喧嘩(ステゴロ)

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 童貞でも処女でもない貫志だが、完全なる恋愛童貞だった。お相手は、骨を折るわ殴り殺そうとしてくるわ犯そうとするわ、貫志の人権をことごとくなぶった宮本青。無慈悲で無感情な鬼の宮本である。  冷静に考えなくても最低な男だった。たった今だって、何の意味もなくキスをしようとしてきたのだ。行為の後、青は顔色ひとつ変えずに電話を受けていた。そういう男なんだ。  でも……貫志は、それだけじゃない表情を知っている。  青の優しさを知ってしまっている。初めて会った日だって、青がわざと貫志を痛めつける姿を見せたおかげで命を逃れた。条件をつけて未来を確約してくれた。できる限りのわがままを聞いてくれたし……何よりも、多くの顔を見せてくれるようになった。  青の笑った顔は好きだ。しょうがなさそうに目を細めたときや、本気でおかしそうに声を出して笑ったとき。困っているような顔も、怒る寸前みたいな形だけの笑みも好き。  認めてしまえば、想いは幾らでも溢れてくる。貫志は悔しくも、宮本青に恋してた。  同時に京谷蒼也への靄みたいな感情の正体も知る。あれは紛れもなく嫉妬だったのだ。確かに、京谷蒼也の帰国は『春崎貫志』の消滅を意味する。しかしそれが恐ろしいから蒼也の存在を望んでいなかったわけではない。  青の唯一の例外が京谷蒼也だから、泥ついた嫉妬を抱いていた。やましい感情がゆえの悪意。最悪だ。京谷蒼也と青には、貫志の立ち入ることのできない絆があるのに、勝手にそれに嫉妬していた。いくらショウヤと呼ばれたって、どう足掻いても蒼也にはなれない。  どこまでも浅ましい自分が嫌になる。二人が共に過ごすことが、二人にとって一番の幸福なのは明白だ。だが貫志は、自分のことだけ考えて青と共にいたいなど身の程知らずな欲をもった。そしてそれを軽はずみで口にした。  最悪。  貫志は顔を覆ったまま微動だにしない。  また目尻に雫が滲む。  ……ふと、携帯を見下ろした。  目を惹きつけられたのは『通知』とやらが来ていたからだ。  不思議に思って手に取ると、栄二からだった。ラインを交換したことを思い出す。貫志は力なく画面をタップした。力がなくても人とやり取りできるのだから、便利な機器である——…… 《ショウに聞きたいことあんだけど、》  続きの文章はまだ入ってこない。しょう……あー、そうか、俺はショウだ。慣れないなと苦笑いしつつ、先ほど青から渡されたメモ用紙を眺める。  これらの名前の一つを手に入れたら、次は永遠だ。  青から貰う名前……。  青と戦った時の身体の傷は治癒している。整えられたこの髪も、いずれ色など落ちるし髪は伸びる。  つまり、青との生活では何も残らない。  何も残らないけれど、でも、名前は残るのだ。  ならば、繫がりを残したい。  青の字をなぞる。彼が帰ってくる気配はない。  メッセージが更新された。 《バイト先の人って、宮本青?》  宮本、青……。  貫志は「え……」と声をこぼした。十秒ほど固まる。が、「あっ」と返信を打ち始める。 《そうだけど、何で?》 「宮本さんのこと知ってるんだ……」  関係のない人間から宮本青の文字列が入ってきたので思考停止してしまった。  栄二には青についてを、「あれはヤクザじゃなくてバイト先の偉い人」と説明している。大川のアドバイス通り、「遠い親戚だから、世話になってて、あの日は俺がバイトサボったから心配して来てくれただけだ」とそのようなことを言った。  栄二も大方把握し、「ヤクザって決めつけてごめん」と謝った。あれで納得してくれたと思ったのに……まさか正体を突き止めてくるとは。  別に、それほど大きな嘘はついていない。青は間違いなく雇用主であり、月二千万のアルバイト契約している。広い目で見れば人類皆遠い親戚だ。  と、またメッセージ。 《そうなんだ! なんか俺も、見たことあるなーって思ったんだよ》 「えっ」  見たことが、ある?  貫志は急いで返信を打った。それでも慣れなくて、時間がかかる。 《宮本さんのこと、知ってんの?》  栄二は早かった。さすがだ。 《サブマリンの系列、宮本青いるだろ。キャバクラとかセクキャバとか高級クラブとか、夜系の店運営してる系列なんだけど。俺もさ、一回だけヘルプでサブマリンのラウンジ行ったんだよ。そん時、宮本青がマネージャーだったんかな。店に視察に来てて》  一度文章を区切って、またメッセージが入った。 《もんの凄いイケメンがいるから、震えたね。普通に、俳優がいる! みたいな。さっき思い出したわー、もしかして宮本青じゃね? って。あの人有名だぜ。この間の映画の時もオーラえぐかったもんな。今は色々店運営してるだろ》 《うん》  ようやく一言だけ返した。有名なんだ、と打っている途中に追撃が打たれる。 《遠い親戚ってどんくらい遠いの?》  何とも答え難い質問を。猿時代に遡りますとも言えないし。  悩んでいると、また文章がやってきた。 《宮本青って大阪の人間だろ。ショウも上京組?》 「え?」  貫志は液晶を手に、動きをぴたりと止めた。  何度も文章を読み込む。薄く唇を開いて呟いた。 「……大阪?」  栄二は誰のことを言っているのだろう。青が大阪の人間? そんなはずはない。人違いだろうか。  ひとまずは、聞かれたことだけ正直に返す。 《俺は、ずっと東京。今は中野》 《へー。中野俺も好き。最寄り、中央線?》  迷いに迷ったが、意を決して返信を打った。ここを追求しなければ気が済まない。 《最寄りは大江戸線》《どうして宮本さんの出身地知ってんの?》  真偽は分からない。栄二が根拠のない噂を適当に言っている可能性もある。だが、その噂の存在自体が不可思議だった。  返信は早かった。 《有名だよ》  数十秒も経たないうちに追加のメッセージが浮かぶ。 《京大出てるガチインテリだし》 「京大……?」  京大……京都に存在する、例のあれか?
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