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——血の海の中で、貫志だけが立っている。
立ち上がろうとするものは居なかった。貫志が目を向けるだけで、三十七度の物体は怖気を震う。
貫志はすぐに青の傍へ、膝をついて、黒髪に手を伸ばした。血で濡れている。囁くように
「宮本さん」
と名を呼んだ。
青はうっすら目を開けていた。戦いの終わりを視線だけで見渡す。立ち上がる気力がないようで、ゼエゼエ息を吐いて貫志を見上げている。
「宮本さん、血まみれ……」
貫志は青に馬乗りになって、頭は動かしてもいいのだろかと視診した。血がどこから溢れているのか分からない。無闇に動かして傷が悪化したら大変だ……と理性的に考える一方で、貫志の指は、青の頬に触れている。
顔は綺麗なままだった。青の美しさを愛する、目に見えない何かに守られているみたいだ。馬鹿だな。顔なんて潰れても、この男は強くて綺麗なのに。
貫志は血に濡れた指で青の頬を撫でた。青は荒い呼吸を繰り返してされるがままだ。血に濡れた全身で、場違いみたいに煌めく青い瞳が、貫志を見つめている。
……興奮する。
貫志は「宮本さん」と切実に名を呼んだ。死にかけの青は必死に息をするのみ。興奮する。興奮する。背筋がゾクゾクして心の底から震えた。
これが青。
……青。
「宮本さん」
貫志はフッと近付いて、青の息の根を止めるように唇を重ねた。
キスは血の味がした。誰の血なのか分からないが、その唇を舐める。口内は発熱したみたいに熱かった。青の舌に、貫志の舌が触れる。止まらない。身を焦す想いにいっそ切なくなって、涙が滲んだ。好きだった。青の舌も、息も、唾液も、血も、貪るみたいにキスをする。
青と目が合う。
「……あっ⁉︎」
ハッと目を覚まし、慌てて身を起こした。自分のしでかしたことなのに唖然とする。
青は酸素を求めて呼吸を一層荒くした。瞳だけ静かに貫志を見据えている。貫志は何も言えずに唇を触った。
俺は何を……。
貫志の中の獣が、青を食べようとしたみたいだ。
と、好き放題されていた青が不意に身を起こした。
「み、やもとさん」
返事はない。のそりと身を揺り動かし、時間をかけて立ち上がる。車の側面に手をついて、腹を押さえながら苦しげに見遣ってきた。
「お前、運転できるか」
「できるっ」
必死に頷く。
すると青は、目尻に皺を寄せて笑った。
貫志は声を呑んだ。
直後、青はズルっとよろけながら、後部座席の扉を開けようとした。急いで代わりに開けてやる。体をシートへ丁寧に座らせながら、「寝転ぶ方がいい?」と訊くと、無言で首を振る。
すぐに運転席に戻り出発した。青がか細い声で目的地を指示する。京谷本家ではない。
「大川がすぐそこに来てる。運転代われ」
「わかった!」
「……」
呼吸にヒュウヒュウ音が混じり始めている。バックミラーで何度も確認するが、青はぐったりとシートに寄りかかったまま、瞼を開かない。
「まじスか」
五分ほど行った先で京谷組の車と合流した。大川は若頭補佐のロールスロイスに同乗させてもらっていたらしく、こちらの車に移ると手早く運転席を代わった。
シートベルトを装着しながら後部座席の青を凝視する。数秒絶句して、「宮本さん、まじかよ……」
貫志は青の隣に駆け込んだ。縋り付くみたいに、「宮本さん、息してる?」と力ない手を握った。
「してるでしょ。どう見ても」
「宮本さん!」
「病院向かいます」
青のマンションには二人の医者がいる。天使と悪魔だ。今度は悪魔の元へ向かうのだという。
「大丈夫なのか? 悪魔なんだろ」
「宮本さんには平気っすよ。宮本さんは死神みたいなもんだし」
「そっか……」
「文英とやり合ったんすよね」
ブンエイ。理解が追いつかずに数拍後、やっと「うん」と答えた。
「やり合ったっつうか……あの人たちどうなんのかな」
「どうって?」
「殺しちゃったかな」
「は?」
ふと、青が体を動かした。「宮本さん?」と顔を覗き込む。先ほどよりは幾分か呼吸がマシになっていた。話を聞いていたようで、恐ろしく低い声で、
「殺してねぇよ」
「でも、俺撥ねちゃったし」
「撥ねちゃった?」
大川が怪訝に食いついてきた。青が一度だけ首を横に振る。
「俺がやったことにしておけ」
「でも」
「俺の車で撥ねたんだからいい。お前の足は残らねえ」
「撥ねちゃったって何ですか。貫志さん、何したんすか」
青の表情を窺いながらも事の次第を説明した。大川はやや半笑いを浮かべつつ相槌を打った。「やられたから……」と締めれば、大川が「倍返したんすね」と括ってくれる。
大川は唇をグッと噛み締めた。深く鼻から息を吸い込み、ゆっくり吐く。真剣な顔つきで、しみじみと、
「まじか……すげーな……」
「だろう」
青がニッと笑った。バックミラー越しに二人の視線が交わった。青は、よくできた弟子を誇るように、笑いながら、
「こいつはやるんだよ」
「震えましたわ。さすがっすね……そこまでとは」
「俺まで轢かれるかと思ったわ。減速しねぇし」
「痺れます」
大川は本気で嬉しそうにする。貫志は呆気に取られている。
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