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映画
「余計なことしたら許さねぇからな」
青は毎朝脅しをかけてから、貫志を送り出す。それが彼のルーティンだ。
今日は二限の授業からだった。京谷蒼也がそうだったように、貫志は無遅刻無欠席で挑んでいる。朝は得意な方なので問題ないが、車を出る際の青の一言は得意ではない。
「調子に乗ったら潰すぞ」
「お、おう」
「行け」
やはりヤクザだ。荒くれ者特有の凄みに、毎度恐ろしさを痛感させられる。契約期間は残り半分ほど。そろそろ慣れてもいいはずなのに、いつも身震いしてしまう。
走り去るBMWを見送り、とぼとぼ大学へ向かう。今日の授業は貫志の不得意な講義ばかりだ。どの授業にしろ中身は理解していないが、教授の声がやたらと眠気を誘うので堪えるのに苦労する。
貫志の生活は、青の部屋と大学の行き来で完結している。これが仕事なのだから当たり前と言ってしまえばそうだけれど、かなり閉鎖的な暮らしだった。
青と大川以外に話す相手がいないのだ。運転手や、青の付き人などは、固定されたメンバーが代わる代わる側に控えるけれど、貫志は彼らと会話することを許されていない。ゆえに彼等も貫志を居ない者として扱う。
大学でも、会話など一切無かった。教授に解答を指名されることすらない。とにかく無言だ。
元々、他人と積極的に関わるタイプではないが、それでもバイト先や勤め先では、気心の知れた特定の仲間とわいわい騒ぐのは生き甲斐だった。今はそれもない。青は基本的に貫志には対応せず、こちらから一方的に喋り続けている形だし、大川も毎日やってくるわけではない。
寂しさを紛らわすのは、青の部屋で見る映画と、大学の図書館だ。本を読むのは苦手だが、図書館には様々な雑誌が揃えられていた。写真の月刊誌など眺めているといつの間にか時間が過ぎている。
映画館には未だ辿り着けていない。この大学の地図が難解すぎるのだ。貫志は講義開始十分前に着席し、大学の地図を広げた。どれも同じようなビルばかりだ。映画館があるのは分かっているのに、記載がないから、どこにあるのか分からない。
今日こそ見つけたいものだけど。
「――何探してんの」
昼休みを挟み、三限を終えると直ぐに席を立った。俺は今日映画館を見つけるのだ。意気込んで挑んだ建物の三階の踊り場、しかし貫志は途方に暮れていた。
「おーい」
このビルにあるはずなのに。ちっとも辿り着けない。貫志は迷子になっていた。果たしてここはどこなのか。
「ちょっと。アンタだよ、グレーの髪の」
「えっ」
が、後ろから声がかかる。
正直に言えば何となく聞こえてはいたのだけど、まさか自分に掛けられた呼びかけだと思わなかった。他にも学生はいるし、貫志は大学で話しかけられたことがない。前例が無いので現在に繋がらなかったのだ。
「何探してんの?」
洒落たベンチに腰掛ける学生は、足を組んだ体勢のまま声をかけてくる。空いた手でちょいちょいと手招きした。
貫志はあまりにも驚いて固まってしまった。反応しない貫志にも、学生は嫌な顔せずに、へらりと言った。
「最近ずっとこの辺でウロウロしてね?」
「……俺、入学したばっかで」
蚊の鳴くような声で答えると、
「もう十月じゃん」
軽やかに笑った。
続けて彼は「こっち来いよ」と強調する。身体の緊張が僅かに解け、ゆったり歩み寄る。学生は「何? 迷子?」と口元に緩やかな笑みを描く。貫志はかすかに頷いた。
「映画館、あるって聞いて……」
「シアター? 映像棟にあるよ」
聞けば、映画館だけでなく、映像を撮る機材やスタジオもこの棟に詰まっているらしい。芸術サークルは大体ここに部室がある。
学生は楽器を背負っていた。バンドでベースを担当していると言った。重いのであまり動きたくないのだと。
「何観てぇの?」
「えーっと」
テレビのCMで流れていた作品を挙げる。学生は大袈裟に「ああっ!」と嘆いた。
「残念。そういう流行りのはやってねぇんだよ。旧作オンリー」
「あ、そうな……んすか」
現在上映している作品は、街の映画館でしか上映されていない。考えてみれば当たり前だ。契約した興行の映画館で上映しなければ商売は成り立たない。
学生は「というか、アンタの言ってる映画、もうどこも終わってんじゃね」と付け加えて、携帯をいじった。
これで会話は終わりらしい。学生の気は他へ向かっている。貫志は「色々教えてくれて、すみません」と丁寧に頭を下げ、踵を返した。
かなり驚いたが、学生に話しかけられるなど光栄だった。見た目からすると同年代だろう。じわりと、嬉しさが、そしてあっという間に会話を終えてしまった切なさが心に滲む。
新作は上映していないらしいが、何にせよ、映画を見に行こう。青の部屋で観るときは一人きりだ。大川も遊びで青の部屋に来ているわけではないので、いつも仕事している。
映像棟の映画館では、きっと他に鑑賞している者もいるはず。他人と映画を観るなど初めてだった。
「待って待って!」
焦った声が貫志の肩をつかんだ。
振り向くと、例の学生が慌ててベースを背負い直している。
急いで駆け寄ってきた彼は、「帰るの早くね!?」と息を切らした。目を離すと貫志が居ないから驚いたらしい。
「焦ったよね。居ないからさ」
「あ、さーせん……」
「ほら。こっから一番近いとこまだ上映してる」
何かと思ったが、サイトを検索していたようで、近くの映画館のページを見せてきた。タイトルには貫志の挙げた映画の名前。
「観に行く?」
貫志はぱちぱち瞬きした。長い睫毛が瞬く。
「俺も観たかったんだよね。観に行こうぜ」
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