5人が本棚に入れています
本棚に追加
ほつほつと雨が降り続く。
臭気を放つ鈍色の滴に街は汚染され続け、街全体が広大な廃墟のようだ。
俺はプランターの小さなイースターカクタスにほんの少しペットボトルの水を垂らす。
俺たちは神の被造物だと、俺の師は言った。
神に造られながら、神に背いた生まれながらの罪人なのだ、と。
俺たちの遠い祖先、原初の存在は神の禁じた『知恵の木の実』を口にして、楽園を逐われた。師は俺たちにそう教えた。
彼らの口にした知恵の木の実が猛毒だったのか、それとも甘美なる光明だったのかー今はもうわからない。
ふと薄暗闇で淡い光が明滅し、モバイルが喧ましく鳴動する。
俺は発信者を確認して、慎重にそれを拾い上げる。
ーもしもし......ー
ーあなた、何処にいるの?無事なの?!ー
回線の向こうから叫ぶようなヒステリックな女の声が響く。かつて妻だった女の声。俺は彼女の声が嫌いだった。
ー俺は無事だ。何処にいようと君には関係ないー
俺はそれだけ言って、回線を遮断する。
彼女はかつて、牧師だった俺に尋ねた。
ーなぜ神は食べてはならない実をつける木を楽園に植えたのかーと。
俺はそれは神の試しだと答えた。
彼女はこうも問うた。
ーなぜ神はアダムを先に作り、イブを後から作ったのか?......なぜイブを先に作らなかったのかーと。
彼女はフェミニストだった。
神が御自身に似せてアダムを作り、アダムの無聊を慰めるために、アダムの肋骨からイブを作った。ー聖書に記されたその言葉にひどく憤慨していた。
「神様は理不尽だわ。だから男性は自分たちが優れていると私たち女性を見下すのよ!」
悪魔の化身である蛇に唆されて先に禁断の木の実を口にしたのはイブだ。だからイブに罪がある、と彼女の周囲の者たちは女性を虐げるのだ、と。
俺はそれは違うと言った。
イブに罪があるのではない、無論アダムに罪があるわけでもない。
ー罪があるのは、神だ。ー
俺がそう言うと彼女は眼を剥いて俺を非難した。
神は自分に似せてアダムを作り、その肋骨からイブを作った。
『妬みの神、嫉みの神である』と自ら言いながら、なぜそれに似せて人間を作った?
神がアダムとイブを楽園から逐ったのは知恵の木の実を食べたからではない。
アダムがイブの誘いを受け入れたからだ。自分にのみ従うはずの自分の分身が自分以外の者の言葉に従った。
それ自体が神には許せなかったのだ。
イブは原初からアダムの躓きの石だったのだ。
なんという理不尽。
いや、神はそもそもから理不尽な存在だった。
ー殺す勿れーと言いながら、兄が弟を殺すのを止めなかった。
神の偏愛に苦しみ、弟への嫉妬に耐えかねて、兄が棍棒を彼の頭上に振りかざすのを止めなかった。
神は人間を愛してなどいない。
自分の偏愛に背いたアダムの子孫を愛してなどいない。
自分から愛する者の心を背かせたイブの子孫を愛してなどいない。
アダムとイブから産まれたのではない神の子は、父である神の理不尽に身を持って異議を示した。
自ら地上に降り、原罪の子らの手によって磔刑にかかり、死んだ。
彼は人間の罪を神に購ったのではない。
神の理不尽を人間に詫びるために命を投げ出したのだ。
神は理不尽だ。
禁断の木の実は、人類を破滅に追い込み、反面で救い上げる。
神の抱く不条理そのものを我々に知らしめる。
だから俺は聖なる書物を掲げながら、人を殺す。
兄弟の国の人間と悪魔の道具で殺し合う。
嫉妬に狂った兄を目覚めさせるために、武器を持ってこれに抗うのだ。
見よ、兄弟よ。
全知全能なる神の不条理を。
原初の存在たる神の罪を。
この戦争が終わるとき、人々は知るだろう。
正義など何処にも存在しないことを。
我々の全てが神の不条理の写しであることを。
だから俺は、この雨が止んだら、外へ出る。
鈍く光る悪魔の道具を手に地獄へと身を投じるのだ。
神への祈りと怨嗟を同時に口にしながら、敵に向かって、同じ人間に向かって銃爪を引く。
俺たちの内なる神を殺すために。
帰天の日はすぐそこに来ている。
ー了ー
最初のコメントを投稿しよう!