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青はなぜか機嫌が良くて、口元にほんのり笑みを浮かべていた。見かけだけなら、誰しも見惚れるような笑い方だけど、本質は下衆な悪口が好物であるだけ。悪い男だ……と警戒しながらも、青が上機嫌なのでこちらまで嬉しくなってしまう。
黒服には、ろくでもないのが多いとはまさに事実だ。ろくでもないのは確かに多かった。それでも、
「栄二はろくでもなくねぇよ?」
「裏の顔があるかもしれねぇじゃん」
じゃん。青の若者らしい口調はテンション上がる。
「裏の顔って例えば?」
「すげぇサド気質だったり」
「えっ」
「昔いたんだよな、黒服で……『俺は北海道出身だから、女の首締めながらヤラねぇとイけねぇ』とかいう奴」
北海道出身だと、そうなるのか……知らなかった。世の中は不思議で溢れてる。「北海道、出身……」過去に関係をもった相手のうち、首を絞めてきた輩が北海道出身であったか真剣に悩むが、覚えていない。
「でも、栄二はなまってなかったぜ?」
「訛りなんか誤魔化せるんだよ、坊」
青はおかしそうに目を細めた。
「裏の顔……栄二は良い奴だけど……」
「ずいぶん道産のガキを信用してるな」
言いながらも、どこか満足気だった。貫志に『お友達』ができた成長を実感しているみたいだ。口端だけ上げる皮肉的な笑みだが、視線がやたら暖かい。むず痒くなって、貫志は反抗的に「信用っつうか、事実だから」と口を尖らせた。
「お前、人を疑うことをあんまり知らねえよな」
にやにやと唇を歪めている。貫志を揶揄っているのだ。これだからお子ちゃまは、と声が聞こえてきそうである。
「別に、知ってるし。人を疑うこと」
「お子ちゃま貫志クン」
「あのな! ガキ扱いすんな! 人を疑うくらいするわ! なんなら俺は人を疑ってばっかだ!」
すると、青は声に出して笑った。
数回しか聞いたのない青の笑い声に、貫志は二の句が告げなくなる。喉を使った悪どい笑い方ではなく、純粋におかしそうに笑っていた。
これはかなり貴重だ。思わず食い入るように見つめる。笑うとこの人も、砕けた雰囲気がして、年相応に若者に見える。肝心の歳が分からないけれど。
「何ガンつけてんだよ」
すっと表情を戻した青は、不愉快そうに眉を顰めた。もうお終いか。貫志は内心がっくりしながら、軽くかぶりを振る。
「ガン、つけてはねぇよ」
「お前怖い顔してたぞ。気色悪ぃ真顔だった」
「……」
「何だよ」
「宮本さんって、年幾つ、なんですか?」
青は唇を開いたまま数刻固まった。問いに驚いているわけではなさそうだった。
自分自身、年が分からなくなっているのだ。実際、記憶を辿るようにしてゆっくり、「二十八……九か?」などと悩んでいる。
そんな、難問を提供したつもりはないのに。青は曖昧に「二十九らへんだな」と纏めた。以前、『お前は自分がどうでもいいんだ』と貫志の性質を見抜いていたが、青の方こそどうかと思う。
青はもしかして、自分について詳しくないのではないか。むしろ、何年も生活を共にしている京谷蒼也の方が詳しいのかも。青は、京谷蒼也が子供の頃から今日(こんにち)まで彼の世話をしているそうなので、逆を言えば、京谷蒼也もまた青の情報をいくらでも知っているのだ。
そこで、貫志は一度立ち止まって考えてみた。
蒼也は貫志と同い年。青が『二十九らへん』なら、その年の差は八才、九才らへんだ。蒼也が子供だった頃から面倒を見ているそうなので、仮に出会ったのが小学校に通っていた時代とすると、青はその時点で高校生。
辻褄は合う。青は高校時代に京谷組と喧嘩を起こしている。つまり、喧嘩でぼろぼろの学生服を着た青がランドセルを背負った蒼也の世話をし始めて、歴史を経過し、現時点まで来たのだ。
つまり十年以上、二人には二人の物語がある。
想像してみると不思議な光景だった。ヤクザ相手に喧嘩を売る不良が、素直にガキの面倒を見ているのだから。
だが、そうやって何年も共に過ごしたからこそ、他人に興味のない青が蒼也を暖かく語る。
「……」
腹の奥がまた痛くなる。心臓まで苦しくなってきた。痛い。つらい。どうして、こうなる? もしかして青の幸福が許せないのか? それほどまでに俺は、青を恨んでる?
何だか、自分の意地悪さに悲しくなって、縋るように青を見つめた。青は貫志の視線に応え、無表情ながらわずかに不思議そうにした。それはそうだ。さぞ不思議であろう。気色悪かろう。こっちで勝手に吐きそうになったり苦しんだり縋っているのだから。
だが青は思いの外、心配の色を浮かべて「どうした?」と問いかけてくれた。何だか、何だか、申し訳なくて、貫志は泣きそうになった。
「俺は、駄目な男だ……」
「そんなに人を信じてねぇのかよ……」
青は憐れむように息を吐き、「メシでも食べろ」と貫志を慰めた。
食欲は無事に回復し、料理も無事に完食した。追加でデザートの注文を強請ると、青は若干引きながらも頼んでくれた。
「あのプリン美味しかったなーっ」
「そりゃよかった」
青は心からどうでも良さそうに言って、「プリンっつうか、杏仁豆腐だけど」と補足する。
エレベーターに乗り込む。コンシェルジュが最後まで頭を下げていた。
「あ……あん? あん……豆腐? あれ豆腐だったのか?」
「知らないで頼んでたのか」
「プリンだと思ってた……」
確かにやけに白かったけれど。
自分が楽しんだ食べ物の正体が違っていたことに、ゴクリと息を呑む貫志を見て、青が可笑しそうに目を細めた。
以前までは無表情無感動がデフォルト、笑っているように見えて目の奥は冷え切っているのが常だった青だが、最近は砕けた笑みをこぼす。もしかして青は、元々よく笑う人間なのでは思うほどに。
「よくわかんねーけど、豆腐美味しかった」
「よかったね」
青は手の甲を唇に当てて笑いを噛み殺した。
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