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(私がほとんど間をおかず転生したとして、サイラスは今頃苦み走ったおじさまでしょうか……。若い頃の姿しか覚えていないのでドキドキします。今生での私は初恋もまだですが、前世の私は初恋も純愛もすべてサイラスに捧げていましたから……)
恋愛表現といえば口づけだけ。それだって、傍から見るとその光景は、サイラスが鏡に映った自分自身を愛のことばでかき口説き、あろうことか自分自身に口づけを――(以下略)
それ以上に進みようのない関係ながら、満たされていたのだ、あの頃の二人は。
もっとも、会えぬまま経過した時間の長さはいかんともしがたく、鏡であった自分は一国の王女となり、そろそろ婚約の話も出てくるはず。
(サイラスは……『氷結のサイラス』という異名で女性を寄せ付けないと、兄が言っていましたが。私の前で上半身裸をさらしただけで赤くなって慌てていたサイラス……あのあと、誰とも恋をせず?)
サイラスには幸せになっていて欲しかった反面、どこかほっとしている自分の気持ちも認めずにはいられない。醜いとは思うものの、そんな自分だからこそあのとき割れてしまって良かったとも思う。
意識が芽生えていたとはいえ、しょせんどう見ても自分は鏡でしかなく、実際に鏡だった。
もしあるとき突然サイラスが「鏡と気持ちが通じているだなんて、そんな馬鹿なことを」と我に返り、二人で過ごしたあの場に人間の女性を連れ込んで睦まじくすることなどがあったら……。その光景を自分に映し込みながら眺めることしかできないとあっては、あまりの嫉妬に心が砕けてしまったかもしれない(※全然別の理由で物理的に砕けました)。
気持ちの上では離れがたく結ばれていたとはいえ、強制的に別れることができて良かったのだ。
自分に言い聞かせるものの、いざサイラスに面会の約束を取り付けた当日、その時間が迫ってくると胸がドキドキと痛いほど鳴り、サイラスへの恋心はまったく風化していないことを思い知らされてしまう。
待ち合わせの場所は、前日兄とお茶会をしていた、王宮中庭の薔薇園。
お茶を飲みながら誕生日プレゼントに魔術の講義を少し、という申し出をサイラスは快諾してくれたとのこと。快諾って。それだけでもう惚れる。もともと好きなのに。
緊張と期待が高まりきった頃、刈り込まれた灌木の間の道を通って、紺色のローブ姿のサイラスの姿が見えた。
ローブのフードから、見覚えのある蒼氷色の髪が胸元へと流れている。背が高い。体の線は見えないが、機敏な動作から相も変わらずの引き締まった体つきが推し量れました。
「サイラスさまがお見えです」
そばに控えた侍女に告げられ、私は椅子を立ち、自分から進んで迎えに行く。
小径を抜けて歩み寄ってきたサイラスは、持ち上げた指で軽くフードを払い、私へと顔を向けてきました。
「お待たせしました、レオノーラ姫。サイラスです」
(ああ、この声。こういう声だったのね、サイラス。何度も聞いていたはずなのに、いま自分の耳で聞くと本当に良い声をしてらして……)
それだけではなく、白皙の美貌にも時間経過による大きな変化は見られない。弾けるような若さとまでは言わないまでも、滴るような瑞々しい空気感をまとっていた。
周囲の侍女たちが目を奪われているのが気配で伝わってくる。
「立派な大人になりましたね、サイラス……」
万感の思いを込めて私がそう言うと、サイラスはやわらかな微笑を広げて「ありがとうございます」と品よく答えた。
(いまのは第一声としてはおかしいですよね。でも、サイラスがあのまま俗世間とのつながりを断った偏屈ではなく、こうしてひとの間で生活している姿が嬉しくて)
またもや目頭が熱くなりかけたそのとき、いまひとりが小径走り抜けて近づいてくるのが見えました。
「レオノーラ姫! 会いたかったよ!!」
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