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「あそこの公園で一回休憩!」
「りょーかーい」
冬休み最終日、私たちは一足早く学校に向かっていた。大きな荷物を美術室に戻すために。さすがに二日で本塗りの作業にはいくことができず、下塗りで大雑把な陰影だけをつけ終わった段階で冬休みの作業を終わった。終業式の日はお互いスクールバッグを持っていて、途中で道に置き去りにして行こうかと思うほど大変だった。今日はまだ荷物が自分たちの作品だけなので、あの日よりもいくらかましだ。
あの日と同じ、公園、ベンチにキャンバスを置いて私たちは隣のベンチに腰掛ける。
「今日は、どこかお店に入ろうよ」
「自販機のココアじゃなくてもいいの」
空には厚そうな雲が屋根を作っている。夕方からこの雲が雪を降らせるらしい。
「それもいいんだけど、ちょっとお高めのココアも飲みたい!」
「ココアは頑ななんだね」
「ココアは最強なんだよ?志乃も飲んでみよう。お高めココア。あと、ケーキも」
「そういうのも、たまにはいいかもね」
お昼の約束を結んで私たちは荷物を再び持ち、ゆったりと学校までの道を踏みしめた。
沙彩の突発的なアイデアにはいつも驚かされたり嬉しくなったり、戸惑ったり。
荷物をようやく手放し、ちょっと高めのココアとケーキを食べ終わり、沙彩の家まで歩いている時。
「今日、泊まっていかない?」
「今はしょっぱい物が食べたいね」なんて言っていた時に彼女がそう言ったのだ。急な爆弾だ。そんな武器をいつの間に残していた。
「三年生になると受験とかで忙しくて、志乃ともそんなに遊べなくなるかもしれないし」
小さく「明日の始業式は一緒に私の家から、ね」と付け加える彼女。そして、私の前に大きく一歩踏み出して、私の顔を覗き込むように見る。私は歩みを止た。彼女は私が断れないお願いの仕方を習熟している。あの時のように断ってしまうのもひとつ。親友だものね、と信じて快諾するのもひとつ。
「ダメかな?」
私は沙彩の親友。無理矢理じゃない。彼女への本当の気持ちを押し込めた箱に鍵を掛ける作業。これがこれから始める私の仕事。
「お母さんに聞いてみるね。それでオッケーもらえたら、泊まらせてくれる?」
「もちろん!」
まだ母親にも連絡をしていないのに、沙彩はスキップをしながら喜びを体全体で表現してくれている。
「すっごくわくわくしてきた!」
「それは良かった」
母親が友達の家に宿泊することをとやかく厳しく言う人ではないと、最初からわかっていた。
倉庫の掃除と片付けを終え、私は着替えと明日の荷物を持ってくるために、一度家に帰ることにした。十六時を回ったところなのにもう太陽が今日の仕事を終えようとしている。
家までの道すがら、私は足が地面に着いておらず漂っているのではないか、と思うくらいに心の浮遊感に襲われた。冬休み前はあれほど泊まることなんて、と思っていたのに彼女の喜ぶ顔を言い訳に承諾した後悔なのか。ただ『優斗くん』に対して優越感に浸っているだけなのか。両者ともふわふわの原因だろう。
母に一言、今日と明日のことについて説明をしたら軽めの了承と「これを持っていきなさい」ときっとお正月に親戚の方から頂いたであろうお菓子を渡された。家を出る直前、沙彩に「今から向かうね」とメッセージを送ったら、私が好きだと言っていた可愛いアヒルのスタンプが送られてきた。
そして、私は両手に荷物をぶら下げて再び地面に足が付かないまま沙彩の家に向かった。
友達の家に泊まるのはこれで多分二回目だ。
一回目は中学一年生の時、同じ部活の同級生四人でのお泊り会だった。その時は半ば無理矢理参加させられた。まだ簡単に嘘が吐けない時の私だった。今ならてきとうに嘘を見繕えるのに、と思い出すたびにそう思う。本意で参加していなかった私はやはり、空気のような存在だった。他の三人で盛り上がる会話。私には付いていけなさそうな話題。表面だけで下手くそな芝居をしていたあの空間は辛かったと、あの時も今も思う。
二回目の今日は一回目の時とは違う。本意で参加すると決めた。しかも、彼女の家。彼女から『優斗くん』の話題が出ることはきっと避けられないことだけれど、今一緒にいるのは私だから堂々と甘い蜜を吸っていよう。
「こんなことしてみたかったの」
