松崎武

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#10  暗いコンビニの店内で、松崎は目を凝らして倉持を探していた。 「倉持!隠れても無駄だ。見つけ出して頸動脈をぶった切ってやってやるからな!」  そう叫びながら、松崎は、自分が置いたカッターを必死で探していた。  しかし、カウンターの上に、カッターはなかった。 「まさか・・・あいつ」  松崎は自分を落ち着かせるように、心の中で考えを巡らす。 〔ここに置いたはすだ。もし倉持が持っていたとしても、あいつに俺を殺せない)  その時、体の内部が激しく痛み出した。定期的にくる癌の痛みだ。 「癌の野郎、邪魔すんじゃねぇ!」    松崎がカウンターでカッターを探していた時、倉持は雑誌売り場の近くの棚に身を屈めて隠れていた。事務所を飛び出したとき、カウンターのカッターを探したが、焦っていて見つけられなかった。  松崎がカッターを手にしたら、間違いなく殺されると思い、そうでないことを願った。  松崎は歯を食いしばり、店内のスイッチを探していた。  カウンターの中の壁にスイッチはあったはずだと、壁を手探りしていた。しかし、痛みが全身を襲い、立っているのもやっとだった。  カウンターにつかまり、レジの中にはいる。    倉持は音を立てて立てないように棚の間を動いていた。松崎に隙ができたら、カウンターにあるはずのカッターを奪って身を守ろうと思っていた。  しかしことによっては、カッターはすでにカウンターになかったかもしれない、とも思った。  五臓六腑の痛みに耐えながら、松崎はついにスイッチの場所を探し当てていた。 「倉持、待ってろよ、俺の手で殺してやるからな」  しかし、松崎はスイッチに気を取られていて、すぐ近くに人影があることに、まったく気づいていなかった。  大きな人影が、音もなくゆっくりと松崎の背後に近寄る。  松崎の手が、スイッチに触れる。 「これか!」  スイッチを入れようとした、その時だ。  松崎の背後の人影のその太い腕が動いたのは。  シュッという音と金属の冷たい感触が松崎を硬直させた。  殺られた、とすぐにわかった。  次の瞬間、松崎の首から生暖かいものが流れ出す。 「く、くそっ!」  松崎のうめき声と同期するように、店内の蛍光灯が、パッと灯った。  まばゆい光の中、右手でスイッチに手をかけたまま、松崎は自分の首をもう片方の手で押さえていた。  しかし、左手の隙間からは、真っ赤な血が止めどなく流れていた。 「随分、店を汚してくれたな」  聞き覚えのない声に、松崎は壁に背を預け、ギョッとして振り返る。  そこには、頭の禿げたでっぷりとした大柄な中年の男が、カッターナイフを手に持って立っていた。 「誰だテメェ・・・!」  男は目を細め、松崎をじっと見る。 「ここのオーナーだ」 「・・・あいつの、オヤジか。いつのまに・・・!」  店内に足音が響く。 「最初からいたよ、おっさん」  倉持だった。松崎は目を見開き、倉持と父親を交互に見る。 「どこにいやがった」  倉持はカウンターまで来ると、父親を見る。 「トイレ、店内の」 「最初は見つかるかとヒヤヒヤしたよ。お前に感謝しないとな」 「俺もヒヤヒヤした。父さんがずっとトイレにいると思ってたから」 「お前たちが事務所にいた時に、バックヤードに動いたのは正解だった」  松崎の首から流れた大量の血は、着ていたシャッツを真っ赤に染めていた。 「う、ううっ!」  体内の痛みが松崎を襲う。出血のため、意識も朦朧とし始めていた。  父親は松崎に見せびらかすようにカッターナイフを顔の前に持ち上げ、ニヤリと笑った。 「頸動脈を切った、正確にな」 「こ、この野郎!」  男めがけて掴みかかろうとした松崎だったが、大量の出血で薄れた意識と癌による体の痛みに耐えきれず、その場にひざまづいた。  父親は松崎の前に仁王立ちし、冷笑して見下ろす。 「お前みたいなクズを殺しても、正当防衛だ」  歩いて来た倉持もカウンター越しに松崎を見下ろす。 「どんでん返しだろ、おっさん」 「く、くそぅ、テメェ」  起きあがろうする松崎の顔を、父親の大きな革靴が蹴り上げた。 「アグッ!!」  背後に仰反って倒れる松崎。 「父さん、俺にもやらせてよ。借りを返さないと」  そう言う倉持は、カウンターの中に入ると、必死に首の血を止めようもがく松崎のすぐ横に立った。 