花束の言い訳

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某国には特別警察隊という軍と警察の間のような組織がある。その一番隊隊長が足を止めたのは花屋から弾けるような笑い声が聞こえたからだ。そこの花屋の店員は花屋には似つかわしくない程の不愛想な娘である。笑い声など聞いたことがない。見れば花屋の娘は誰かと談笑している。相手は地味ななりの娘だった。背を向けていたので顔はわからない。だが、笑い声にどこか聞き覚えがある。視線を感じたのか娘は振り返った。知った顔だった。非番中の紅一点の部下である。手には花束を持っていた。 「あ」 部下はみるみる内に赤くなった。初めて見る顔にこちらも狼狽してしまった。 「お疲れ様です。隊長」 「あ、ああ」 「特別警察が花屋なんかに何のご用だよ。隊長どの」 花屋の娘は打って変わって素っ気なく言った。部下は苦笑した。彼女はもういつもの顔に戻っている。 「まあまあ。単なる警邏ですよね。隊長」 特別警察隊の嫌われようも相当のものだ。もっとも、発足の経緯から考えれば致し方ないところもある。  この王国が苛政と言われて十数年が経つ。およそ十年もの間国民は我慢していたが、それもどうやら限界だったようで国王の浪費をとある雑誌がすっぱ抜いたのをきっかけにあちこちで暴動が起きた。特別警察隊は暴動の回数が最高潮に達した頃に発足した。暴動を鎮圧するのが目的の組織で軍隊よりも小規模、警察よりも容赦なかった。冷酷で合理的なこの組織の成果は充分と言えるだろう。暴動の数は特別役人ができた年から激減した。だが、革命の火種は残っている。それを潰すのが自分たち、特別警察隊の仕事である。目的は立派に聞こえるが、集められたのはその辺にいる剣のできる貴族崩れの子息や不良の成金息子――要は腕の立つチンピラだ。暴動で警察も軍もかなりの数を削られたのである。その腕の立つチンピラたちは時に暴走して無駄に威張り散らすことがある。嫌われている原因の大半はそれである。 「あんたは私が呼んだんだ。非番の日に来てよって」 「でも、私非番じゃなくても立ち寄ったじゃない」 部下はおっとり微笑む。これも初めての顔である。今更ながら彼女が名家の出だということを思い出した。目の前の部下は本来、特別警察に籍を置くはずのない人物だ。 「あんたは別。優しいし。威張らないし」 「隊長の前で言わないで頂戴。恥ずかしいわ」 そのチンピラ集団に名家のしかも女性がいるのにはわけがある。彼女の家から革命家が出たのである。ややこしい生い立ちを持つ末弟だ。彼は出奔し、穏健派の一派の参謀として名をあげた。宮廷内での彼女の父親の立場は最悪なものとなった。そこで父親は王に忠誠の証として自分の子供を特別警察に一兵卒として入隊させると申し出た。実質、人質である。しかし、いかに人質のためとは言え、もいざ戦闘になったとき、ある程度の腕前がないとこちらが多大なる迷惑を被る。つまり、他の隊員の命に係わるのである。そこで総隊長・総副隊長立会いの下、一番隊隊長と剣を交え、誰を入隊させるか決めることとなった。ところが、革命に走った末弟は一番隊長が内心舌を巻くほどの腕前であるのにも関わらず、他の兄弟たちはいずれも全く才能がない。腕試しを終え、そっと総隊長・総副隊長を見るとふたりともどうしようとういう顔をしている。一番隊長は頭を抱えたくなった。隊員たちは問題児の集まりと言えど、大事な部下であり、仲間である。政治のために隊員をみすみす危険にさらしたくない。だが、「適当な人材なし」などと報告はできない。採用は決定事項だ。 「わたくしも試してはいただけませんか」  剣術用の服で現れたのが彼女だ。隊員支給の剣を兄弟から受け取ると返事も聞かずに構えた。兄弟たちとは一線を画す実力を持っていることがうかがい知れる構えだった。彼女の採用はすぐに決まった。