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毎日のごはん
兎国院有里朱のP.N.を持つ柴村智穂は、朝から書斎に篭り執筆を続けていた。
今日は調子がいい。
スラスラと指がキーボードの上を移動し、淀みなく文章をタイピングしていく。
執筆中は寝食を忘れてしまうほど集中力がある、と自負している。とはいえ、今日は特に調子がいい。
高速で甘酸っぱい恋愛小説を出力している脳の片隅で、なぜこんなにも今日は調子がいいのかと自問自答する。
よく眠れたから?
朝食のトーストと、コーヒー(砂糖とミルク大増量)が頭を動かす良い燃料になっているから?
それとも……。
好調なはずの、キーボードを打ち続ける指が止まった。
誰かさんがいるから?
「買い出しと、荷物を取りに行って来る」と言い残して、出かけた金居蓮のことを思い出す。
彼は今日からこのマンションにしばらく泊まると言っていた。
執筆追い込み中の、智穂の世話をするために。
智穂と蓮は恋人ではない。かといって「友達か?」と聞かれると「はい、そうです」とは答え辛い関係だ。
二人の本来の関係。それは、どちらかが寂しさを感じている時に、身体を重ねて隙間を埋め合わせるだけの関係。
どちらかに新たな恋人ができるまでの、割り切った間柄のはずだった。
関係が始まってから数か月、お互いに恋人ができる様子もない。
そんな時、恋愛小説家の智穂は原稿の執筆が山場を迎え、蓮とろくに連絡を取らない日々が続いた。
心配した蓮がマンションを覗くと、そこには荒れた部屋でパソコンに向かい、一心不乱に小説を書き続ける智穂がいた。
連絡も返さず、食事もろくに摂らず、部屋に来た蓮にも気付かない。蓮が一瞬言葉を失ってしまうほどの集中力。
それは同時に執筆に集中している期間、生活力が極端に下がることを意味している。
見かねた蓮は原稿が終わるまでの期間、掃除や洗濯、身の回りの世話をすると言い出し、半ば強引に智穂のマンションで生活する準備を始めている。
智穂にとってそれは、申し訳なさを遥かに上回る魅力的な提案であり、断ることなどできなかった。
小説家にとって執筆に集中できる環境は貴重だ。特に追い込み期間になると、家事も食事をすら時間が惜しくなる。それを引き受けてくれるというのは、小説家……いや、多くの人にとって喉から手が出るほど欲する存在だ。
「……っと、いけない。集中、集中――」
気が逸れたことに気づき、再び執筆に集中力を戻す。
今日はいつになく調子が良い。
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