喧嘩(ステゴロ)

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「本家って……京谷の?」 「あぁ」  造作もない手つきで拳銃を確認し、「物騒な得物を親父に預ける」と言った。 「堅気が拳銃もってたら捕まるだろ」 「ヤクザでも捕まると思うけど……」 「ちげぇねぇ」  一息だけ笑った。声はすっかり、落ち着いた調子に戻っている。  踵を回らし、青は車へ向かった。「そこらの男退けろ」と指示を出された。  言われた通り、進路の邪魔になる男を、端に避けた時だった。 「貫志!」  黒い物体が目の前を通過した。弾かれてコンクリートに身体を叩きつけられる。ドゴ、と鈍い音が耳に聞こえた。遅れて、物体の落ちる音。 「宮本さん!」  新しくやってきた車が青を撥ねたのだ。貫志は青に突き飛ばされて、間一髪で免れた。 「なっ……」  驚愕に身震いした。青は八メートルほど突き飛ばされ、コンクリートに横たわりぴくりともしない。頭が真っ白になった。唇を開き、放心する。貫志は目を見開いて、青の背中を凝視している。 「殺したか?」 「微妙だな。いずれにせよ虫の息だ」  組員たちが四人ほど降りてきた。立ち上がらなければならないのに、身体は氷漬けされたみたいに固まっている。青が倒れて動かないのと同じで、貫志も指一つ動かせなかった。  青が、撥ねられた……。  己の指先が冷たくなっていく。一方で目や喉の奥が焼けるように熱い。 「宮本相手してたらいくらあっても命足りねぇ」  外界が遮断されたみたいだ。男たちの声が遠くに聞こえる。  青だけの姿を目にしている。 「京谷攫うぞ」  青……。  青。 「宮本さん!」  貫志は堰を切ったように叫んだ。「宮本さん!」青は起き上がらない。血が流れ出している。頭を打ったのか。生きてるのか? 宮本さん。宮本さん。  パニック状態に陥る貫志を、男たちは三人がかりで拘束した。「車連れ込んで薬打て!」と、誰かが切迫した声で怒鳴った。後部座席へ乱暴に投げ入れられる。死に物狂いで抵抗したが、複数人で体重をかけられたらばどうにもできない。 「おとなしくさせろ!」  頭を棒状の何かで強く殴られ、気が遠のく。必死に意識を保ち、肩を押さえつけている腕に噛み付いた。頬を殴られてドゴと鈍い音が脳に響いた。顎の力を失った隙にタオルで口を拘束される。 「腕縛れ! さっさと打て!」  青が腕に巻きつけてきたサポーターが邪魔で、組員はもたついている。貫志の意識が覚醒しないように、絶え間なく腹を殴られた。唾液に血の匂いが混じった。殴られるたび、タオルが赤くなっていく。  殴り殺されるかもしれない。  このまま連れ去られて、命だって危うい。  五体満足でいられるか分からない。  だけど。  それよりも恐ろしいのは、脳裏に焼きついた青の姿だった。  青……。目尻に涙が滲む。辺りは怒号と騒音。車がUターンを始めた。逃げ出そうと何とか力を入れるけれど、完全に押さえ込まれて指一本動かせない。青はこのまま捨て置かれるのか。死んでしまう。早く病院に。泡立つように恐怖が増して涙が止まらなくなる。  宮本さん——……  タオル越しに叫んだとき。  ……空からガラスが降ってきた。  遅れて、けたたましい音を知覚する。  貫志はゆったり顔を上げた。  フロントガラスが砕けていた。ボンネットに黒い男がいた。地獄から蘇ったように、頭から血を垂れ流して、ぼうっと現れたソレは、ゼェゼェ、真っ赤な息を吐いている。あまりの悍ましさに、それが呼気に混じった血だと気付かなかった。  青い目がぎらついている。化け物みたいに美しい顔が、血で装飾されていた。  最も熱い炎の色を瞳に飼った赤い鬼は、辺りを震わす低い声で吠える。 「返せ」  青は金属バットを振り下ろした。地獄の穴が更に広がる。ガラスが刺さり血だらけになった顔で、助手席の男が悲鳴を上げた。尻に帆をかけて這い出ていく。 「返しやがれ」  青は運転席側に回り、フルスイングでガラスを打ち破る。鍵を開けて運転席の男を引き摺り出した。次は躊躇いなく後部座席へ回り、貫志を押さえつけていた男を力尽くで排除する。コンクリートに転がして、その丸まった背にバットを一振り。骨の折れる音がした。男は声も出せずに、ずるずる逃げ始めた。 「返せ……」  血に濡れた姿で次々に襲いかかる青の姿は、まさしく鬼だ。青の逆鱗に触れた男どもは顔色を失って戦慄した。貫志はけれど、荒れ狂う鬼の姿に目を奪われて、夢見る吐息が漏れる。  青は追撃も程々に、後部座席に倒れ込む貫志へ手を伸ばした。  たった今の暴虐の限りとは無縁の手つきだった。貫志を丁寧に起こして、素早く自分の元に引き寄せる。 「立てるか」  口元に巻き付けられたタオルを解きながら、優しく囁いた。  貫志は、小さく頷いた。青は血だらけの顔で愁眉を開き、直ぐに貫志の身体を車外へ誘導した。 「近付くな。撃つぞ」  青は足元に倒れていた男の顔の直ぐ横へ銃口を向けて、実際に弾を撃った。弾はコンクリートにめり込み、乾いた破裂音の残響が響く。現実の射撃をはじめて目の当たりにした貫志は抑えきれずびくっと震えた。その肩を青が強く抱き寄せる。男たちは野太い悲鳴を上げたり、頭を抱えこむものもいた。青は威圧を解かずに銃口を彼らへ向け、貫志をBMWの運転席へ押し込める。  貫志はまだ涙が止まなかった。  青が血だらけだから。これでは死んでしまう。しゃくりあげて、彼へ手を伸ばした。 「みや」  もとさん。  言葉は青によって遮られた。  車のキーを回した青は、鼻先の合わさる距離で力強く告げる。 「逃げろ」  貫志の瞳から、新しい涙がぽろっと溢れる。 「殿は俺がつとめる。大川たちが近くまで来てるはずだ。合流しろ」 「宮本さん、血出てる。赤い」 「人間なんだから血ぐらい赤いだろ。貫志」  頬を親指で撫でられる。  貫志は食い入るように青を見つめた。貫志の噛み跡の残る親指が、青の血に濡れて、頬を撫でる。 「逃げろ。お前ならやれる。俺は死にやしない。分かったな?」  同志を心から信頼する笑い方だった。ニッと口角を上げて、頼もしそうに貫志を見つめる。
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