映画

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 そうして学生は、意気揚々と歩き出してしまった。三秒ほど呆然とした貫志だが、慌てて追いかける。心臓がバクバク高鳴っている。これは一体、どういう展開なのだ。  もしかして映画館に向かってる? 同年代の学生に誘われて? 事態を把握しきれていない貫志を引き連れ、青年はのどかに問いかけてきた。 「何年?」  一瞬、何を聞かれたか分からなかった。何年、とは?  答えに詰まると、学生は「あ、そっか」と頭をかいた。 「入学したばっかっつったね。一年か。俺は三年。一年ってことは十九才? 飲み行けねーな」 「あ、二十一になった」  ようやく答えられる質問が来た。貫志は必死に齧り付いた。 「まじかっ」  学生は弾けたように笑う。軽やかな笑顔に気後れしてしまう。 「本当にタメじゃん! じゃあ浪人なんだ。留年?」 「そう。ロウニン」 「へー」  言葉の意味はよく分からないがそういうことにした方が良い。事実、学生は自分の推測が当たって満足そうだった。  雰囲気に呑まれて着いてきてしまったが、既に大学の敷地を出ている。  これは青との約束違反になるのではないか。  しかし、どうしても歩みを止められなかった。 「あと十分くらいだ。先にサイトでチケット買っとくわ。席、テキトーでいい?」 「あ、え、おう」 「はいはいはい」  貫志の心は緊張で張り詰めたままだ。鼓動が身体の内側を乱暴に叩く。『タメ』の誰かと映画。頭がぼーっとしてきた。  大学近くにある映画館はスクリーンが幾つもある大きなシアターだ。都内有数の映画館の一つ。エスカレーターの流れに身を委したところで、そう言えばと言った風に学生が振り返る。 「俺、栄二っつうの」  互いに名前を知らない状態でここまで来てしまっている。同じ大学という属性による共通項は、極端なまでの親近感を抱かせる。  貫志はカタコトで繰り返した。 「エイジ」 「栄えるに、ラーメン二朗の二。次男だからさ。渋沢栄一の次男みたいな」 「あ、彼の……そうなんだ」 「アンタは?」  ――『ショウ』  ――『万が一名前を聞かれたらそう答えろ。ショウヤとはわざわざ名乗る必要はない』  はじめて大学に通う日の朝、青は鋭く命令した。  そう、だった。《貫志》はもう居ないのだ。春崎貫志の名を人に語ることは二度とない。  夢心地だった気分がサッと冷めて、貫志は心許なく「ショウ……」と答えた。  京谷蒼也が帰ってきたら、用済みになる存在だ。忘れていたわけではないが無意識に考えないようにしていた。放心しているうちにエスカレーターを乗り継いで四階に着いていた。貫志の硬い表情に気付かない栄二は「ショウ。確かにショウっぽい見た目してんね」と言った。 「……うん」 「映画よく観んの?」 「うん……。映画好き」 「俺も好きだよ」 「えっ! 俺も好き」 「いや、君から言い出したんだよ」  栄二は楽しそうに「飲み物買う?」と首を傾げた。貫志は数秒迷って、首を振る。栄二は「そう」とスマホで時間を確認し、「俺、発券するついでに買ってくる」  以前まで貫志の働いていたバイト先は、スクリーンが二つしかない小さな映画館だった。貫志は、上映作品の時刻がずらりと並ぶ液晶を見上げる。じっと見つめていると、いつの間にか栄二が帰ってきていて、 「はい、ジンジャー」  差し出されたカップを受け取った後に、貫志は「えっ」と声を上げた。 「先輩の奢りな」  カチン、と硬直した貫志は、遅れて声もなく頷いた。栄二は気にした様子もなく「シアターそこらしい」と顎先で示唆する。それから遂に、「チケット。これね」と短く言って寄越されたのは、観たかった映画のタイトルが記された券だった。  上映が始まる瞬間は心臓が飛び出そうなほど緊張した。隣には先ほど知り合ったばかりの『タメ』。他にも沢山人がいる。  初めて映画館で観た映画は、凄く面白かった。青の部屋で観た映画も面白かったけれど、巨大なスクリーンで観る作品はやはり迫力が凄まじい。話題作となっていたその邦画は、海外でも高名な賞を獲っている。  館内が明るくなってから、どっと感情が溢れて、思わず目尻を拭った。栄二は「泣くほど? あー……確かに、泣くほどだな」と頷いて認める。涙を湿らす貫志を気遣ってか、他の観客が退場し終えるまで待ってくれた。  シアタールームを出ると、館内はさらに人で賑わっていた。貫志は、上映中ずっと握りしめていたチケットを見下ろす。汗で湿って、くちゃくちゃに草臥れている。丁寧に広げて財布にしまう。 「すげぇ面白かったな」  栄二の後を追いかけて、エスカレーターを下った。貫志は「おう」と小さく頷く。 「俺、あの女優好きなんだよね。妹役のさ。去年TBAのドラマに出てたんだよ。考えたら脚本家一緒じゃね? 相性良いのかな。俺、最初のわけわからん口喧嘩のシーンすげぇ好き」 「俺も好き」  栄二の話にはところどころ理解できないポイントもあったが、貫志はお得意の何となくで相槌を打った。  ハッとして携帯を取り出す。電源が入るまでに時間を要した。 「夜からスタジオ練あんだけどそれまでだいぶ暇なんだよな。何か食い行く?」  「えっ」思わず大声が出た。栄二は気にしていない。 「適当にどっか……あ、連絡先教えてよ。突然飲み誘おうかな」  飲み。呑み。居酒屋で同い年と向かいあう日が来るなんて。  あまりにも動揺して、残っていたジンジャーのカップを落とすところだった。スマホをいじる栄二は気付かない。ラインとか、と例を挙げられたところで、貫志は「らいん。」と繰り返すだけだ。 「嘘。やってねぇの?」  ちょうど画面が明るくなる。携帯が起動を始めた。 「英語とかクラスライン入ってない? ハブられてんの?」 「……」 「まじ? あはははは」  ――『どこにいる』  メッセージが入っていたのは四十分前からだった。  怒涛の着信履歴。
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