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謎の男
「お待ちしてましたよ。」
男はニヤリと笑った。俺が見上げるほど身長が高く、金髪で耳や唇にピアスが開いていた。ネクタイを上までしっかりと締めてキャバクラの黒服のような格好をしていたが、高級な素材を使っていることは素人の俺が見てもわかった。首からタトゥーがチラリと見えた。
「暑かったでしょう。どうぞ。あぁ、土足で結構です。」
俺は男について行くと、客間に通された。室内は殺風景でコンクリート打ちの壁に中央にはソファと大きめの机が置かれていた。
「さぁ、座って。」
男に促されるまま、ソファに座らされた。そして男も俺と向かい合うようにソファに座り、脚を組んだ。
「失礼します。」
「うわっ」
いきなり女の声が聞こえて、俺は思わず声が漏れてしまった。なんせ、女は音も立てずにお茶を運んできたからだ。
「あぁ、すみません。うちの部下が驚かせてしまったようですね。」
「い、いえ…。」
俺はチラリと女の方を見るが、女は何事もなかったかのように平然とお茶を机に置いた。そして、俺に少し会釈をした後、すぐに奥の部屋へと消えていってしまった。あぁ、そうか。あの女と昨日電話したのか。声の通り無愛想だな。
「彼女は少々無愛想でね。不快な思いをさせてすみません。」
「い、いえ。大丈夫です。」
俺はそういうと男は少し微笑んだ。
「ええと、さて、今回はどういう相談かな。あぁ、申し遅れました。私、こういう者です。」
男はそういうと名刺をサッと差し出した。
『レンタル屋。夢原命』
「ゆめはら…いの…」
「あはは、命って書いて『みこと』って読むんですよ。」
「あぁ、なるほど…。」
夢原命。先程から何か胡散臭かった。ずっとヘラヘラ笑っているし、格好がいかにもそっち側の人間だからだ。
「まぁ、やっぱり警戒しますよね。こんな胡散臭いことやってるんですから。」
俺の心を全て読み取られているみたいだった。男は笑っているはずなのにその目は笑っていなかった。それがさらに気味悪かった。
「あぁ、すみません…。」
「いいんですよ。気にしないでください。皆さん最初はこうですから。でも安心してください。必ず皆さん満足しますから。」
夢原はまるで獲物を狙っているかのような目で俺を見つめた。
「は、はぁ…。」
「あはは、そろそろ本題入りましょうか。ええと、鈴木裕也さん?」
「なるほど、裕也さんは有名になりたいんですね?」
「はい。俺は生きた証を残したいんです。」
夢原は少し考える素振りを見せて、口を開いた。
「生きた証って有名になることだけなんですかね。」
「え?」
「いや、極論、生きた証なんてみんな持ってるじゃないですか。例えば住民票とか、保険証とか。今なんてSNSあるんだから自分が死んだってずっとこの先残ってますよ。」
「そういうことじゃ…」
「ないんですよね」
夢原はニヤリと笑った。
「え…」
「生きた証なんて聞こえが良いじゃないですか。『自分は特別だ。そこら辺にいる奴とは違う。俺は天才なんだ。』って自己の承認欲求を満たしたいんですよね?」
「それは…」
「大丈夫ですよ。人は欲に従順な方が美しい。僕は好きですよ。ドロドロとした承認欲求。」
夢原はスッと立って俺にジリジリと近づいてきた。
「積りに積もった欲求は自慰行為では収まらなくなった。その結果、貴方はここまで導かれたんですよ。」
そして、俺の座ってるソファの後ろに周り耳元で囁いた。
「貴方に良いものをお貸ししましょう。」
フフッと笑った顔はまるで悪魔のようだった。
俺は、その言葉に何か最後に繋ぎとめていた理性がプツリと切れてしまったようだった。
俺は、有名になって認知して欲しい。俺という存在を。俺はお前らとは違うんだ。凡人で終わるものか。
「ええ、お願いします。」
俺の暗かった視界は明るくなったような気がした。
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