生きた証

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生きた証

「…うぅ……っ!」 俺は……何がどうなってる? あの時夢原に突然腹を殴られた後の記憶が無い。 腹がまだ痛い。 目の前はもう見慣れてしまった東京の街が窓の外に広がっていた。 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。 「あれっ、身体が、動かない…」 しばらくして俺は椅子に縛られていることを理解した。 犯人はわかっている。あの男だ。夢原だ。 俺が5曲以上music boxを使ったからか?いやそもそも、music boxは元々俺のものだろう。どうして夢原の物になっているんだ? やっぱり詐欺じゃないか。 あぁ、騙された。 俺はどうなるんだ? 逃げられるよな? ここは日本だぞ。明日には元の生活に戻れるよな? 元の、俺の、幸せな…… 「承認欲求の塊にまみれた生活ですか?」 後ろから聞いたことのある声がした。 足音がどんどん近づいてくる。 俺の鼓動は速くなった。 「おはようございます。良い景色ですね。ここ、どこだかわかりますか?」 夢原は意気揚々と俺に話しかけてくる。 俺はガタガタと唇を震わせることしかできなかった。 そのまま奴は俺が縛り付けられている椅子に手を置いた。 「ここはあなたのマンションの最上階にあるバーですよ。」 そう言われてようやく気づいた。もう一度見回してみると、たしかに俺のマンションにあるバーだった。 なぜ?なぜここに連れてこられた? だったらバーで働いている人がいるはず。助けを呼べば…。 「あぁ、そうそう、助けは来ないですよ?私の優秀な部下が全て今日のために準備してくれました。抜かりはないです。」 夢原はニコリと笑って俺の耳元に話しかける。 「有名になれて楽しかったですか?」 しかし、その声は冷たく、全身に悪寒が走った。 「無視ですか?ほらほら、喋ってみてくださいよ。テレビの取材みたいに!ペラペラと嘘を吐いてくださいよ!!」 笑いながら俺の頬を手の甲でペタペタと叩く。 「お、俺は…」 「はい?」 「俺はmusic boxだ!!!!あれは俺のものだ!! 金はいくらでも積む!!早く解放しろ!!なんで俺がこんな目に…!ほら!お前だって金が欲しいだろ!!だから…」 「別にお金は要りませんよ?」 「は…?」 夢原は背後から俺の顔を覗き込んだ。 「私は優しいので、music boxを5曲以上使用したことは明らかですが、目を瞑りましょう。」 「…は?」 何を瞑るんだ?だから、あれは俺の… 「ですが…」 夢原は俺の正面に立ち、片手で頬に触れた。その手は人間とは思えないほど冷たかった。 「あなた、生きた証が欲しいんですよね。」 奴はニヤリと笑う。 「ひっ……」 身体が硬直する。 「あなたには知名度がある。でもそれはいつまでも続かない。終わる。忘れ去られる。儚いものです。生きた証なんてすぐに消えるでしょう。」 ぐいっと顔が近づく。 「では永続的に生きた証を残すにはどうすればいいのか?」 俺は目を見開きガタガタと震えるしかなかった。 「強烈な印象を残せばいいのです。」 「いん…しょう」 「ええそうです。印象です。」 ニヤリと笑う。そしてバーカウンターの方へ移動した。 「ではどうやって印象を残せばいいのか?お教えしましょう。」 酒が並んでいる棚をカチャカチャといじり出した。 俺はただただ窓の外を見つめることしかできず、奴の様子を伺うことはできなかった。 俺はmusic box。 音楽界の新星。 天才なんだ。 「なんで…俺が…こんな目に…」 口から言葉が溢れる。 その声に夢原は反応した。 「だって、あなた、ただの凡人じゃないですか。こんなくだらない道具を使わないと何もできない…凡人以下の人間ですから!」 「あ……。」 その瞬間、俺の中にあった何かはスーッと溶けていった。 そうだった、俺は…。俺はただの鈴木裕也。俺はいつも何かに頼って生きて、夢でさえも自分で何も努力をしなかったただの凡人。いやそれ以下の屑だった。 「でも安心してください。私が生きた証を残させてあげましょう!サービスです!」 そう言ってグラスをこちらに持ってきた。 「…なんだそれは……!」 夢原の口角は上がる。 「なんでしょうねぇ、それではさっきの話に戻ります。強烈な印象を残す方法、それは死です。緩やかな死ではなく何の前触れもなく突然やってきた死です!」 「は…?い、今、なんて…」 「芸能人の突然死って結構連日ニュースにもなるし、ファンだったら尚更悲しむでしょう?強烈な印象づけに最適です!」 「い、嫌だ!し、死にたくない…!」 「なんでです?生きた証を残したいんでしょう?そうですねぇ、自殺とかどうでしょう?うーん、首吊りはありがちですし、見つけられてからニュースになるそこまで少し時間がかかりますよね。じゃあ……」 そう言うと手にグラスを持ったまま、窓に近づき、ガラスに触れた。 「…飛び降り自殺です。」 今までで1番声色が低く、俺の胸に突き刺さった。 「時間は早朝、皆さんが出勤する時間にしましょう。 あなたの死ぬ瞬間をより多くの人の記憶に刻み込みましょう。楽しみですね。」 夢原はニコニコ笑いながら、意気揚々と俺に話しかける。 「嫌だ!やめろ!わ、悪かった!!ルールを破ったことは謝る!!!慰謝料も払う!音楽もやめる!だから…!だから命だけは…!」 俺は椅子をガタガタ揺らしながら必死に懇願した。 すると夢原から笑顔がフッと消えて、真顔になった。 初めて見る表情だった。 そのまままた俺の方へ歩いてきた。 「…私はね、人がそうやって必死に命乞いする姿がね…」 奴の顔が視界を埋める。 「大好きなんですよ。」 不気味に笑った。 「ひっ、ひぃ……。や、やめろ!!本当にすまなかった!!許してくれ!!!!」 「あははは!!もう遅いですよ!裕也さん!私は忠告したのに、破ったあなたが悪い!!自業自得です!! 最高ですよねぇ!人が死を自覚する瞬間、絶望に染まった顔!私、1番大好きです!あははは!」 夢原はその場でケラケラと笑い出した。 「ああああああああ!!嫌だ嫌だ嫌だ!!死にたくない死にたくない!」 俺はみっともなく泣き叫んだ。顔は涙と汗と鼻水でもうぐちゃぐちゃだった。 「死にたくない!死にたくない…!やめ…うぐっ…」 「ちょっと煩いですよ。耳障りです。汚い声で喚き散らかさないでください。」 夢原は俺の口を片手で無理矢理こじ開けて、グラスに入った液体をそのまま流し込んだ。 「うっ…」 その瞬間、体は動かなくなった。 意識だけははっきりしている。 体を動かそうとしても何も反応しない。 声を出そうとしても出ない。 目と耳だけが情報を提供する。 まるで俺の身体が誰かに乗っ取られたような感覚だった。 「そろそろ夜明けです。」 夢原はポツリと呟く。 空が白み始めて、太陽が少し顔を出した。 俺は…もう……。
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