うさぎ日記

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 一二月二〇日(金)  冬休み、沙彩の家の元倉庫(?)を使わせてもらえるらしい。そこで作業を進めることになった。沙彩が誘ってくれた! 私は沙彩の親友として。 「泊まっていけばいいのに。お母さんも志乃ちゃんならって言ってたよ?」 「さすがに冬休み中お世話になるわけにはいかないから。家に帰るよ」  友達の家に泊まるイベントは学生にとって、大きい楽しみの一つ。しかし、今の私にとっては自分自身の首を絞める行為だと思っている。彼女が眉毛を下げて私の了承を得ようとする表情を見るのは心苦しいが、これ以上は息ができなくなりそうだから。あたかも謙虚のかたまりですよ、というのを前に押し出して彼女のお願いを断った。彼女が「仕方ないね」と唇を尖らせて拗ねた子供のようになって、この契約は成立された。  大半の生徒が眠そうに三学期の終業式を終え、明日から私たちは冬休みに入る。私と沙彩は画材を持ち帰るために美術室に立ち寄った。八〇号のキャンバスを持ち帰るのはさすがに難しいかと思ったが、沙彩持ち前のポジティブによって二人で持ち帰ることになった。  今日この日ばかりは生まれ育った場所が田舎で良かったと心の底から思った。終業式は午前中で終わるので、平日のお昼にはあまり人が出歩いていない。だから、通行人を気にすることなく運ぶことができると思ったのだ。 「しーのー。あそこの公園で一回休もう!」 「りょーかーい」  もう何回目の休憩。「若いから大丈夫でしょ!」と他の美術部員の応援もあり、心軽く足取り軽く移動し始めたが後悔の色がだんだんと疲れとともににじみ出てきた。ただひとり、顧問の先生が「私の車で運ぶ?」と聞いてくれていたのに、何を根拠に大丈夫だろうと思ったのだろう。自分たちの若さを侮りすぎたのかもしれない。もしも、雪が積もっていたら先生の言葉に甘えていたんだろうな。  公園のベンチにキャンバスを置いて、私たちはその隣のベンチに腰掛ける。沙彩はジュースを買うために、公園の横に設置された自動販売機まで走って行った。キャンバスを持っていた手は、手のひらが少し赤くなってじんじんと熱を持っている。ここから沙彩の家までは普通なら十分くらいで着くが、この大荷物を持っていたらどれくらいかかるかな。 「お金足りなくて一個しか買えなかったあ。志乃も飲む?」  「本当は志乃の分も買いたかったんだけど」と私にペットボトルのミルクティーを持たせる。 「ええ、大丈夫だよ。沙彩が買ったものじゃん」 「糖分、糖分!大事だから」  にかっと歯を見せて笑顔を見える。  彼女の誰に対してもの親切精神というか、その当たり前にする行為には驚かされる。 「ほら寒いし、飲んでよ。志乃の体が冷えないように!」  私の手の中で温まっていたミルクティーを沙彩の手の中に戻す。「えっ」と驚きを隠せない彼女をよそに、私は鞄の中から財布を取り出し自動販売機までさきほどの沙彩みたいに駆け出した。  私は沙彩がミルクティーよりココアが好きなことを知っていた。  新たな温もりを手の平に閉じ込めて戻ると、沙彩はぽかんとした表情で私を見ていた。 「交換。沙彩の体が冷えないように」  私が持っていたココアを見た沙彩は、寒さで赤く染まって頬を緩めて私にミルクティーを差し出す。私はそれを右手で受け取り、左手の温もりを沙彩に差し出した。 「さっすが。私の親友、志乃ちゃん!」  知っていたことだから、今更新鮮に傷つくことではない。  私たちはお互い交換した飲み物を飲み、五分ほどで休憩を終えて再び背丈くらいの荷物を手に取った。一歩一歩進めるたびに、キャンバスの前方を担当している沙彩のポニーテールが揺れる。  私は親友というポジションを全うしよう。これからも、この先も。沙彩には聞こえない小さなため息は白く私の後ろへ消え去った。  私は彼女への気持ちを振り切ったと言い聞かせた。そうではないとこの絵を完成できないと思ったから。  沙彩が言っていた元倉庫は沙彩の家の裏にひっそりと建っていた。大きさは教室の半分くらい、高さは三メートルくらいだろうか。以前は沙彩のおじいさんが趣味の道具などを入れていたらしい。最近それを断捨離して沙彩のお絵描き部屋にしたとのこと。だから、暖房機器も揃っていた。私たち二人が作業するには充分な広さだ。  私たちは背中を合わせる形で作業場を陣取る。さすがに八〇号のキャンバスを立てかけるような大きいイーゼルを持ってくることはできなかったので。そのまま壁に立てかけて、沙彩はアルバイトの給料で買ったという自前のイーゼルにキャンバスを立てた。 「冬休み中にはある程度、進められたらいいよね」 「うん、そうだね」  冬休みが明日から始まる。 「志乃のうさぎちゃん早く見てみたいなあ」  背中越しの沙彩の言葉は私を軽く惑わす。うさぎはあなたなんだよ、と伝えられるように、私は真っ白な世界と本当に向き合わなければいけない。  それから私は沙彩の家に通う日々。沙彩がアルバイトの日はアルバイト先まで沙彩を迎えに行き、そのまま倉庫に行き作業しよう、とふたりで決めた。どうしても手が進まなかったり、絵具を乾かすのに時間がかかったりする時は、宿題を片付ける。そうして作業を一日一日進めていった。
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