「おっさんに殴られて、すごく痛かったよ」 「く、倉持ぃ」 「なに」 「テメェはオヤジに、殴られ慣れて」  松崎の言葉が言い終わる前に、倉持の足が松崎の顔を蹴り上げていた。  カウンターの中で口から血を吐き出す松崎。その顔を倉持は、2度、3度と、これでもかと踏み潰した。  松崎の顔が歪み、血で染まる。首からは止めどなくドロドロとした血が溢れ、フロアを染めていく。  倉持は微笑みながら言った放った。 「バカはバカな死に方をするもんだな」  松崎は怒りでのたうったが、何もできなかった。  倉持を見て、松崎が掠れた声を出す。 「全部・・・嘘なのか」  倉持はカウンターの中にあった折りたたみ式の椅子に、腰掛けると、脚を組んだ。 「全部じゃないよ。上手に嘘をつくためには、ほんとのことを混ぜて話す方が説得力がある。まあ、おっさんだってそんなこと、知ってるだろ」  父親が倉持な近づき、肩をボンと叩く。 「お前がこの男を見事に騙したのは、びっくりしたよ」 「父さんがケータイで指示してくれてだからだよ。2度目の時に、電気を消すから逃げろって言われたのはいんだけど、おっさんにスピーカーにしろって言われた時は、ちょっと焦った」 「こいつの声が聞こえたから、切ったんだ」  意識が薄れゆく中で松崎は、最初から電話をスピーカーにしろと言わなかったことを今更のように後悔していた。  倉持は松崎を見下ろして言った。 「あんたのカッターナイフをどう手放させるか、ずっと考えてたよ。まさかあんな簡単な方法であんたが手放して、しかも置き忘れるとは思ってなかった。やっぱ、バカなんだよなぁ。ねえ、父さん」  父親が、頷く。 「圭史、賢くないとこんなことになるってことだぞ。惨めな人生だろ。世の中は金だ。金を手に入れるのは」  父親は手にしたカッターを見る。 「金を手に入れるのはカッターじゃない。頭だよ、頭を使えるやつが、金を手にするんだ」  松崎は最後の力を振り絞って倉持に飛びかかろうしたが、逆に倉持の足が松崎の顔を蹴った。 「オエッ!」  松崎は跳ね飛ばされ、フロアに大の字で寝転がる。口の中から血の塊がドロッと吐き出された。  意識が混濁し、記憶が曖昧になっていることを松崎は自覚していた。頸動脈が切られ、脳に行く血が失われているせいだ。そして、猛烈な寒さが体の芯から全身に広がっている。  そろそろ、30%だ、と。    松崎の耳に、倉持親子の会話が遠くで聞こえた。  それはまるで海底から海の外の声を聞いているような感じだった。正確には、血の海から、聞いていたのだが。 「父さん、ちなみになんだけど、隠した金っていまはどこに置いてあるの」 「お前が知る必要はない。そうだろ。あれは私の金だ」  倉持はうつむきながら、言った。 「父さん、もうちょっと早く助けに来られたんじゃない。それと、ケータイで警察に通報するとか」  父親が倉持の肩を叩く。 「それはお前が悪い。この男に隠し金のことを話しだろ。ちゃんと聴こえてたぞ。もし警察にその話をされてみろ、これまでの苦労が水の泡ってもんだ」 「自分の身を守るために話したんだよ。案の定、こうして生きている。俺も捨てたもんじゃないでしょ、父さん」 「まあな。しかし圭史、脱税の話はすべきじゃなかった」 「父さん、だけど・・・」  父親は倉持の話をまともに聞いていなかった。 「こんなに店を汚しやがって。後片付けが大変だ。圭史、頼むぞ」  倉持は、父親が持っているカッターナイフをじっと見ていた。 「わかりました。掃除はちゃんとやっておきます。それと」  倉持が、父親のカッターナイフを指差す。 「それもちゃんと処理しておきますから」 「処理?」 「ええ、この男の手に握らせておきますよ。その方が、前科者らしいでしょ」  父親が、ニヤリと笑う。 「それはそうだな」  倉持の手に、父親が、カッターナイフを渡す。 「お前、ずっと手袋してたのか」  倉持が頷く。 「ええ、してました。汚れた液体が手につかないように」 「汚れた液体?」 「ええ、そうです」  カッターを手の中で、ゆっくりと回転させる倉持。 「悪いやつの身体には、血なんて流れてないんですよ。汚れた液体が流れてるんです」  父親が、呆れた顔で倉持を見る。 「お前のそんなとこが、バカだっていうんだ。何が汚れた液体だ。バカバカしい」 「バカ・・・」  松崎はぼんやりとだが、倉持の顔が見えていた。  そして、思った。    俺と同じ目だ。ワルの目をしてる、と。
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