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この暴力性は今まで、誰にも受け入れられたことはない。青と出逢うきっかけとなった、クラブで店員を助けたときでさえ、暴力を奮う貫志の姿は彼女を脅かした。
自分の本質は社会で認められるものではない。人と人が営むこの世界で貫志は脅威でしかないのだ。そうであるべきだ……。
青は俯いて笑った。
「だからこいつを選んだ」
この二人は違う。
青と大川は今、貫志の存在で通じ合っている。貫志の価値に共感しているのだ。
貫志はこっそりと唇をかみしめて、舐めた。大川は溢れる笑みを隠しきれないで訊ねてきた。「アンタ、怖くなかったんすか。相手ヤクザっすよ」
「あ……そっか」
「くー。あ、そっか、だって」
「あれ、大丈夫なんかな?」
大川は苦笑して「大丈夫っつうか」と続ける。
「あそこ兵隊十五人すよ。その内の何人ぶちのめしたんすか」
「わかんねぇ。十人くらい?」
「まじかよっ。すっげ」
ゲラゲラ大声で笑っている。貫志は青の様子が気が気でなくて、「俺に寄りかかっていいよ。何か俺にできることある?」と囁く。大川は爆笑したまま「ははっ、終わったな文英」と言った。
「堅気の二人に滅ぼされたんなら面目ねぇよ。潰れただろ、なあ、あははははは」
「煙草、吸いてぇ」
「え⁉︎」
「文英なんて弱輩興業すからね。花本組の枝ですけど、花本の幹部がまず、俺らのカシラの弟分でしたから。京谷に楯突く馬鹿の、暖簾下し手伝ってやったって思えばいい。花本もいい迷惑だよな……。若頭補佐が何とかしますから、桜の代紋も気にしないでいいっすよ」
「煙草」
「え……」
大川がピースを投げて寄越してくる。青はしどけなく一本咥えた。
貫志はおっかなびっくりで火を灯した。煙草が早速血で汚れる。青は咥えたまま、唇の隙間から煙を吐いた。暫くして、指に持ち替え、
「お前が悩むことは何もない」
微かな声は、煙に溶けるようだ。
「お前は京谷蒼也だ。京谷蒼也が襲われた。それだけだ」
京谷蒼也……彼が誰なのか正体は不明だ。青は美味そうに煙草を味わっている。
ふと、その唇に噛みついた記憶が蘇った。
ボッと顔の中心に熱が集まる。
そうだ、俺は、この人に……キスどころか舌を差し込んだ。瀕死の青の息の根を止めようとした。今更ながら、凄まじい愚行を恥じる。慙愧の涙に心が濡れた。極道相手に喧嘩したよりもよっぽど鼓動が早まり、羞恥が苛烈して、遅い武者震いに襲われた。
青は貫志に目を向けなかった。大川が気付いて、「どうしたんすか。顔赤ぇけど、熱?」と問いかける。
「……だ、大丈夫」
「いや。真っ赤っすよ……」
「そんなことない」
「何で宮本さんに向かって言うんすか」
精を出して墓穴を掘る貫志など気にも留めず、青は紫煙を吐いている。無表情のまま遠くを見つめていた。
天使と悪魔の悪魔の方は、ヤブ医者みたいな見目をしていた。ヤブ医者を実際に見たことはないが、貫志は「これだッ!」と内心で指を差した。これがヤブ医者だ。ヤブ医者の師範。
医者は煙草を咥えてお出迎えした。五十代ほどの男は煙を吐きながら三人を見遣った。大川が「お忙しいところすみません」と、青を支えつつ出来る限り深く頭を下げた。貫志も慌てて「お願いします」と続く。
「やられたな、宮本」
「ご無沙汰ですわ……」
「随分派手に。何でやられた」
「喧嘩」
「だろうな。得物は何だ」
「さぁ……」大川が青の唇から煙草を取った。火を、玄関に置かれた灰皿に擦り付ける。
「お前はゴキブリ並のしぶとさだな。頭から見てやる」
「俺じゃねぇ。こいつを見てくれ」
だらりと腕をあげ、親指で貫志を指さした。貫志はぎょっとした。医者を貫志の朱を注がれた顔を見て「茹で蛸みてぇ」と無表情で言う。診察室に入っても、青は真っ先に貫志を差し出した。
「俺は平気だって!」
「小僧、どこ怪我した」
医者は眉一つ動かさず、問うた。大川が診察台に青を座らせる。
「俺じゃなくて宮本さんだろ!」
「喚くな答えろ利かん坊」
「だって! 宮本さんの方がっ」
「貫志さん、腹殴られたって言ってましたね」
言った覚えはないが、医者は貫志の服を問答無用で引き上げた。邪魔なものを取り払い、触診に入る。数秒真剣に精査してから、貫志ではなく宮本に告げた。
「骨も内臓も問題ない」
青は、大川に支えられて診察台に横たわる。
それから鋭い目つきで医者を睨みあげた。掠れた低い声でゆっくりと、
「そいつは何ともないんだな」
「ああ。無事だ」
医者が深く頷く。
瞬間、青は瞼を閉じた。
憑き物が落ちたように表情の険しさが失せて、スッと意識を失くしてしまった。大川がほっとして息をついた。医者は軽く青の髪を掻き分けて、「不死身だな」とつぶやいた。
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