今日モデルの貴方は明日 (旧題:私のツラの皮)

3/9
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 待ち時間はかなりあった。けれど問診票を書き終わったのは、私の名前がちょうど呼ばれた時だった。待合室のありとあらゆる所を観察していた母も、見るものがほとんど残っていないようでやれやれと首を振った。ふと目をやるといつの間にか受付の人は替わっている。  診察室と言うよりは会議室のような部屋に通された。初診はカウンセリングのみと言われて、色々なプランを説明される。私は大袈裟に頷いて、パンフレットを何度も行ったり来たりさせた。  私の問診票に一通り目を通した女医は、顔のパーツ全てが整えられていた。雰囲気が落ち着いているから実際の年齢はかなり上だろうけど、見た目は10代と言われても頷ける。シワが全くなくて、太陽の光もそのまま通り過ぎてしまいそうな透き通った肌は触らなくても分かる弾力があった。どんなに美魔女と言われていても全く年齢が出ないわけではない。若さしか詰まっていない顔は、人形みたいだった。  女医が問診票をめくっている間、母がじっくりと顔を観察していた。パーツの下に潜んでいる毛穴の1つ1つまで見れそうだった。私は背中に冷や汗をかきながら、どうか母の不躾な視線に気が付かないでと祈った。  ふと女医が顔を上げた。ちょっとお顔触りますよ、とゴム手袋をした手が伸びてくる。輪郭とか鼻とかを簡単に見た後、ぐっとまぶたをあげられた。 「貴方整形してるのね。悪いけどそれだとうちじゃ施術できないなぁ」 「目の周り以外とかもできないですか?」 「うーん、そうね。念には念をってことでやっていないの。何かあると怖いから」  ネットでは、問診票にいいえと回答したら施術してくれると書き込みがあったのに。会話を繋ぐだけの声が漏れる。いいですよやりましょう、と言われることだけを考えていたから面食らってしまった。 「あの、何かあるって、具体的にはどんなことですか?」  かぶれるとかちょっとした肌荒れぐらいだったら多少我慢できる。どうせパーツで覆われるのだから、私の素顔が多少おかしくても大丈夫なはず。 「専門的な話になるから、言っても分からないでしょ」  私の期待を、女医は抑揚のない声でバッサリ切った。見た目は大事だ。同級生に拒絶されているみたいで怯んでしまった。じっと見つめらると喉が干上がってきて、今度こそ言葉が出てこない。  結局は私が整形しているのが原因だけど、ちゃんと予約をしてわざわざ電車に乗ってクリニックまで来て、細かい問診票をいちいち書いたのだ。母に折れてもらうのだって時間がかかった。最初からダメだって言ってくれたら、ここまでの苦労はしなかったのに。  会話は終わりというように、ドンドンと大きな音を立てて朱肉をつけると、女医は書類に判子を押した。 「申し訳ないですね。でもうちではできませんから」  では、と女医は席を立った。お腹の真ん中からわっと押し出てくるように不安が襲ってくる。自分の顔をすごくブスだと思ったことはないけど、このままだとそう認めなければいけなくなる。夏休みが終わったら、皆付け替えパーツをしてモデルみたいな顔立ちになるはずだ。そんな中で、張り合えるとは思っていない。私だけが整っていない顔で毎日を過ごさなければいけないなんて地獄じゃないか。  私は二重整形をしてしまった自分を呪った。一重が嫌ならアイプチをしていればよかったのに、どうして二重になりたいなんて願ってしまったんだろう。昔は、目さえくっきりとしていればあとは自分の努力でなんとかなると思っていたけどそんなことはない。顔の形から頬ぼねの出っ張り方から肌の質感まで、何もかもに限界はある。付け替えパーツという存在がそれを浮き彫りにさせていた。  女医は明らかに出て行って欲しいというオーラを放っていた。診察室にへばりついたところで、私の顔が変わらないのは理解している。けれど、これからのことを考えると私はどうしても顔を変えたかった。違う、ということは事実よりも感情から引っ張られてくる。  女医のため息は、母のそれと種類が同じだった。 「ごゆっくりされても構いませんが、私は診察がありますので先に退出しますね」  気まずい空気の中を破ったのは母だった。私の手からパンフレットを奪う。 「この、付け替えパーツっていうんですか、顔変えるのは私がやってもいいんでしょうか? 私は整形してないですけれども」  出ていこうとした女医が、振り返った。 「諸々検査する必要がありますが、勿論お母様もできますよ。料金はすでにお話した通りです。ただ今日は……予約がいっぱいですね。別途予約が必要になります。よければ今取りましょうか」 「お願いします」  女医は口だけで微笑むと、近くにいた人に耳打ちをした。予約と個人情報の記入を済ませる時間はありますか? とバインダーを持った看護師がにこやかに尋ねた。  私が行くのにあれだけ難色を示していたのに。母の頭には、さっきまでじろじろと見ていた女の子も私も浮かんでないだろうと思う。身勝手な人だし、ずっとそうだったから今更驚くこともないけど母の心変わりは急すぎる気がした。 「なんで?」 「なんでって何が?」 「いや、付け替えパーツやるの?」 「いいじゃない、別に。お医者様もできるって言ってるんだし。私も可愛くなりたいわよ」  母はあくまでも真剣な顔でそう言った。母には母なりの(そしてかなり明確な)美的センスが備わっているのだから、綺麗な人たちの良いところを集めた顔をうまく作ることができる気がする。それでも私の顔はずっとこのままで、親子で並んだ時に私だけが取り残されているのはすごく嫌だった。それ以上に嫌なことってない気がしていた。さっさと退出していればよかったと後悔した。  母は本当に予約を取って、帰り道は上機嫌だった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!