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三時の休憩を、わたしと鳴沢は海外事業部のあるフロアで取っていた。
仕事の打ち合わせでサラに会う必要があったために、ワンフロア上に来ていたのだ。
すべてがわれわれ営業部のオフィスとは違っている。
デスクの大きさからその間隔、設置されている事務什器までがまさに北欧風に統一された、スタイリッシュな空間だ。
〝これって日本人差別じゃないのか〟
わたしはこの階に来るたびに腹立たしくなる。
休憩スペースの広さも設置されている椅子も、すべてが一階下のわれわれのものとは違っていた。
サラというのは二十六歳の英国人女性だ。
白人にしては小柄な方で、物腰も落ち着いておりなによりも美しかった。
彼女が普通のOLであったならば、恋人の香里から乗り換えたいほどだ。
打合せが終わった頃ちょうど三時になったので、サラに誘われいつもは滅多に使わないこの階の休憩室に腰を掛けたのだった。
こんな物騒な場所で休憩なんかしていられはしない、そう思いながらも愛想よくサラに連いて行く鳴沢を一人にも出来ず、今こうしてここに居るのだ。
「日本人は働きすぎですね、ゴールデンウイークくらいで騒いじゃいけません。ヨーロッパではサマーバカンスを一か月取る人もいるよ」
ガリッシュが流ちょうな日本語で言う。
三十代後半のアフリカ系フランス人なのだが、まったく外国訛りのない綺麗な日本語を使う。
背の高さは百九十センチを越えている。
サバンナに棲む、マサイの戦士のように精悍な顔つきだ。
黄色いYシャツにブルー柄のネクタイ、濃い青黒色系のダークなスーツをスマートな身体にきっちりと身に着けている。
日本人には似合わないが、そんな派手なコーディネートがアフリカ系の人間にはよく似合う。
やつは海外事業部の係長だ。
二年前から急に海外との取引が増えた当社には、会社の規模からはあり得ない〝海外事業部〟というものが設置されている。
経営者でさえ知らないが、それもすべて鳴沢幌人に関係している。
この小さな会社はスパイ天国と言われる日本の中でも、最も各国のエージェントが凝縮されている所であった。
部長は日本人で、治樹佳史(はるきよしふみ)という五十過ぎの男だ。
役職は取締役部長である。
海外事業のすべては、この治樹が仕切っていた。
この高級感あふれる間取りから事務機器の洗練された趣味まで、この治樹部長の要望なのだと聞いた。
ご多分にもれず二年前に、他の会社から移って来た人物であった。
今では十二人の海外事業部スタッフで、国内営業の四つの部署以上の利益を上げている。
だから営業一部から四部の部長たちは、歴然たるこの格差にも文句が言えないらしい。
ちなみに一部から四部の部長は、みな生え抜きの先代社長時代からの社員である。
つまり何も知らない普通の一般人だ。
会社の人事権を握っているのは、この治樹部長と同時期に入社して来た後藤慎介という四十後半の痩せぎすの男だ。
入社して来るなり専務取締役という重役となった。
古参の社員からは相当な反対があったらしいが、どこかのひも付きらしく社長の一声でその地位に納まったのだという。
入社早々に治樹をこの会社にヘッドハンティングし、海外事業部を立ち上げたのもその後藤専務らしい。
そういうわたしも、格好としてはこの後藤専務の口利きで入社と言うことになっている。
「欧米人は遊び過ぎネ、われわれ東洋人には理解できないヨ。わたしの国でも年に一回だけ国慶節に一週間休むけど、あなた達みたいに一か月も遊んだりしないヨ。あなたたちチョットおかしいネ」
黒縁眼鏡をかけた中国人の陳 劉詠(ちんりゅうえい)が、ガリッシュに反論する。
「立花さん、あなたもそう思うでしょ」
〝おいおい、俺に振って来やがった〟
わたしはうんざりしながら、嘘八百を並べ立てる。
「さあ、わたしは海外なんて行った事もないから分からないな。ましてや長期休暇のことなんか夢のような話しですよ」
そうすっとぼけるわたしへ、一瞬だけ陳の蛇のような視線が向けられた。
社内はどいつもこいつも油断のならない人間ばかりだ。
中でもこの海外事業部は、全員の素性が偽りなのは間違いない。
わたしは一刻も早く、このフロアから逃げ出したかった。
そんな所にいること自体、まるで猛獣の檻の中に放り込まれたようなものだ。
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