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転落
———ピーンポーン、ピーンポーン
インターホンが鳴り止まない。俺は恐る恐る、足音を立てずに玄関へ近づいた。
ガチャリ
玄関の扉を開けると、見覚えのある肥えた男が立っていた。
「隣の佐藤ですけど。もうこんな時間!うるさくて寝られやしない。」
佐藤は不機嫌そうな顔でこちらを睨み、頭をポリポリと掻いていた。
「あ、あぁ、すみません…。気をつけます。」
それからもブツブツと文句を言いながら佐藤は自室へ戻っていった。
さっき佐藤とは明らかに違う足音が聞こえたような気がしたが…
「いや、気のせいか。」
俺は玄関の扉を閉めた。緊張が解けて、一気に眠気が襲ってきた。俺はそのまま布団に倒れ込み、泥のように眠った。
『お疲れ様です。鈴木裕也。確認できました。』
『ご苦労様です。様子はどうでしたか?』
『はぁ、命さんの言う通り、天狗になってましたよ。』
『あぁそれはそれは。フフッ、やっぱり単純ですね。引き続き様子を伺い、場所の手配をお願いしますね。』
『承知しました。』
ツー…。ツー…。ツー…。
数ヶ月後
———スズキユウヤ、新曲オリコンチャート1位。映画は大ヒット。主題歌が好評。
———スズキユウヤ、ドラマ主題歌の担当決定。
———スズキユウヤ、初ライブツアー決定。チケットは争奪戦か?
「まさかこうもトントン拍子に事が上手くいくとはなぁ。」
俺はポツリと呟き、酒を煽る。
あれから映画は大ヒットし、さらにCMソングを2曲、ドラマの主題歌、そしてツアーも決定した。
それに伴い、俺の生活もガラリと変わった。ボロアパートから都会の一等地にあるタワーマンションに引っ越した。毎日のように美味い飯と美味い酒が飲める。女も選び放題。以前よりも慎重に生活をしないといけない面もあるが、それは有名になってしまった安い代償だ。
music boxはずっと使っている。それでも突然使えなくなったり、故障はしなかった。
俺は酒の入ったグラスを持ち、広く解放的なリビングルームをぐるりと回って、バルコニーに出た。
そこから眺める都会の景色は、最高だった。
俺は、生きている。俺のことを知らない奴なんていない。凡人をこうやって上から見下すのは最高に気分が良い。
俺は、生きた証を手に入れる事ができた。
空気を吸って吐いた。風が心地よかった。
「随分、ご成功されたようですね。」
突然聞こえるはずのない声が聞こえた。
バッと振り返る。
俺が見上げるほど身長が高く、
金髪で耳や唇にピアスが開いていて、
ネクタイを上までしっかりと締めて、
キャバクラの黒服のような格好をしていて、
首からタトゥーがチラリと見える、
…男がカウンターチェアに座って、テーブルに頬杖をつきニヤリと笑った。
「お久しぶりです。鈴木裕也さん。」
男はくるっと椅子を回転させ、脚を組んでこちらを見つめた。
「お、お前…なん、で…」
「やだなぁ、そんな怯えないでくださいよ。フフッ。」
夢原はまた笑った。大きな黒目の中に俺が映る。
いや、なんで、この部屋はオートロックなはず…。どうして入れた…?いやそもそもなんでここに俺がいることを知ってる…?
夢原はひょいと立ち上がって、俺の方へジリジリと近づいてきた。
「いやぁ、新曲、良かったですよ。裕也さんがご自分で作曲なさったんですか?」
「ひっ……」
さらにどんどん近づいてきて、俺の顔をまじまじと見つめ、またニコリと笑った。
すると、いきなり方向を変え、この部屋の間取りを知らないはずの夢原は迷うことなく俺の作業部屋へと脚が進んだ。
ガチャリ。
作業部屋の扉が開く。
夢原は作業机の上に置かれたmusic boxを見つける。そして、それを徐に持ち上げてまじまじと見つめた。
「使用履歴、出してくれる?」
楽しげな声でmusic boxに話しかける。
俺はそれをぼーっと見ていた。
「…っ!…おいっ、やめろ!」
俺ははっとして、走って夢原に掴みかかろうとしたが、夢原は俺の頭を掴み机にドンっと押さえつけた。鈍い音が響く。
その力は強く、俺はグリグリと頭を押さえつけられ、その場で手やら脚をめちゃくちゃに動かしたが、その手を振り払うことは出来なかった。
「煩いですねぇ、ちょっと黙っててください。」
再び力が強くなる。
「うっ…」
『使用履歴、検索しました。印字しますか?』
「うん、お願い。」
夢原がそう言うと、music boxの機器の裏側からレシートのようなものが出てきた。
「なんっ…で……、お…れ…のこえ….しか…とうろ…く…」
「これは元々私のものですよ。あなたにはお貸ししていただけですから。私の音声も登録されているに決まってるじゃないですか。」
夢原は上機嫌に答える。そして使用履歴が印字されているであろう紙をじっと見つめて、フッと笑う。
「いや〜随分と使用されているんですね。この前の映画の主題歌も、CMのタイアップ曲も、今度のアルバムに収録される曲も。何曲だろうなー。1、2、3、4、5…」
一瞬、口を閉じたかと思ったが、彼の口角が上がった。
「6…。これ以上数えても無駄です。ルール違反です。」
そう言った瞬間、夢原は俺を押さえつけていた手をパッと離した。俺はこれが最後のチャンスだと思いそのまま全力で走って逃げようとした。
「うぐっ………」
あれ、脚が動かない。
腹の辺りが熱い。
「なんで逃げれると思ったんですかねぇ。これだからバカは嫌いなんだ。」
夢原は俺の耳元で吐き捨てるように呟く。
腹に拳がのめり込む。
視界がぼやけてくる。
水の中に入っているように周りの音も聞こえなくなった。
瞼がゆっくりと閉じようとした時、微かに声が聞こえた。
「まだ終わって無いですよ。」
プツリと俺の意識は無くなった。
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