、貫志の知識のなさに新鮮な驚きを見せる。一方で青は基本的に無反応だった。「初ケーキっすか」と揶揄う響きに、貫志は途端に不機嫌になった。
「……別に」
「はいはい。女王様、これはね、全部ショートケーキ」
「全部?」
「そう。全部」
「なんで?」
「何で⁉︎」
大川は視線で青に助けを求めるが当然の如く取り合わない。
「ショウヤさんが食ってんのはホールケーキ。よくその量食えますね」
「……」
大川は、マスカットとメロンの飾り付けられたケーキを一つ皿に移した。「これはタルトですね」と嬉しそうにしている。タルト?
「この周りの部分がクッキーになってるでしょ」
「マジじゃん」
「これがタルト」
「タルト。へー……ケーキ?」
「ケーキケーキ。いやぁ、世間知らずだなぁ」
貫志は無視をして、他の『ショートケーキ』を眺めた。苺や紫の何かが載っているケーキもあれば、チョコもある。
大川は自分で選んでおきながら「俺、ぶどう無理なんすよね」と平気で貫志の皿に移し始めた。大川曰く、皮ごと食べるのは草食動物みたいで嫌なのだと。大川は肉食系らしい。ならスイーツ食べるな。
貫志は内心で、好き嫌いがあるとはとんだ甘ちゃんだなと馬鹿にする。貫志の方は口にしないだけ気遣いを見せてやったのに、大川はと言うと、無神経にずかずか事情を訊いてくるから考えものだ。
「クリスマスケーキとか食べなかったんすか?」
貫志は口に入れたマスカットを飲み込んでから、答えた。
「どこで?」
「どこでとは?」大川が眉間に皺を寄せる。少し悩み、
「どこっつうか、過去にすかね」
「うーん」
貫志はフォークでもう一つのマスカットをつついた。コロンと避けて、なかなか刺せない。うーん、うーん……なかなか答えない貫志に、大川は質問を変えて、
「じゃあ誕生日とかは? 誕生日ケーキ。施設育ちっつっても、誕生日ケーキくらいあるでしょ」
「あるある!」ようやく、遊ぶマスカットを捕らえたので、貫志はにっこり微笑んだ。「カンジくん、お誕生日おめでとうってやつな」
「それそれ!」
「苺の乗ってるやつ」
「そう。誕生日ケーキ食べたことくらいあるだろ?」
「うん、子供たちはちゃんと食ってたぜ」
「あれ、俺ら今会話できてる?」
貫志はアハハと笑って、緑の葡萄を口に運んだ。皮ごと食べられる葡萄は、よく客の土産で食べた。これもきっとシャインマスカットだろう。大川が横流ししたマスカットを食べ切ると、自分のケーキに移る。
ホールケーキ一個丸ごと、いけそうかもしれない。吐き気もない。最高だ。とは言え、少なくとも半分は残しておく。そう決めたのだ。
貫志は苺を飲み込んでから、左手の指で円を描いた。
「だから俺、ショートケーキってこういう丸いやつだけなのかと思ってた」
「そうなんだ」
大川が和やかに笑う。大川はよく貫志の発言に笑うが、そこに、客が蔑ろにしてきた時の嫌味ったらしさはない。
はじめはあからさまに貫志を敵視してきた大川であったが、今は随分と砕けた。大川は青と同い年らしい。肝心の青の年齢はわからないが、二十後半あたりだろう。大川はときおり、現在進行形のように、貫志を可愛がる表情をしてくる。
「まぁ、英語ですもんね。仕方ないか。俺も饅頭と大福の違い分かんなかったし」
「ケーキっつったら、苺とサンタが乗ってるケーキだろ?」
「サンタは居ないすけど。その通りですよ」
「白くて丸くてさ。それがケーキだろ?」
「はい」
いつも周りの大人たちは『ショートケーキ』と口にしていた。必然的に、白くて丸いケーキがショートケーキという名称だと勘違いしていた。ホールケーキなど初めて聞いた単語だ。
そこで青の携帯に着信が入った。
終始無口で、全く二人の会話を聞いていなかった青。着信を取りながら立ち上がると、電話越しの誰かに気怠げな声で「あー……その話は昨日……」とぼやきながら、自室へ向かう。
大川も貫志も無言で彼の背中を見やった。扉の閉まる音が聞こえてくる頃に、
「あの人、はじめはこっちの長細い箱買ってきたんだ。俺が今日ショートケーキ食べたいっつったから」
貫志は独り言の声量で呟いた。
「へー。青さん、プリン好きっすもんね。それ、絶対残しとかないとどつかれますよ」
「うん……ケーキ屋行って車出した後、俺の話聞いて、またホールケーキ買いに戻ってた」
大川は声に出して爆笑したが、すぐにハッと口を押さえる。「認識の齟齬に気付いたんすかね」とおかしそうに声を堪えた。だが、青の行動に意外性を感じていないようだった。
「宮本さんはそういうとこ、ありますから」
と立ち上がり、キッチンへ向かう。ふと振り返り、
「俺が今から珍しく珈琲淹れてやりますけど、飲む?」
「コーヒー……」
貫志は顔を顰める。大川はまた疑う目つきをして、
「珈琲も飲んだことないんスか」
「苦いから嫌いなだけ!」
大川は笑って、あっそ、と背を向けた。
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