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懐古
「よぉ、久しぶりだな。裕也。いや、今はmusic boxと言うべきだったか?」
男は嘲笑した。ダボっとした服を着たひょろっと背の高いシルエット。風でふわっと浮かぶ分けた前髪、切れ長な目、久しぶりに見る懐かしい姿だった。
「こ、幸介か?」
幸介、この名を口にするのは遠く昔に感じた。かつて「夢を見ているのはお前だけだ」と言い、俺を見捨てた男。斉田幸介。そんな奴がなぜ俺に?そもそもなぜ俺がmusic boxであるとバレた…?
幸介は続けて口を開いた。
「随分と立派になったな。俺はお前の歌を1番聞いてきたんだぞ。名前だの顔だの隠したってすぐにバレる。」
「あ、あぁ、そうだよな。」
何が言いたい?喉から疑問が沢山溢れそうだった。それを抑えるように唾を飲み込む。汗が頬を伝う。蝉の声がやけに煩く感じた。
「それにしてもすごいよな。お前。あんな良い曲を生み出してさ。でも少し引っかかるんだよ。お前の意志が全く見えない。まるで誰かの指示を受けているみたいだ。」
「何が言いたい?」
俺は焦った。ただただ幸介を睨み付けることしか出来なかった。その様子は幸介にも伝わってしまったようだ。
「いきなり会って失礼なこと言ったな。すまん。ま、立ち話はこれくらいにして、ちょっとどこか寄ろうか。」
俺たちは近くのカラオケに入った。俺がmusic boxであると知った幸介なりの配慮だろう。店員に案内された部屋に入るとやけにタバコの匂いが気になった。普段は気にならない臭いのはずだ。落ち着け。動揺を相手に察されると困る。しかし、考え始めれば止めることは出来ない。
コイツに俺の本当の正体がバレてしまう。
幸介はカラオケ機器から流れる音を消して、ドカッと席に座った。ドリンクバーで持ってきたアイスコーヒーを一口飲み、俺に問いかける。
「で、さっきの話の続きだけど、単刀直入に聞く。お前、曲なんて作ってないだろ。」
やばい。どうしよう。口を開け。何か言え。
「…は?何言ってるんだよ。あの曲は俺が正真正銘1から作ったに決まってるだろ。」
唇が若干震える。嫌な汗が噴き出る。手がじんわりと湿る。そして夢原の言葉をふと思い出した。
『あ、そうそう…。あなたがmusic boxとして活動してもきっと身近な人にはバレるでしょうね。例えば…そうですねぇ…。あなたの元仲間だった斉田幸介さんとか。』
『なんでその名前を…』
『フフッ、随分と長い付き合いだったらしいですね。それなりの信頼も互いにあったし、彼はあなたよりも音楽への情熱も強かったでしょう。そんな彼が、"あなたは才能をレンタルして有名になった"と知ったらどんな気持ちになるんでしょうね。きっと失望するかもしれないですね。わずかに残った信頼も消えるでしょう。それでもあなたは有名になりたいと望んだ。』
『何が言いたいんですか。』
『誰にもバレないようにした方が得策ですよ?』
やはり幸介に疑われた。もし、幸介に本当のことを伝えたら、もう俺とは今度こそ縁を切られてしまうのだろうか。いや、絶対そうだ。幸介は誰よりも音楽を愛していた。俺が才能をレンタルしたなんてバレたら…
いや、待てよ。
幸介は真剣な眼差しで俺を見る。
「裕也。お前は夢のための努力が足りないと思っていた。いつも他のメンバーに作詞・作曲を任せっぱなし。歌の練習をしないから歌唱力も上がらない。このままじゃ売れないと思ったんだ。」
幸介は淡々と話す。その目は少し悲しそうだった。
「だからあの時、他のメンバーと口裏合わせをして『解散しよう』と言ったんだ。スタジオを出て行った時、お前の意欲が少しでもあるなら追いかけて来てくれると思っていた。でもお前は俺たちのところには来てくれなかった。」
カランとコップの中の氷が揺れた。
幸介、何を言ってるんだ?
ここにいるのは誰だ?俺は……
音楽界の新星。music boxだぞ。
あれ、なんで俺さっきまで怯えていたんだろう。
「あの日、お前が動画を載せた日。曲を聴いた瞬間、お前の声だって分かったよ。でも、やっぱり何か違和感があるんだ。何か隠して…」
「ごめん、何言ってるかわからない。」
「は?」
幸介は少し俯いていた顔をパッとあげて、再び俺を見た。俺は口を開いた。
「さっきから誰の話をしているんだ?お前にはバレていたみたいだから言うけど、俺はお前らとクソみたいなバンドを組んでいた鈴木裕也じゃない。俺はmusic boxだ。お前がさっきから文句を言っているのは鈴木裕也だろう。あいつはもう俺の中で死んだよ。」
「裕也…?何を言って…」
幸介は何故か目をまん丸にして口をパクパクと動かしていたが、言葉が出てこないらしい。
俺は正しいことを言っているだけなのに。
たしかに鈴木裕也は戸籍上、俺だ。
だが、俺の中で鈴木裕也は生まれ変わった。
music boxのセンスは俺のセンス。
だからこれからも俺が使う。
あぁ、なんだか愉快だ。さっきまで緊張感が溶けて口角まで上がってしまう。
「裕也!気が触れたのか!?」
「うるさいなぁ。幸介、話したかったのはこれだけ?俺、時間無いんだけど。帰って良い?」
話す時間も無駄と感じてしまった。俺はスッと立ち上がり部屋の扉に手をかけた。
「裕也!何かヤバいものに手を出してないよな!?いや、手を出していたとしても、俺はお前を裏切ったりしない!だから…!」
「はぁ、薬なんてヤってないよ。あぁそうだ。鈴木裕也から遺言預かってるよ。『もうお前は必要ない』だってさ。じゃあね。凡人。」
ひらりと手を振って俺は出た。
後ろは振り返る価値も無かった。
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