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#2
畑や田んぼが広がる一帯は暗闇に包まれていた。その中で、コンビニだけが異様に明るく青白い光を放ち、光っている。
午前3時30分。
松崎はコンビニの自動ドアをくぐる。
店内をぐるりと見渡した松崎は、他に客がいないことを確認すると、文房具売り場の前出立ち止まる。そして、商品に手を出して伸ばす。
カウンターを隔て、松崎は若いスタッフと向き合って立っていた。
学生に見える髪の長いスタッフは、松崎が売り場から持って来た商品を見下ろす。
透明な袋に入った、カッターナイフ。
工作用の細身のもので、売り場には1本しかなかった。
スタッフはカッターを見た後、松崎に視線を向ける。
髪はボサボサ、無精髭、何日も洗っていないようなクシャクシャのシャツにヨレヨレのジーンズ。
そんな客が、もっとも客が来ない午前3時過ぎに目の前に立っている。しかも、客が持って来たのは、カッターナイフ。
頭の中で、さまざまな考えが過り、消えた。
「何やってだよ、いくらだ」
松崎が低い声で唸る。
スタッフはゆっくりとカッターを手にする。
店内に1本だけあったやつだと思った。
「早くしろ、もたもたすんじゃねぇよ」
松崎はとても短気だ。
スタッフはバーコードリーダーで、カッターのコードを読む。
「税込で、451円です」
若いスタッフを一瞥する。高けぇなと言って、100円玉と10玉をバラバラと投げ捨てるように、青いキャッシュトレーに撒いた。
それが松崎の全財産だった。
スタッフが金を数える。
「あと1円お願いします」
「は?」
「451円なので、1円足りないです」
松崎の手の中にはもう金はなかった。
「1円くれぇ、まけろよ」
黄色い歯を見せて、松崎がニッと笑う。
「すみませんけど、それはちょっと」
若いスタッフは、松崎が真っ当な男ではないことに気づいていた。こんな真夜中、酒臭い息を吐き、カッターナイフを買う。しかもコンビニでまけろという。
1円だとしても、まけろと言われたのはこれが初めてだった。
(まともじゃない・・・)
鋭い眼光で自分を見る松崎に、スタッフはそう思った。
カッターナイフで無差別殺人を企てていた松崎は、例え工作用とはいえ、真っ当でない使い道を心得ていた。それが、簡単に人を殺せる凶器になることを。
レジを通さずにカッターを持ち、しらっと店を出てもよかった。もし気づかれても、こんな若いスタッフなら、3秒で殺れるだろうと。
しかし、ここで面倒なことになって無差別殺人の計画がチャラになったら元もこうもない。
松崎は根っからのワルだったが、狡猾な頭脳の持ち主でもあった。
だから買うことにしたのだが、1円足りないとなると話は別だ。たった1円のために自分がやるべきことを止めるなんて、愚の骨頂だと。
松崎が、わざとらしく笑った。
「そりゃそうだよな。へへ。コンビニでまけろなんて奴ぁバカしかいねぇわな。わかった、返してくる」
カッターナイフを手に持つと、スタッフに背を向けた。
若いスタッフは内心、ほっとしていた。こんなヤバい客を上手にさばくのも、自分のミッションだったからだ。
例え名ばかりの店長だとわかっていても、オーナーに自分を認めさせてやりたかった。
パリッという音が、聞こえた。
紛れもなく、松崎の手元だとわかった。
「お客さん?!」
背中を向けていたので、スタッフには松崎が何をしているか見えなかった。
スタッフはなぜか救いを求めるようにトイレに視線を向けたその時、松崎が振り向く。
「すまねぇな兄ちゃん、俺はバカでね」
剥き出しのカッターナイフの刃先が、スタッフに向けられていた。そして、素早くスタッフと距離をつめる。
「・・・!」
目を見開いて後づさりしようとしたスタッフを、松崎の手が捕らえた。
長い髪の毛が鷲掴みにされ、カウンターに引き戻す。カッターを持った手は、スタッフの首にピタリと当てられた。
「声を出すな、カッターがテメェの頸動脈に当てられている。引けば、死ぬぞ」
