2343人が本棚に入れています
本棚に追加
だが、大川は特段気にすることもなく、
「あぁ、宮本さん? さぁ……特定の人ってのは、想像つかないですけど」
「……」
「宮本さんですからね。あの人はえぐいですから」
えぐい? 何が。貫志は掌を握りしめた。額に汗が滲んでくる。
「あの顔見れば分かりません? あんなイケメンいないでしょ」
「……」
「俺初めて見た時ギョッとしましたもん」
言うわりに、大川は青との出会いを話すつもりはないようだ。大川はへらへら笑って、
「俳優とかモデルとかかと思ったな。誰が見てもかっこいい男でしょ? こんないい部屋住んじゃって。天井で回ってるプロペラみたいなやつ、あんなのイケメンしか住んじゃ駄目な部屋だろ」
「……」
「俺、宮本さんなら男でもイケるって思ったし」
「え⁉︎」
大川は遂に「アンタ、声デカくね?」と前々から思っていたであろう疑問を口にした。「そりゃ、俺も悪いけど」
「ご、ごめん」
「宮本さんとならとか、冗談っすよ? つーか俺なんかがイケるわけがない。彼、生粋の雄ですからね。女にモテるモテる」
「女性に……き、生粋の雄……それ、あの人に」
「言うわけねぇ」
「……結婚は、してないんだ」
「してないしてない。しないと思う。宮本さんが誰か女と生涯寄り添っていくなんて……あはははははないないないない」
察していた通り相当プレイボーイのようだ。これはいよいよ、昨晩の相手だって一人や二人では済まない。だから昼寄りの朝帰りだった……?
「結婚というか、宮本さんが気を許す人間なんてそうそういないんじゃないですか」
「大川さんは、違うのかよ」言葉を絞り出して何とか会話を成立させる。時間が経つごとに顔色の悪くなっていく貫志に反し、大川は軽やかに答えた。
「俺は仕事仲間ですし」
「そっか。結構、ドライなんだな」
「いやいや。俺は宮本さんのこと好きですよ。けど宮本さんはー……うーん。嫌われてはないと思いますけど、何つうんだろうな」
大川は笑いながら言った。悲観的な雰囲気も、自嘲味も無い。単に事実を告げるだけだ。
「あの人他人に興味ないですからね。俺を信用してくれてるんだろうけど、好きなわけじゃない。俺はあの人の人間性に惚れてるから、ここで仕事させてもらってるわけだけどさ」
髪は既に染められている。仕上げのカットを、ちょうど終えたようだ。
「セットだけしときますね。ワックスつけますけど、先に着替えます?」
「でも蒼也は仲が良かったんだろ」
大川はタオルを畳んでいた。
貫志は体の向きを変えて、真剣に問いかけた。
「本当なら、組長の命令は絶対だから世話してただけで、蒼也だって他人じゃねぇか」
大川は目を丸くして、何も答えない。
青は京谷組元組長に命を救われている。彼の命令に従うのは当然のことだ。
貫志のように。
「蒼也は何なんだ?」
けれど、青の口振りからは、蒼也が『他人』のようには聞こえなかった。
青と過ごせば過ごすほど分かる。青は蒼也を「素直なやつだ」と柔らかく言った。けれどそれは、かなりのイレギュラーなのだ。
青は他人を語らない。大川を語る時だって、素っ気ない口調をしていた。
蒼也だけなのだ。
青の心を動かすのは。
――では、青にとって京谷蒼也は何?
「蒼也さんは……特別ですよ」
大川は視線を外して答えた。
語ることに否定的な雰囲気だ。彼らの関係について触れてはならない空気が漂う。こんなに晴れた空の下なのに、大川の顔は翳っていた。
それほどまでに京谷蒼也が宮本青にとってなくてはならない存在なのか。
……ふと、貫志は思い立った。
馬鹿らしい考えだ。突拍子もなくて、根拠なんて無いけれど。
でも。
もしかして、青と蒼也は……。
「――おい。終わったのか」
大川と貫志は二人して声の方に振り向いた。
青が窓に寄りかかり、眠そうにこちらを見ていた。大川が「ワックスつけるだけです」と答える。腕を組んだ青は「あぁ、そう」と俯く。小さく欠伸をした。そのまま、前髪の隙間から貫志を見つめた。
「……っ」
青い瞳がしどけなく射抜いてくる。貫志はバレないように息を呑んで、やっとのこと「……何」と返した。
青はこてんと窓に頭をつけて、無言で貫志を眺めた。
暫くしてフッと頬を緩め、目を細くして、
「良い色だ」
しかし、これは、京谷蒼也の色。
春崎貫志ではない。
青がベランダを後にする。貫志はその背中をじっと見つめていた。握りしめた指が手のひらに食い込んで、痛かった。
***
免許は持っていないが、運転できないわけではない。地方の漁港で働いていた際に人手が足りないからと運転技術は習得した。しかしここは、呑気な田舎道ではなく複雑な東京だ。警察に止められれば一発退場。部下が居ない際の運転手は青の役目だった。
「昨日さ、栄二に会ったんだよ」
「エイジ?」
助手席の貫志は常に喋りかけ続けるようにしている。放っておくと青は黙り込むので、貫志から仕掛ける他ないのだ。
今までは、多少の沈黙くらいどうってことなかったけれど、対青限定の特殊な病を抱え始めてからはそうもいかなくなった。沈黙が苦しい。青は何も感じていないが、貫志は耐えられなかった。ならば絶え間なく話しかける方がマシである。
「なんだ、調べてるのかと思った。一週間前くらいに一緒に映画行った奴」
「春日井栄二か」
やはり身元は調べ上げられていたらしい。貫志も苗字は知らなかった。
最初のコメントを投稿しよう!