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貫志も知っている大学名だった。むしろ貫志が知っている数少ない大学名の一つでもある。詳しいことは把握していないが、とにかく頭のいい人が通うイメージが付いていた。
しかし最も心を乱す疑問はそこじゃない。青がとんでもなく優秀であることはこの際置いておいて、『京都』が気になった。
京都大学に通うには、少なくとも関西で暮らす必要がある。大学は四年制であることを今の貫志は知っている。だが、京谷組は関東のヤクザだ。関西は一切関係ない。
別に、青がどこで暮らしていたかなど訊いたことはないが、京谷蒼也の世話をしていたならば、関東で生活していなければ辻褄が合わない。青は高校生で蒼也に出会った。そこからいきなり、四年間も東京を離れるのか?
と言うより、栄二の情報からすると、青が元から大阪で暮らしていたみたいな言い方だ。
それでは、関東の京谷組と出会えない。
貫志は、《栄二は宮本さんに詳しいんだな》と書いた。
様々な疑問が湧いてくるが、一番の違和感は……言葉だ。
大阪出身のはずがない。
青の言葉に訛りはないのだから……。
ふと、青の言葉が耳に蘇った。
——『訛りなんか誤魔化せるんだよ、坊』
貫志は、下唇を少しだけ噛む。
どうして今、あの言葉が……。
《うーん》
栄二から返信。小さな絵が送信されてきたが、これはおそらくスタンプというやつだろう。人気海賊団のキャラクターが「?」を浮かべて首を傾げている。
《そうかな?》《まー》《俺がっつうか、宮本青が、有名だしな》
貫志はようやく、携帯を握りしめる自分の手に、汗が滲んでいることを認めた。
《すげぇ遠い親戚なんだ。俺もまだ、あの人のことよく知らなくて》
やっとのことで送信すると、凄まじいスピードで《大丈夫?》と帰ってくる。
《大丈夫?》《あの人ヤクザ系の人じゃん》
「そうなんだよなー……」
呟きながら、どうにか流れに追いつくため文字を打ち込んだ。青もそろそろ帰ってくる頃だ。その間にまたメッセージが表示される。
《京谷組だろ。店に常連がいるから、俺結構詳しいよ》
貫志は慌てて文章を打ち直した。回りくどいやり方は無しだ。単刀直入に切り出す。
《じゃあ京谷蒼也、って子知ってる?》
心臓が早鐘を打つ。栄二は彼を知っているだろうか。ならば京谷蒼也と青の関係も何か分かるかもしれない。
もしも青が関西出身で、大学卒業まで向こうにいたのならば、彼らの関係もただの主従ではない。この混乱も解決する糸口が見えるはずだ。
青が帰ってくる前に早く。
《やべ、早速わかんねー笑 誰?》
呆気ない返事が来た。藁にもすがる思いで、情報を付け足す。
《前の組長の孫的な。京谷組長の》
京谷蒼也は目立つ人物のはずだ。組員と定期的に接する栄二ならば、蒼也の噂くらい耳にしたことがあるはず。
稍あって二つのメッセージが続けて表示された。
しかし貫志は目を見開いた。到底理解できない文章を前に、「え?」と乾いた声だけこぼす。
メッセージに綴られていたのは、
《てか、いなくね?》《先代組長に孫は》
……頭に、実際に見たことのないはずの京谷蒼也が浮かんだ。
彼はこちらに背を向けて、青と二人で立っていた。白い靄に隠れた二人。ふと、貫志そのものの形をした『京谷蒼也』がこちらに振り返った。
なぜなのか。
どうしても顔が見えない。
——ハッとして、運転席の方に目を向ける。
青。
「静かに。」
車に入り込んだ青は囁いて、間髪入れずに貫志へ迫った。
……と、目的は貫志ではなく、グローブボックスだ。助手席の収納には防弾チョッキと警棒、小型ナイフと催涙スプレーなどが収められていた。青は防弾チョッキを取り出し、貫志に無理やり着用させてくる。
「ネズミが隠れてやがった」
「ね、ねずみ?」
「お前運転できんだよな」
言いながら、腕にもグルグルと何か固い布を巻き付けはじめた。あらかた完了すると次は後部座席に身を乗り出す。後ろには、二日前に置きっぱなしにしていたパーカーがある。青は引っ張り取って、無造作に貫志に着せた。流れるような進む青の作業はまるで止められない。
「免許証持ってねぇけど……」
「できんだよな?」
「う、うん」
「ならいい。これ運転してここから逃げろ」
貫志はぱちぱち長い睫毛を瞬かせる。青はパーカーの下に手を突っ込んできて、貫志の腹に何か巻き付けた。ポケットがいくつか付いていて、それらに警棒と催涙スプレー、改造されたスタンガンを押し込められる。
「逃げろって、何」
貫志は呆然と呟いた。
「京谷組本家に向かえ」
青はキーを差し込み、カーナビを起動させた。
「逃げろって何だよ」
青が運転席から出て行く。車外で仁王立ちし、運転席に回れと顎で促してくる。
「宮本さん」
青の向こうには蛍光灯の光。
逆光が酷すぎる。
眩しすぎるくらいの明るさなのに、青の表情は地獄のように暗かった。
「おかしくねぇか」
……蒼也の顔は白くぼやけて見えなかった。
青の顔が、黒く潰れて見えない。
「俺と契約したよな?」
貫志は身を乗り出した。青の顔をよく知りたかった。
「俺は京谷蒼也の代わりだ。俺を選んだのは、俺が戦えるからだろ?」
暗い影の中から少しずつ表情が現れてくる。
「そのつもりで選んだんだろ?」
「なら、俺もやる」長い睫毛の奥に潜む、青い瞳が見えた。
無表情の青は、何か遠くの存在を想起しているようにも神経を張り詰めているようにも思える静けさだ。きっとその両方なのだろう。
「……来たな」
青が視線だけで背後を示唆した。ゆっくりワンボックスが近付いてきている。青が自分で運転して逃げなかった理由が分かった。車は出口の方からやってきている。鉢合わせる前に、ここに残って彼らを再起不能にするつもりだったのだ。
でも、貫志は戦える。
貫志は必死に「宮本さんっ」と懇願した。
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