松崎は力任せにスタッフの長い髪を鷲掴みにしたまま、カウンターに無理矢理、頭を押さえつける。ゴツンという、スタッフの頭がカウンターにぶつかる鈍い音が響く。
スタッフの首にピタリと当てられたカッターナイフは、1ミリも動いていなかった。
それは鮮やかなほど、一瞬の出来事だった。
松崎がムショで培って来た、生きる術でもあった。
「うぐぐ」
「動くと、確実に死ぬ」
松崎が凄みをきかせる。
「頸動脈を切られたらどうなるか、わかるか」
カッターの鋭い歯が、蛍光灯の光を受け、ギラリと光る。
「頸動脈を切るなとな、血が面白れーほど噴き出すぜ。やってみるか、へへ」
松崎は引きつるように笑った。
いつでも首を切ることはできた。無差別大量殺人の1人目はこの男にするか、とも思っていた。
「頸動脈ほどやばい血管はないんだぜ。俺はムショで何人も殺ってきたから、よぉくわかるけどな」
スタッフを威嚇するためにうそぶく。
相手を怖がらせるための嘘は10代からお手のものだった。喧嘩は手を出す前に相手をどれだけビビらせるかで勝敗が決まる、というのが松崎のセオリーだった。
カウンターに頭を押さえつけられ、スタッフは喘いでいた。万引きはしょっちゅうだったが、こんな目に遭うのは初めてだった。
「声を出すんじゃねぇぞ。下手なことをするとカッターを引く。わかったか」
「は、はい」
「この店にはお前だけか」
「・・・そうです」
「ほんとだな。嘘つくなよ。俺は嘘が大嫌れぇだからな」
「こんな時間に客なんて来ない。だからこの時間はいつも一人です」
松崎は辺りを見回す。スタッフは再び、チラッとトイレに視線を向けたが、松崎はそれには気づいてはいなかった。
店内には、軽快なJポップスが流れていたが、人の気配はない、と松崎は判断した。
こんな田舎の、この時間に来る客なんているとは思えない。スタッフも1人いれば充分だろうと、
ワンオペは地方都市では、珍しくない。
「お金は持っていってください。全部、出します」
スタッフの言葉に松崎は、ヘラヘラと笑う。
「金?コンビニにいくらあるってんだ。なめんじゃねぇぞ」
「えっ、じゃあ・・・」
困惑したスタッフの髪を掴んでいた松崎の手が、さらにギリギリと締め上げる。
顔を歪めるスタッフ。
「コンビニの小銭なんかに用はねぇんだよ。俺はな、もうじき死ぬ。だからその前にひとりでも多く道連れにしようと思ってる。無差別大量殺人って言葉、知ってるか」
「ちょ、ちょっと待ってください!1千万あるんだ」
「・・・なんだと?」
思わぬスタッフの言葉に、松崎が怪訝な顔をする。
「レジにはちょっとしかないけど、奥の事務所には、1千万ある」
1千万と聞き、松崎が大袈裟に目を見開く。
「俺をバカだと思ってんなこの若造」
首に当てたカッターナイフにグイッと力を入れた。軽く引きさえすれば、頸動脈は切れる。血が噴き出す。
「ほ、本当です。オーナーはコンビニを複数やっていて、全店の売上をこの店で管理してます」
「コンビニごときで1千万?あり得ねぇ!」
「違う!そうじゃなくて、隠してるんです」
「なんだと」
松崎が眉を顰める。
「税金逃れ。売上を少なく計上して、それ以外は隠してます。それが1千万はある」
眉間に皺を寄せ、スタッフに顔を近づける松崎。
「おいおい兄ちゃんよ。命が惜しくて時間稼ぎに戯言垂れてんなら、もっとひどい殺し方もあるんだぜ」
「ほんとです!ほんとですって!!」
「この嘘つき野郎がぁ」
スタッフの髪を鷲掴みにしたまま、カウンターに押しつける。
「なんでそんなこと、オメェみたいなバイトがわかるってんだよ!店長ならともかくだ。そうだ、店長はどこだ」
松崎に押さえつけられて、スタッフは苦しそうな声で、思いもしない言葉を漏らす。
「店長は、僕です」
「なんだと」
松崎が手の力を緩めた。
「僕がここの店長です」
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