些細な悪巧みを計画している子供のような表情の彼女。沙彩のお母さんにお菓子を渡し、彼女の部屋にお邪魔してすぐ、そう言って彼女が私に差し出したのはピザ屋のチラシだった。私が密かに楽しみを爆発させていたのと同じかそれ以上に、彼女も楽しみにしていたのだとわかって胸を撫で下ろすことができた。
ふたりでチラシを囲み、何を頼むかだけでけらけらと笑い合った。そしてどちらが電話をするかじゃんけんをした。負けた沙彩が緊張した顔でお店の番号を慎重に押しているところを見ていたら、なんだかまた笑えてきて必死にそれをこらえた。
お店までの道「寒い」を連呼しながら早歩き。体をお互いに寄せ合いながら「歩きづらい」と言い合いながら。うっすら道を覆った雪に足跡を残して薄暗い道を私たちは歩いていた。
温かく食欲をそそる匂いをわくわくしながら持ち帰り、机の上に広げる。エビが乗ったものとマルゲリータ、フライドポテトにささやかな野菜たち。
「においのこととかあんまり考えていなかったけど、大丈夫なの」
「大丈夫だよ。幸せの香りだもん。後でスプレー掛ければいいから」
「掛けるのね」
ピザたちを食べ終わり満たされた体を休めるように、沙彩はベッドの上に、私は床でベッドを背もたれにして座っていた。
私は自ら地雷を踏んだ。もちろん沙彩に気付かれないように。
彼女らしいパステルのアイテムが散らばられている机の上。そこにはひとつのスノードームが置かれていた。丸い空間の中にはヨーロッパに建っていそうな家。家の屋根には溶けることのない雪。彼女は季節もののイベントが好きだから、彼女の部屋にそういう物が置かれていても不自然に思わなかった。
「あれ、可愛いね。スノードーム」
「でしょ! 可愛いよね」
彼女はぴょんとベッドから降りてスノードームを取り、私の手に乗せてくれた。近くでよく見るとドームの中は緻密にキラキラと輝いていて、夢の中を手のひらサイズにぎゅっと閉じ込めているように見えた。
「それね、クリスマスの時に優斗くんにもらったんだ」
聞く前に「そうかもしれない」そう推測できたはずなのに。今までの時間に自惚れすぎてしまっていた。
「そうなんだ。本当に綺麗だね」
上手く言えていたかな。
「うん、どれだけ見ていても飽きないんだよね」
沙彩の幸せそうな声色が聞こえたからきっと上手くいったはずだ。
彼女の手に戻したスノードームは私の中でもう綺麗な物じゃない。私の心の沼にある汚い感情を引き出す物になってしまった。スノードームは何も悪くないのにな。ふたりきりだと思っていた沙彩の部屋に、異物が急に現れたみたいだ。誰も悪くない。沙彩も優斗くんもスノードームも。
「志乃は好きな人、いる?」
「何、急に」
「お泊りといえばコイバナでしょ!」
無邪気な声が、表情が、愛おしく辛いものだなんて今初めて実感している。
「志乃のそういう話、聞いたことないもん」
「いないよ。今は興味もあんまり無いし」
「ふうん。そうなんだー」
退屈そうに足をパタパタとさせる沙彩。
「好きな人ができたら、こっそり教えるっていう方法もあるよ」
「沙彩が聞きたいだけでしょ?」
「バレた?」
「お見通しだよ」
私が「教える」日はいつになるだろう。それは靄がかかって見えないくらい遠くの未来に感じる。
隣にいるのんきな彼女は「楽しみだなー」なんて言っている。私の気も知らないで。いつまでもそう笑っていてほしいと思った。
「気長に待っていてよ」
「おばあちゃんになっても待ってるよ」
誰が見てもただの冗談の言い合いだろう、けれど悲しくなってくる。
「あ! おばあちゃんになるってことは、うっかり忘れるなんてことも、あるのかな?」
「さすがに気が早いと思う。まだ高校生だよ」
もし、沙彩に「好きな人ができたよ」とか言う日が来ても、私は今このことを思い出すし、鮮明さは薄れても忘れることはないだろう。
沙彩のお母さんに早く寝るように促され、私たちは素直に部屋の電気を消した。私が床に敷いた布団に入ろうとした時、なぜか沙彩が私の横に並べるようにベッドの敷布団を床に移動させようとしてきた。彼女の言い分は
「志乃が床に敷いているのに、私だけベッドだとなんだか嫌だ!」
らしい。彼女は満足気に布団を敷き終えると「また明日ね」と目をつむった。
隙間もないほどに詰められ並べられた、二組の布団。少し早めに動き始める鼓動に気付かないふりをして、私も目をつむった。
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