夢のストレスフリー社会

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夢のストレスフリー社会

 それは一見自動販売機のような形をしていた。  改札口横に設置された長方形に、小型の、ハートの形をした機械がずらりと並べられている。  俺はその中から気に入った一つを手に取り、傘立てから傘を抜き取るようにして、代わりに今まで自分の胸部に嵌め込まれていた、古い心を『返却』した。  途端に、今まで溜め込んでいたストレスがスーッと雪のように溶けて無くなり、次に新しい心から暖かな日差しのような、爽やかな涼風のような、新鮮な感情が俺を包んだ。無意識に寄せていた眉間の皺もなくなり、自然と笑みが浮かんでくる。    嗚呼……やっぱり最高だ。  俺はこの、小さなハート形の機械に感謝した。  アップデートされた、新鮮な心のなんと素晴らしいことか。  科学技術が発展し、人間の感情を充電器のように蓄積できるようになってから……この手のサービスは瞬く間に世間に広まった。  レンタル感情サービス。 『充感スポット』は駅前、コンビニ、公園など街中の至る所に設置されていて、利用者は東京だけで1000万人以上、今や持ってない人を探す方が難しいほどになった。  使い方は簡単。  自分の胸部に専用のアタッチメントを埋め込み(手術費用はピンからキリまであるが、大体5000円前後。病院に行けば日帰りでやってくれる)、後は最寄りのレンタルスポットでハート型の心を取っ替え引っ替えするだけ。  仕事のストレス。  家庭でのいざこざ。  人間関係の軋轢に、社会への不平不満。  そう言った負の感情は、全てハート型の『充感器』が吸収してくれる。おかげで日常生活で、イライラすることが無くなった。溜まりに溜まると擬似心がドス黒く濁ってきて(その人のストレス度合いにもよるが、大体1日から3日で満杯になる)、そうしたら取り替え時期だ。  簡単に取り外せて、後は業者にお任せ。依存性も副作用もなし。だが、騙されたと思って一度使用してみたら、もうこれなしでは生きられなくなってしまった。  実際このレンタルサービスが始まってから、街中で突如激怒したり、感情を爆発させている人を見かけることは皆無になった。それもそのはず、マイナスな感情は、全て小型の機械が肩代わりしてくれるのだ。人々は日々健やかに毎日を過ごしている。世界は平和になった。  改札口を押し合いへし合い、前の人が中々進まないので、俺は親切心から思い切りそいつの背中を傘の先端で突き刺した。もちろん相手は怒らない。俺も怒っていない。全てのストレスは、機械が解消してくれる。  ベンチでは、若者がニコニコしながら足の悪そうな老人を背負い投げし、場所を退かせていた。誰も怒らない。周りの人も笑顔で見てるだけ。背中をコンクリートに打ち付け、老人もまた、にこやかに笑みを浮かべた。機械が、負の感情を吸い取っているのだ。  ふと、全てのストレスから解放された若者が、勢い余って線路へと飛び込んだ。すぐ向こうから、電車が迫ってくる。若者は恐怖するでもなく、口元から涎を垂らし、なんだかとても幸せそうな顔でそれを眺めていた。当然誰も助けようとはしない。機械によって制御された俺たちは、笑顔でそれを見つめるだけだった。  ……今後日本では、警察組織が解体され、刑務所などが撤去されると言う。それもそうだ。今じゃ誰もストレスを感じないし、世界は平和になったのだから、警察なんて必要ないに違いない。  血飛沫が舞い上がり、電車が赤く染まる。誰も気にしない。何も感じない。俺は笑顔でこの、小さなハート形の機械に感謝した。  
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