喧嘩(ステゴロ)

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喧嘩(ステゴロ)

 とは言え、あの日は例によって二人で外食に行った。青は寝込む貫志のブランケットを平気で引っ剥がして「飯行くぞ」と怒鳴った。  一週間が経っている。症状は日に日に悪化する。最悪だ。青と目が合うたびに貫志の心はわけのわからない跳ね方をする。必死で暴走を抑えているが、時間の問題だ。  もはや憂鬱だった。原因がわからない。青は確かに恐ろしい男だが、これでも慣れ始めていたつもりだ。  しかし状況は一変した。ひどいときは青が近付くだけで悲鳴をあげてしまう。視線が交じるとその度唾を飲み込む。ちょうど飲み物なんかを口にしていたときはかなり危ない。予期せぬ事故が起きる可能性もある。  もう、青と顔を合わせたくなかった。しかしこの生活を続けている限り甘えたことは言ってられない。それに契約を終えて二度と青と会えなくなるのも、それは、ちょっと……どうなのだろうか。どうかと思う。どうかと思うよ。 「はぁー」 「何。ため息長くないすか」  貫志は「何でもねぇ」と小さく首を振った。そのまま項垂れるが、すかさず大川が頭の位置を戻す。  青の部屋は大川によって完璧に整えられている。広いベランダも清潔に掃除されていた。天気がいいからと、椅子を運び込んで、金色寄りに落ちた髪を染め直すことになった。 「今日はどこ行くんすか」  休日だ。大学の講義はない。つまり大川は休日出勤らしい。 「さぁー……」 「いいっすね。宮本さんとデート」  デートではなく監視である。土日は青に連れ回されるのが殆どだが、出掛けたところであの男は無言ばかり。  きっと京谷蒼也と青は土日を二人で過ごしていたのだ。この一ヶ月間だけこもっていたら怪しまれるから、積極的に外に出る。 「デートなんかじゃねぇよ……」 「今日は天気もいいし。ピクニックでもしたらどうすか」  緑あふれる公園のベンチに青と二人で腰掛ける。空には白い雲。木々には小鳥。風が歌う。意味がわからない。 「それあの人に直接言ってみろよ」 「嫌でしょ」 「大川さんってお喋りだよな」 「ショウヤさん程じゃないっすよ」  「それに、宮本さんが喋らないすからね」青はかなりの無口だが、京谷蒼也は彼とどう過ごしていたのだろう。  最近一切口にしないが、ここで暮らし始めて最初の頃に、青が少しだけ蒼也を語った。  蒼也は『素直な男だった』と。  そうした所々の青の口ぶりに、……違和感がある。 「宮本さんが連れてってくれる店、どこも美味いでしょ」 「大川さんも二人で外食すんの?」 「たまにね。蒼也さんほどじゃねぇすけど、かなり連れてってもらってますよ。三人で飯食い行くことも多かったし」  蒼也。  京谷蒼也……貫志と同い年の青年。しかし、学生証越しではあるが何度も見ているはずの顔なのに、はっきりとその輪郭を思い出せない。綺麗な見目をしていたのは確かだが、彼の印象は驚くほど薄かった。  京極蒼也は色素の薄い美青年だ。いかにも儚げな男を演じるのは気恥ずかしいけれど、今は貫志が蒼也である。貫志は、青と蒼也の並ぶ姿を想像してみた。絵になるはず。二人とも恐ろしく綺麗だから。  真っ黒な髪色をした圧倒的存在感のある青と、雪にでも溶けそうな白い蒼也。  ……何故なのか。  頭の中で、蒼也がこちらに振り返る。  どうしても蒼也の顔が見えなかった。 「春崎貫志さんは」  名前を呼ばれて目が覚める。肩をビクッと震わせると、大川は「あ、名前出したからビビっちゃいました?」と心配そうにした。 「ショウヤさん、の方がいいですか」 「あ、いや……何でもいいよ」 「春崎貫志さんは、彼女とデートなんかはしてなかったんですか?」  大川は普段『ショウヤ』と呼ぶ。何事かと思ったが、過去についてか。 「いや、無かったな」 「まじですか? その顔で?」 「顔……うん。仕事ばっかだったし」  恋人など出来たことない。誰かを好きになって、告白して、受け入れられる経験がどれだけ素晴らしいか想像にかたくないし、羨ましくはあるが、残念ながら、現実には起こらない。 「大変ですねー」  大川は呑気に言った。貫志は弱々しく笑った。 「俺はボケっと生きてきたアンタらとは違うんだよ」 「アンタらって、宮本さんもですか」 「うん、そう」 「それ宮本さんに言ってみてくださいよ」 「嫌でしょ」  笑いながらも心が重くなった。  青は今朝も朝帰りだ。貫志の髪染めが終わるまで眠っている。青に恋人が居るのかは分からないが、関係のある女性が何人かいるのは確かだった。  青のことだからモデルや女優並みに綺麗な女性が相手だろう。そうやって考えるたびになぜか腹の奥が痛くなる。  恋人なんて、気にする必要ないけれど……。  えも言われぬこの想い。毒を払うみたいに吐息を吐いた。切り替えて、明るく問いかける。 「大川さんは、彼女何人いるの?」 「一人ですね」 「えー」 「彼女っつうか、結婚してるんで」 「えっ!?」  大川は耳を抑えて眉を顰めた。  貫志は振り返りそうになるのを必死で堪え、「結婚してたんだ!?」 「してますよ。一人とね」 「奥さんどこにいんだよ!」 「別居中です」  「べっ……」瞬時に察した。別居中ということは結婚生活は破綻しているのか。何故? 休日に貫志の髪なんか染めてやがるからだ。こいつ、何をしてる……。 「あの、仲悪いわけじゃないですからね」  大川は苦々しく補足した。 「あ、そうなんだ?」 「アンタが宮本さんと出掛けている間に俺らもメシ行きますし」 「あ、そうなんだ!」 「俺は仕事があるから仕方ないんすよ。ショウヤさん、夫婦にはね、それぞれの形があるんです」  大川のプライベートはよく分からない。まさか配偶者がいたとは思わなかった……。 「あの人は?」  思わず声に出ていた。  背後で大川が首を傾げたのが気配で分かった。やばい、思った時にはもう遅い。言葉は回収してどうこうできるものではないのだ。
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