1人が本棚に入れています
本棚に追加
そのうちに歳を重ねてくると、もっと大事件が起きてくる。雷がアパートに落ちて、テレビが使えなくなった数日後に、パソコンを床に落っことして立ち上がらなくなる。
そういった修理が重なり1ヶ月で何十万もの余計な出費が発生したとか。
その次の年には、優先道路を走るバイクを見落として、そのバイクが車を避けようとして転倒、相手が骨折して重傷…なんてことが起きる。言い訳も聞いてくれないような、過失を起こす。
そもそも、自分の見落としが発端なのだけれど、それが全て回避できていたら、世の中には事故も事件もなくなるだろうと筑田はただ、ただ、謝って反省をすることに専念した。
「本当に見えなかった」なんて言い訳は飲み込んだ。誰も聞いてはくれないし、それを言っては相手に失礼だ。
疲れていた、ぼんやりしていた、仕事に追われていた。全て聞いてはもらえない。いつも健康で、見落としなく、仕事も余裕を持ってこなしているか。運が良くなければ、うまく生きていくなんて無理だ。
そうやっているうちに、世の中で起こる「良いこと」と「悪いこと」とは、くじびきのように、皆の間をぐるぐると順番に回っているのではないかと思えてくる。
では、ニュースで今映っているあの人は、無意識にひいたくじに「はずれ」とでも書いてあったのかと聞かれれば、そんな不謹慎なことを言葉にするのは許されない。
考えるのはいいだろう。口に出すか、出さないかで、意味は大きく違う。しかし、筑田は同じ立場であったらと不運の渦中にいる人間を見ると考える。
最初のコメントを投稿しよう!