女性だとか若いだとかそんなことを言っている場合ではなかった。剣の腕さえあれば彼女自身に懸念材料などない。  彼女に対する懸念はむしろ、受け入れる側にあった。先も言った通り、男所帯のチンピラ集団である。名家の女性が来るとなればセクハラパワハラの嵐など十分予測できた。 「屁理屈言うんじゃないよ。とにかく、あんたは例外なんだ。だから花束を見に来てって言ったんだから」 「困るわ。隊長の前で」 眉を下げてふんわり笑う。これも初めての顔だ。隊長が記憶する限り、こんな笑みを浮かべたことはない。彼女は決して笑わない方ではない。むしろよく笑う。だが、敵前の不敵な笑みや仲間内に見せる少しいたずらっぽいような明るいそれ以外、見たことがなかった。この娘はこんな顔で笑うのか。 入隊の結果は懸念通りだったが、彼女はめげなかった。例の少しいたずらっぽいような明るい笑みを浮かべながら恐ろしいほどうまく立ち回った。たっぷりの誠意と要領のよさを以って。皮肉な話だ。神は人心掌握も剣技も本来表舞台に出るはずのない良家の娘と疎外された子息に与えたのだ。今は、隊員たちも彼女を受け入れている。総隊長以下、幹部は胸をなでおろしていた。 「そんなことより、あたしの花束どう?」 「うん」 花の香を思い切り吸い込んで部下が言う。 「とっても素敵」 地味な服が華やいで見えるほど天真爛漫な笑顔だった。隊長の胸に妙なものが芽生えかけた。 「隊長?」 「なんだまだいたの」 はっと我に返った。普段は憎たらしい花屋の娘の冷ややかな声が今はありがたい。隊長は芽生えかけたなにかを一人静かに踏みにじった。彼女は部下だ。 「そうだ。どうぞ。これ差し上げます」 部下は花束を隊長に押し付けた。部下はなじみのあるちょっといたずらっぽい笑みを浮かべている。 「ちょっと!」 花屋の娘が怒りの声を上げる。 「だってこれ持って帰れないもの。お外に勝手に出たことがわかってしまうわ。もう家であれこれ嘆かれるのはたくさん」 「勝手に外も出られないの? 令嬢って案外大変ね」 「いいところにお嫁にいけないからって。お母様とばあやが。もう諦めればいいのにねえ。どこの物好きが私と結婚するのかしら。白刃振り回してる女なんて」 部下はことこと笑った。笑い声に悲壮感がまるでないのが却って隊長の胸を焼き、また何かが胸に芽生えさせた。その何かを一言で片づけるには彼女の出自と才能は複雑だった。だから、隊長はそれをまたも秘かに踏みにじった。彼女は部下だ。どんないきさつがあろうとも部下なのだ。他の部下と変わらない。僅かな贔屓が、彼女の苦心を台無しにするであろうことを隊長はよくわかっている。 「でもだからってこの人にあげるの嫌だよ」 「でも、私、捨てるのは嫌よ」 「もらおう」 「えーっ」 花屋の娘が膨れる。 「もう見られないのは残念だけど、捨てられるよりはいいわ」 「隊舎にでも飾ればいいだろう」 「まあ、素敵。隊舎で過ごすのが楽しみになります」 「花が好きなのか」 「内緒ですよ。花が好きなのも、今日こっそり家を抜けたのも」 小首を傾げてにこにこ笑う。 「……約束する。だが、遅くならないように」 「はい」  隊長は花束を抱えて歩き出した。秘かに踏みにじったなにかはしつこく復活しては隊長の胸をざわつかせる。 (初めて見る顔ばかりだった) 彼女が自分に全て見せるわけがないと分かっている。自分だって部下に全て見せるはずもない。だが、はじめて見せる彼女の一面、屈託のない笑顔、結婚への諦めと家の中の確執のどれもが隊長の脳裏に焼き付いて離れない。この花を見る度、彼女はどの笑みを浮かべるのだろうか。今日見た笑顔だろうか。それとも、いつもの明るいいたずらっぽい笑みにとどまるのか。  隊長は首を振った。考えるのはよそう。まずはこの花束の言い訳を考えなければならない。
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