7/6

1/2
前へ
/3ページ
次へ

7/6

 一人で電車に乗り込んだ。座席は全部埋まっていて、誰かの隣に座る勇気も無く、また、若いんだから座らなくてもいいでしょう、という視線が鬱陶しくて、扉のすぐ近くに立っていた。自分とは違う制服を身にまとった人、出勤中のサラリーマン、明るい髪色の大学生、色んな人がいるけれど、彼らはそれぞれにどんな悩みを持っているのだろうか。はたまたなんの悩みもなかったりするのだろうか。いや、そんなはずは無い。だってこんな私でさえ、悩みがあるのだから。そう頭では言っていても、本当は皆、悩みがなさそうに見えて羨ましかった。きっと私もそんな風に見えているんだろうな。梅雨も開けたと言うのに、しとしとと中途半端な雨が街を濡らしていた。耳から流れる音楽に意識を集中させていた。そうでないと、中途半端な、意味の無い涙が流れそうだった。それはただ流れるだけの不要なもの。  電車を降りたら次はバス停まで行く。時間が無いので足早に。雨に濡れているのももう気にしなかった。駅へと進む人が多い中、私はそれらとは反対方向に歩いた。イヤホンの設定をノイズキャンセリングにして、雑音をかき消した。公共の場で周りの音が聞こえなくなるのは危ないと言われるだろう。迫る車に気づかずにぶつかってしまうかもしれない。それでもイヤホンを外さないのは、そうなってしまってもいいと思っているから。いつ死んだっていい。この気持ちは俗に言う″成功者″の『いつ死んでもいい』、とは違う。彼らのそれは『いつ死んだって後悔しないように、毎日楽しんで過ごしています』のようなニュアンスだ。彼らは本当の意味で『死ぬ』事を身近に捉えてはいない。テレビで彼らはその考えをこちらに勧めるが、それは恐ろしく参考にならない。だって私の考える『いつ死んでもいい』は云わば『早くいなくなりたい』と同義なのだ。もう、『後悔したくない』からいなくなってしまいたいのだ。つまり未来を諦めているのだ。  バスに乗り込んだ。私は列の最後に並んだため当然の如く座ることは出来ない。2人席はほぼ人1人が座っているし、優先席には誰も座っていない。こんなに立っている人がいるのに。明らかに、2人席に2人座った方が良いし、優先席だって、優先すべき人が居ないのであれば座ればいい。そうすれば、座れる人も多くなるし、立っている人も幾分かマシになる。全体の幸福を願うならばそうした方がいい。それでもそうしないのは、皆、自分の評価を一番に考えてしまっているからだ。大体の人がそう思っているから変わらないのだ。…そして例外なく、私もその中の1人だ。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加