序章:何時もの居酒屋

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序章:何時もの居酒屋

 私は良い気持ちだった。  三杯目の熱燗は体を内側から温めてくれる。  冬は熱燗に限る。 「夏でも旨いけど」  日本酒は良いね。視野が少しぼやけて、汚い居酒屋の壁が見え辛くなる所が特に良い。 「先生、()ってるね」  いつもの相方、須佐が店に入って来た。早く座れ、寒い空気が憑いて来てるぞ。 「とりあえずビール——と行きたい所だが、先生に追い付かないとね。俺にも日本酒、熱燗で」 「こう寒い日が続くと、現場の仕事は大変だろう?」  先ずは天気の話からだ。私は至って常識人なのだから。 「もうね。寒いなんてもんじゃないよ。何せ、吹きっ晒しに立ちっ放しだからね」  須佐は無骨な両手を擦り合わせる。 「そいつはご苦労様だ。日本のインフラを支えて呉れて、有り難い」  私は熱燗のグラスを須佐の方に捧げる仕草をした。 「けっ! 有り難いより御目出度いだろ。鯛の尾頭付きでも献上して貰いたいね」 「鯛は食いたい(・・)、差し上げたい(・・)が、どっこい財布の紐がかたい(・・)」 「先生の財布は、紐なんぞで締めなくともすっからかんだろう?」  須佐は魔法瓶の熱燗を自分のグラスに注ぎながら混ぜっ返した。 「何処かに景気の良い話が転がっていないもんかな……」 「景気の良い話ねえ——」  須佐は黙り込んで、暫し天井を見た。 「先生よう。俺の家は旧い家系で代々伝わる口伝が残ってるって言ったことがあるだろう?」 「ああ。そんな話をしていたな」  須佐はじろりと私を横目で見る。 「尾頭付きは尾頭付きでも、畳鰯(たたみいわし)に負けてやるからさ。酒の摘みに奢って呉れよ。代わりと言っちゃあ何だが、とっときの秘伝を教えてやる」 「秘伝と来たか?」 「ああ。土師(はじ)氏の本流、菅原道真(すがわらのみちざね)に纏わる秘伝だよ」  須佐の長い話が始まった。
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